「奥様、どうぞお体を大切に」~思いやりこそが、仕事の原点
志賀内泰弘著
「翼がくれた心が熱くなるいい話」(PHP研究所)
EPISODE1より
もう今から数年前のことです。
両親を続けて亡くしました。父親を長いこと看病していた母親が倒れました。検査をすると、末期がんでした。父の看病に追われる毎日で、自分のことを後回しにしていたのです。そのことに気付けなかった私は、後悔が募り苦しみました。
母は、病の父を残して先に逝きました。入院していた父は母の葬儀にも出られず、私が喪主を務めました。そして、しばらくして父親が亡くなりました。二つの葬儀を続けて終えた私は、心身ともにボロボロになっていました。
経験のある方はよくご存じかと思います。
家族が亡くなると、その後の手続きが大変なのです。
役所の中だけでも、住民課、年金課、福祉課。社会保険事務所にも行かなくてはなりません。もっと大変なのは銀行です。戸籍謄本や住民票を取り寄せ、相続人の署名捺印を受けて遺産分割協議書を作らなければ銀行の預金名義を私に変更することができないのです。
何度、銀行や郵便局へ出向いたことか。
その度に、イライラさせられました。お役所も銀行も無味乾燥な事務的対応ばかりで、疲れてささくれ立った心が痛みました。それでも我慢、我慢・・・。「この書類が足りない」と言われれば役所へ走ります。「ここに印鑑が必要」と言われれば再び出直します。
それからしばらくして、友人からこんな話を耳にしました。
その友人の知り合いが、その年の暮れに旦那さんを亡されたそうです。
悲しみをこらえて、役所や病院などへ事務手続きのために数多くの電話をかけ、何度も足を運んだそうです。私と同じですね。
しかし、受付や事務の方からの慰めの言葉は一つもなく、あまりの冷たさに怒りで声を上げてしまったこともあるそうです。
少し落ち着いた頃。そのご婦人は、飛行機のマイレージが貯まっていたことに気付きました。また嫌な思いはしたくありませんでしたが、夫から自分へマイレージの名義を変えることができるかJALマイレージバンクの事務所へ電話をかけました。すると、電話に出たAさんという方が、何よりも先に一言、
「それはご愁傷さまでした」
とおっしゃって下さったというのです。
各窓口で冷たい会話ばかりを交わしてきた奥さんは、その優しさにあふれた対応に温かな気持ちになれたといいます。
さらに、そのAさんは、マイレージの相続手続きの説明が終わった時に、こうおっしゃったそうです。
「奥様、どうぞお体を大切に」
旦那さんを亡くされて、生きる希望を失くしていました。自分で自分を励まして、なんとか生きていたといいます。そんな時、一本の電話を通して耳にした「どうぞお体を大切に」の言葉が胸を打ち、涙が止まらなくなりました。
このことが、本当によくわかりました。
肉親が亡くなると、心に大きな穴が開いたような感じになります。看病介護に追われていると、心と身体の疲れがピークに達し、「悲しい」ことを通り越し「虚無」の精神状態になるのです。それでも、やらなきゃいけない手続きが山ほどあります。
役所や銀行の窓口対応にいちいち腹を立てていても仕方ありません。それよりも、「そういうものなんだ」と諦め、「早く済ませてしまいたい」と思っていました。
お互い様のはずです。
誰にでも母がいて父がいます。それなのに、目の前の人が悲しみに暮れていても「ご愁傷様でした」という一言さえ聞けなかった。それが私の実体験でした。
ごめんなさいね、役場や銀行のみなさん。
もちろん、それがすべてではありません。
きっと、優しい言葉をかけている方もいらっしゃるでしょう。
きっと事務的な対応をされる方もものすごく忙しくて、心に余裕がいからに違いありません。
さらなる「奥様、どうぞお体を大切に」という一言。
誰にでも言えるようで言えない。よくよく考えると、世の中では当たり前のことなのに・・・。
きっと、仕事だと思うから言えないのでしょう。事務処理をするのが仕事だと考えているから。でも、そんな仕事の中にも、「思いやり」の心があれば自然に言葉に出るはずです。それが人の心を打つのですね。
この女性は、きっとJALのファンになってしまったことでしょう。こういう社員の大勢いる会社が繁盛するのです。JALは一時ピンチの局面にありましたが、稲盛和夫さんの元、再生を果たしました。こんなところにも、稲盛さんの説く「利他の心」が行き渡っているのですね。
「仕事」と「プライベート」の区別をすることなく、関わった人すべてに「思いやり」の心で接したいものです。