「命を運ぶリレー・・・最高のバトンタッチ」
志賀内泰弘著
「翼がくれた心が熱くなるいい話」(PHP研究所)
EPISODE1より
2010年に日本航空は会社更生法申請し破綻しました。その後、著しい変革を遂げ見事に再生を果たしました。JALの復活の背後には、3万人のスタッフの並々ならぬ努力がありました。パイロットになる夢を諦めなければならなかった訓練生の話。破綻が発表された当日の便に乗り込んで報道陣に囲まれてCAの話。はたまた、定年退職後に、空港の荷物受け渡しのターンテーブルを黙々と掃除する男性の話など、実話に基づく16の涙ホロリのショートストーリーを「翼がくれた心が熱くなるいい話」PHP研究所として、2013年11月に発表しました。
その際、100を超える感動エピソードから絞りに絞って、深堀りの取材をさせていただき、16本にまとめたのですが、ページ数と時間の関係からどうしても本に収録できないお話がありました。
今回改めて、JAL広報部さんのご協力を賜り、再度まとめなおしてここに発表させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
志賀内泰弘著「翼がくれた心が熱くなるいい話」PHP研究所
【特別番外編】
子供はよく病気にかかる。
JAL香港支店の香川涼馬の娘も、このところ幼稚園を休んでばかりいる。
水ぼうそうに罹ったと思ったら、今度はインフルエンザ。幼稚園で一人発症すると、みんなに伝染る。ようやくホッとしたと思ったら、また夕べから高熱が出た。
赴任して1年。ようやく香港の町にも慣れてきたとはいえ、家族が病気になると右往左往してしまう。娘を抱いて、妻とともに救急病院へ駈け込んだ。
ただの風邪とわかり、少しだけ安堵。
涼馬は、眠い目をこすって会社に出掛けた。
デスクに座わり、眠気覚ましのコーヒーを一口すすったところへ、電話が鳴った。
「はい、香川です」
「おはようございます」
電話の主は、香港支店でPGCを担当する田丸だった。PGCとは、Priority Guest Center の略。身体に障がいがあったり、妊娠中の女性など搭乗に手伝いを必要とするお客さま専用の窓口だ。
「またお願いごとです」
と田丸が申し訳なさそうに言う。
涼馬の仕事は、香港空港での搭乗カウンター受付や荷物の受け渡しが日常業務。だが、しばしば、サポートを必要とするお客さまの対応も担当する。
「了解しました。今回はどの様なサポートが必要なお客さまですか」
「いえ、それが今回はちょっと難しいお話なんです。今から説明に伺いたいのですがよろしいですか?
それから5分後、涼馬は会議室のホワイトボードを前にして、予約センターの田村と深刻な顔をして向き合っていた。
それは、香港在住のご夫婦からの依頼だった。
ご主人は中国人。奥様は日本人。お二人の間に、生後1か月になる娘さんがいる。ところが、呼吸器の病気で一刻も早い手術が必要となった。その病気治療の名医が日本の病院にいることが判明。急ぎ娘さんを連れて日本へ行かなければならない。
「香港から羽田までストレッチャー(担架)を使用することになります」
それを聞いて、涼馬は心臓が波打つのを感じた。
病気のお客さまを、ストレッチャーで飛行機に搭乗いただく事はこれまでも何度もあった。海外の旅先で病気になられたお客さまが、帰国されるような場合だ。
しかし、今回は生後1か月の赤ちゃんだという。
「これは難題ですね」
「はい。しかし、なんとかして差し上げられないかと」
涼馬は、自分の娘のことが頭に浮かんだ。高熱で、泣きわめいていた。「暑いよう~」と言っていたかと思うと、横になったまま夕食に食べたものを吐いてしまった。抱きかかえたまま、病院の深夜の待合室でまだかまだかと診察を待つのは、身を切り裂かれるような思いだった。
(他人事じゃない)
と涼馬は思った。
「わかりました。万全の態勢で臨みましょう」
それから、出発日までの2週間。涼馬たちの戦いが始まった。
まず、お客さまとの話し合い。
ご両親の話では、今のところ幸い容態が安定しているとのこと。
「私が胸に抱いて飛行機に乗ることはできないでしようか。心配で心配で」とお母さん。
その気持ちは痛いほどわかった。その願いをなんとかかなえて差し上げたい。一旦、母親が抱っこして搭乗し、万一、容態が悪化したような場合に急ぎストレッチャーに寝かせることはできないか。
涼馬は、香港空港の整備部門に掛け合った。ストレッチャーの設置などを、技術面で支えるのも整備部門の仕事だ。
「佐藤さん、いかがでしょうか」
佐藤は、ことあるごとに、涼馬が頼りにしている整備のプロだ。
「お気持ちはよくわかります。客室部門はなんて?」
「そうだ、失念していました。彼女たちにも相談しないと」
その場で、東京の客室本部へ電話をして事情を説明。電話とメールなどで、急ぎ打ち合わせすることになった。オールJALとして、全面的にお客さまの意に添うように努力することで一致。難しいケースだが、無事に日本へお迎えできるように。
ところが・・・。
当日は、日本から来た医師・看護師4名のチームが香港から一緒に搭乗する。涼馬は、急ぎ、日本の病院へ連絡を取り、そのお医者さんの意見を仰いだ。すると、浅い睡眠状態で横になったまま搬送した方が幼児のためにはいいだろうとのこと。また、整備部門としても、機内で容態が悪くなってからストレッチャーに寝かせるのは、かえって危険を伴う可能性があると心配していた。
ことは振り出しに戻ってしまった。
空港、整備、客室、運航の各部門から代表者が集まり、緊急ミーティングとなった。
整備部門の佐藤が医師チームからアドバイスを受けたところによると、乳幼児のため、大人に用いる普通のストレッチャーでは不安定になることがわかった。身体が小さく柔らかいので、ストレッチャーに載せながら酸素吸入などの医療行為がやりにくいという。
そこで、まず赤ちゃんをバックボードと呼ばれる医療用の板に、酸素ボトルなど一緒に固定させる。そのまま、救急車から機内へと連れて行き、先に機内に設置しておいたストレッチャーに固定するという段取りだ。
客室部門のCA・西城チーフが手を挙げた。
「最後部の扉から搬入することになりますが、通路が狭いのではたしてスムーズにそのバックボードが曲がり切れるかが課題になります」
すると、整備部門の佐藤からも大きな問題が指摘された。
「あのですねぇ。技術的なことは何とかなると思うのです。今回の場合、赤ちゃんはずっと酸素ボンベを使用し続けることになります。救急車から機内に入るまでは、小型の酸素ボトルを使います。機内で、ストレッチャーに固定されると、今度は大型酸素ボトルとバトンタッチします。その設定は大丈夫です。ただ、時間との戦いとなることが予想されます」
「と・・・いうと」
進行役の涼馬が尋ねる。
「酸素ボトルは事前に日本の病院から取り寄せておけます。日本から到着したJL029便が、そのまま折り返しのJL026便となり羽田へ出発します。そのたった90分の間に、作業を完了しなくてはなりません。ご存じの通り、その短い時間に、清掃、機内食の搭載、燃料補給、整備点検、その他もろもろの作業を行うわけです。通常でも、ギリギリです。はたして、どう作業に組み入れて、ストレッチャーを機内に固定し、バックボードを搬入するかです。その上、酸素ボンベなどの医療機器を間違いなく装置しなくてはなりません。とにかく時間がない」
「わかりました。事前に、リハーサルをしましょう」
CAの西城が言う。
「それは助かります」
「では、その日程を調整してお知らせします」
当日の搬送の首尾は、リハーサルが上手くいくかにかかっている。涼馬はできるだけ早く行いたかった。しかし、日本からの医療チームが香港に到着するのが本番の前日と決まった。そのため、医療チームの指導の下、前日の香港発羽田行のJL026便でリハーサルに臨むこととなった。
涼馬は、その間、予約、運航、整備、客室、空港などの各部門、そして香港や羽田、本社の多岐にわたるセクションとの交渉・連絡に追われた。
その中で、思わぬ障害が持ち上がった。
日本の薬事法上、香港から携行する薬が日本に持ち込めないことがわかった。
さらに、さらに、赤ちゃんに付き添う両親や医療チームを、短い時間でどうやってCIQを通過させたらいいか。CIQとは、税関(Customs)・出入国検査(Immigration)、検疫(Quarantine)の略だ。
矢継ぎ早に問題が浮上した。
仕事は毎日深夜に及んだ。
涼馬が帰宅すると、娘はもう眠っている。風邪はすっかり治り、今日から幼稚園に行き始めた。あの赤ちゃんも手術が成功し、幼稚園に通える日が来ることを祈りつつ眠りについた。
前日のリハーサルは、すべて本番と同じ条件で行った。
救急車を飛行機に横付けし、ストレッチャーを直接PBLという昇降車に載せ、そのまま機内へと搬入。これにより、作業時間が大幅に短縮できることが確認できた。
空港のあらゆるセクションのスタッフの知恵と熱意の賜物だった。
すべてが上手く運んだ。
さらに良い知らせが。香港のCIQ当局と警備会社の特別のはからいで、幼い命
を守るためできるかぎりスムーズにCIQを通過できるようにしてもらえることになった。
後は、明日の本番を迎えるだけとなった。
そして当日の朝がやってきた。
JALのスタッフだけではない。香港空港全体が、万全の態勢で日本からのJL029便を待ち受けていた。今か今かと。
涼馬は、駐機場から空を見上げて、不安にかられた。風が強くなってきたのだ。昨日、フィリピン沖で発生した台風の影響かもしれない。そんな中、JL029便の機体が雲間に姿を見せた。
涼馬は、駆け出し、待機する救急車に付き添うように並んで着陸を見守った。
「あっ!」
その時だった。着陸寸前に、強風にあおられ、機体が若干ハードランディングになった。整備のスタッフから小さな溜息が漏れた。機体がボーディングブリッジに接続されると、整備士が駆け寄る。しばらくして、整備士の佐藤が涼馬のところへ来た。
「大丈夫とは思いますが、着陸が若干強めだったので機体に影響がなかったか、整備、点検作業に時間がかかるかも知れません」
若干の遅延で済めば御の字。最悪の場合は、運航不可になる可能性もありうるという。涼馬は、動揺しつつも、待機する救急車の医師チームに連絡。小型酸素ボンベの残量を考えると、長い時間待つことはできない。まさしく、綱渡りの状態になった。その時、涼馬は、初めて赤ちゃんの顔を見た。それは、本当に小さな小さな身体だった。だが、そこに「生きよう」という強い意志のようなものが感じられた。そこへ、佐藤から連絡が入った。
「機体に問題はありませんでした。ゴーです」
定刻よりも約29分遅れでJL026便は羽田に向かって飛び立った。
涼馬は仲間たちと一緒に、翼が見えなくなるまで手を振った。