「感動」とはどこから生まれるか?

・・・自分だったらどうするだろう?自分だったらできるだろうか?

 あるホテルの社長さんから聞いた話です。

 「ホテルというのは、昔は非日常的な世界でした。食事に利用するにしても、ちょっとオシャレをして出掛けたものです。下駄ばきやジーンズなんてとんでもない。男性ならスーツとタイが決まりみたいでした。でも今は、ホテルが日常になってしまい、誰もが気軽に利用しています。それ自体は嬉しいことですが、ホテルというものに特別の有難さが失せてしまいました。だからスタッフには言っています。お客様に『感動』を与えなさいと」

 その「感動」とは小さなことでもかまわないと言います。

 例えば、ずいぶん以前に、一度だけ利用して下さったお客様の名前を覚えていて、「いらっしゃいませ、○○様」と挨拶する。例えば、足が不自由なお年寄りのお客様には、エレベーターホールから最も近い部屋をご用意する。
それらは誰もができることです。でも、誰もがやっていることではない。どのホテルでもやっているわけではない。だから、そんな小さなことが「感動」に結びつくわけです。

 さて、NEXCO中日本(中日本高速道路株式会社)という会社があります。元は、日本道路公団などの道路四公団です。それらが民営化され、高速道路の管理運営を引き継いでいる会社です。

 その本部にサービスエリアを利用するお客様から、こんな内容のお礼のことば届きました。

「岐阜県の養老サービスエリア(下り)で家族で昼食をとったときのことです。子供が取り外し式の歯科矯正器具を紙ナプキンにはさんで置いたまま、食事トレーを返却コーナーへ持って行ってしまったのです。そのまま名古屋へ帰宅し、夜になって気づきました。たいへん高価なものなので、電話で事情を話し『探させてほしい』と伝えてから慌ててサービスエリアまで戻りました。朝までかかってでも、ゴミ箱をあさるつもりで・・・。レストランに着くと、すでに何人もの女性スタッフが店舗の裏のゴミ袋を開けて探していてくれました。それは深夜にまで及びました。勤務時間はとうに過ぎているのに、レストラン以外の部署の人たちも協力してくれました。なんと膨大なゴミの中から見つけて下さったのです。それも、食べ残しの汚れたゴミの中から。お礼を渡そうとしましたが、どなたも受け取っていただけませんでした。このときの感謝は言い尽くせません。涙がこぼれたほどです。そんな人たちのいる会社はとても素敵ですね。本当にありがとうございました」

 もう一つ、こんな似たお話のお礼のことばも。

「G.W.にみどり湖PAで、道路わきの側溝に結婚指輪を落としてしまいました。側溝が道路に埋め込まれていたため、自分たちで取り外すことができず、ネクスコさんに連絡すると諏訪湖からパトロールが来てくれました。しかし、なかなか取り出すことができず、結局、3時間もかけ、他のスタッフさんも呼んで下さり見つけていただきました。自分の不注意で落としてしまったものなのに、一生懸命に探してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。この時のみなさんのお名前と連絡先を教えていただけますか?お礼状を差し上げたいと思いますので」

 この二つの話を耳にして思ったことがあります。それは、

 「自分ならどうするだろうか?」

 「自分だったら、できるだろうか?」

ということです。レストランのゴミは、もう「汚物」と言ってもいいでしょう。一度口にして、吐き出した食べ物やタバコの吸い殻も混じっているでしょう。カレーやうどんの汁が浸みこんで、ベタベタになっているに違いありません。悪臭もするでしょう。私だったら、とてもできません。きっと、こう言うのが精一杯。

 「忙しいのでごめんなさいね。どうぞご自由にお探しください」

 自分の仕事もあるし、仕事が終わったら帰りたい。たしかに、「お客様のため」に尽くしたいと思う心はあります。ちょっとした気遣い・気配りならすすんで心掛けます。でも、そこまでは・・・。

 そうなのです!ここに登場するネクスコや関連会社の人たちは、「私ならとうていできない」と思っていることをやったのです。矯正器具や結婚指輪の持ち主もきっと「自分だったら、ここまでできない」と思っていたに違いありません。

 「感動」とは、他人ができないことを行動に移すことから生まれるのです。

 ということは・・・一瞬「これはできないな」と思ったことを即、行動に移したら相手は「感動」してくれるはずです。

 NEXCO中日本さんに勤める友人に聞きました。

 「うちは歴史の浅い会社です。民営化されて『サービス』というものに対するノウハウも蓄積も少ない。CS(顧客満足)というものに対して無我夢中で取り組んでいる最中です」

 もちろん他社と同じように、クレームも多いことでしょう。しかし、夢中でCSを模索しているからこそ前述の二つの「感動」物語があったのだと思いました。