大学ノートが宝物

 名古屋に本社を置く、フジタクシーグループの執行役員さんから伺った、タクシードライバーAさんのお話です。

 Aさんは、60歳の定年まで後一年というときに30年間勤めていた会社が倒産してしまいました。老後の生活にと当てにしていた退職金も水の泡です。顧客のツテをたどって仕事探しに奔走しました。
転職雑誌のページもめくりましたが、どの募集先も年齢で引っ掛かります。困り果てた挙句、意を決して門を叩いたのがフジタクシーグループでした。

 会社負担で二種免許を取得。
無事、新人研修を終えて人生の再出発です。
還暦を迎えていたものの、Aさんには一つのモットーがありました。
「何事も努力すれば何とかなる!」
稼働初日から、とにかくがむしゃらに働きました。ビギナーズラックにも救われ、滑り出しは好調。売上もそこそこでした。
しかし、Aさんは「何かが違う」と思ったのでした。

 「売上がすべてなのだろうか?」
自問自答しながら仕事を続けました。そして、ある日のこと、一人のお客様に、こんなことを言われました。
「あなた、プロでしょ」
指示された目的地がわからなかったのです。
その瞬間、改めて自覚しました。
「そうだ、私はプロのドライバーなんだ」
と。じゃあ、プロのドライバーとは何なのか。Aさんは、考えに考えました。もちろん、お客様をもてなす接客は一番。以前、30年間勤めていた会社で接客の仕事に就いており、これについてはかなりの自信がありました。
では、次に必要なことは・・・?。
自分は、ドライバーになってまだ日が浅い。お客様に、「○○まで」と言われても、すぐに答えられないことも多い。Aさんは、ハッとしました。
「そうだ!地理のプロになろう!」

 その日からAさんの戦いが始まりました。
お客様が乗車され、「どこどこまで」とおっしゃった後、こう聞き返します。
「どの道から参りましょうか?」
ご案内先までの道順については、お客様の方がよく知っておられます。いわば、地理のプロ。地図やナビには載っていないような裏道までも教えていただける。
「え~と・・・2本先の信号を左に曲がって、すぐ3本目の狭~い道を右に・・・。」
「申し訳ございません。教えて下さり、ありがとうございました」
とお詫びとお礼を言い、お客様を指定の場所で降ろします。

 Aさんの仕事は、ここから始まりました。
すぐに出発はしません。車を路肩に停めたまま、そこまで走って来た経路を、分厚い大学ノートに書き込むのです。こんな具合に・・・。
「○○通りの信号を左、3本目の狭い路地を右に入り・・・」
そんなことをしている暇があったら、少しでも走ってお客様を探した方がいい、という意見もあるでしょう。しかし、Aさんは、その時間を犠牲にして、大学ノートに経路を書き続けました。
そうです、プロのドライバーになるためでした。

 さて、ここからが本番の勉強でした。
タクシードライバーの仕事は、2日勤めて1日休みというローテーションです。2日の間に経路をびっしりと書き込んだ大学ノートを手にして、公休日にマイカーで1件1件そのルートを追うようにして今一度走るのです。もちろん、ガソリン代は自腹。そんな生活が3か月続きました。
1冊辺り裏表200ページの大学ノートが3冊。
合計600ページにも及ぶ、ルート表が出来上がりました。すべて、休みの日に「復習」済みですから、頭の中には名古屋市内の地図が叩き込まれています。抜け道、裏道、路地。信号、一通、主要な施設まで。
その走行距離は何千キロになったといいます。

 気づくと、Aさんは、プロのタクシードライバーになっていました。そして、大学ノートが何ものにも代えがたい宝物になっていたのです。その苦労から3年が経った今でも、ちょっと辛いきには、ページをめくって初心に立ち返り、
「まだ頑張ろう」
と思うそうです。
なんでも、デジタルの時代です。目的地へは、カーナビにセットすれば、自動的に案内してくれる。でも、Aさんには不要です。頭の中にカーナビが入っているのです。

 若いとは言えない、60歳からのスタート。
プロとは何かを追求する探究心。
誰もができそうでいて、誰もやっていないことへの飽くなき努力。
就職難が叫ばれる昨今ではありますが、ぜひ、若い人たちに「プロのタクシードライバーAさん」の話を伝えたくてペンを取りました。