山下くんがしゃべった!

(株)新宮運送社長 木南一志

 障害があって、話をしないと思われていた山下君がしゃべった。この驚きは山下君を知る社員にとって衝撃的なものだった。中途入社で当社に来た山下君。口数が少ないと言っても、「おぅ」しか言わない。社長の私が「おはよう!」と声をかけても、「おぅ」。

 工場での品質改善活動での発表会。入社して6年目のQC活動の発表会でのこと。職場のグループで一年間の取り組みを発表する機会。自ら手を上げて、発表文を読むと宣言したのだ。

 山下君は、今から10年前の平成17年、「障害があるのだが、簡単な作業ならできる。」と就労センターの紹介で当社にやってきた。ちょうどその翌年、元トラックドライバーの上村さんが山下君の上司として、配転されて別会社の製造現場へと経験したことのない現場を任されることになった。声も聞こえない職場、教えようとしたら機械を止めて、生産ができなくなる。そこで上村さんは山下君に、ノートに今日思ったこと、分からなかったこと、不安だったことを書いてくれと指示した。お互いがコミュニケーションを取るための唯一の方法。これが、「勇気のノート」のはじまり。

 当時、上村さんが感じた山下君の第一印象。不気味、やる気なし、都合が悪くなると固まって、病気のふりをするなどなど。上司としての課題も大きなものがあったはずだ。

 彼には障害があることは社内では周知の事実だが、明るく元気に話す姿を見たことは誰もなかった。運転免許証も持っているのだから、知識もそれなりに持ってはいるはず。しかし、彼が話すことはなかった。一日中、うるさい音がする職場で耳栓をしながらの仕事。夏場は上から下まで汗びっしょりで、音だけではなくホコリだらけになってしまう。大型の機械を動かして、プラスチックを溶かして再生原料にするという仕事。誰も喜んではやりたくない仕事だが、一人になれることが彼をこの仕事に引き込んだのかもしれない。

 そんな厳しい条件の職場で、仕事を教えていくために上司の上村さんが提案した「勇気のノート」仕事の交換日記である。
当初のころの山下君のノートにはこう書いてある。

 「ぼくわ ゆうきやじしんがなかったので よけいなことしてしっぱいやトラブルになったらこまるとおもい ゆわれたことだけすればよいとおもっていたが それではいけないとおもうが なかなかできない」

自分のできないことや弱みをしっかりと知っていたのだ。そのあと、こう続く・・・

「みんなが なにかゆうのお まっていたので 自分からゆうことはなかったとおもう」

周りの人が指示してくれるのをじっと待って、言われたことだけを実行すれば叱られることはない。山下君がこれまでの人生で知り得た、他人の中で生きていくためのすべなのかもしれない。上村さんは、こんな後ろ向きの山下君を許さない。

「ええかっこは、いらんで。無気力、無関心はあかんで。もっと、もっと勇気出した方がええかもしれん。今のままやったら、あかんで。」

 何度も何度も叱咤激励が続く。いや、激励などほとんどないに等しい。がんばれ!本気になれ!とっとと帰れ!などが何度も何度も繰り返される。

 平成19年4月から始まった「勇気のノート」は、現在、33冊目2200ページを越えている。山下君と上司の上村さんの間にいろんなエピソードが生まれた。

 ある時、帰る前には一言声をかけて帰ろうとノートに書いた。次の日、上村さんが山下君の一言を待った。いつまで待っても、山下君から声が出ない。工場の守衛さんから「門を閉めるぞ」と声をかけられて、やっと出たひと言。「今日はすみません…。時間がかかって…。」なんと、時計は午後11時58分だった。仕事が終わってから、7時間近くが過ぎていた。

 ノートの中身もお互いのやり取りが続いてくると、少しずつだが変わってくるのが分かる。上村さんの言葉。「山下君の口から やってみる。とか、がんばってみる。という言葉が聞けて、嬉しかったです。少し、安心しました。前向きに行こうな。」

 「勇気のノート」が始まってから、6年近くたったある日のこと。上村さんが問い掛けた。「山下君、今度のQCの発表会で発表文を読んでみるか?」実は、この発表文は約15分間の発表時間のほとんどを一人で原稿を片手に読んでいくのだ。

 単に読むだけでは意味がない。他のサークルに負けないように分かりやすく、大きな声で、ハッキリとなど、越えなくてはならないハードルは、とてつもなく高い。専門用語もあるし、上手に読める人は、毎年の発表会でも少なくて数えるほどしかない。

 さすがの山下君も即答はできず、考えてみるということで返事は持ち越しに…。次の日も返事はない。そして、考えて考え抜いたのだろう、三日後の山下君からの返事は、「やってみます。やらせてください。」だった。

 発表会も近づいたある日。「QCも近づいてきましたが、さむくなってきたので かぜおひかないようにきおつけなければならない。」

 お茶目にいじめる上村さんに山下君も負けてはいない。「あまりいじわるばっかりすると 日曜日に社長にいいつけるかもしれません。」

 懸命に練習をする山下君の姿を何人もの社員が見つけました。うるさい機械の運転中に、昼休みの自家用車の中で、仕事が終わってからも一所懸命に練習を重ねて、夜遅くなることも何度もあったようです。

 QC発表会の本番がいよいよやってきました。時間配分、大きな声、ハッキリとした言葉、たくさんの審査員、多くの工場勤務の社員の皆さんの前で堂々と発表文を読みました。

 「すごくきんちょうしていたのに そんなにみえなかったみたい。おわったあとも みんなからよかったといわれて やってよかったです。」

 駅伝大会でも仕事帰りに練習して、走るのが苦手な上村さんに格好よくタスキを渡したりした。

 私が参加しているトイレ掃除に来るようになって、はや六年。初めは感想発表のときにも声が出なくなり、じっと待つ大変さを知った。掃除の会のメンバーも声が出るまで待ってくださる温かい人ばかりだ。

 知らない人たちの前で、自分の感じたことを分かりやすく伝えることは誰であっても大変な課題。簡単にできると思っていたトイレ掃除でキレイにできなかった悔しさから、続けて参加するようになった。今は自分の感じたこと、氣づいたことをハッキリと、知らない皆さんの前でも話すことができるようになった。

 山下君の努力、そして、それを導いた上村さんの大きな力を、私は誇りに思う。やればできると信じられる。

 世の中は急速に便利になって、弱い者をいたわるという心が育つ間もなく、大人になる子供たち。そんな子供たちだけでなく、背中で教えることができない大人たち、模範を示すことのない大人が増えている。電車の中や公の場で、自分の子供に注意できない親。子供たちの前でも平気で悪い見本になる多くの大人。世の中を良くするのは、たった一人の勇気だ。他人の批判をする前に、「自分はどうか」と振り返りたい。テレビの中でも評論家ばかりが増えて、自分は実行せずに批判ばかりを繰り返す。

 問題を解決するには、問題から逃げずに近づくこと。問題に真正面から向き合うこと。こんな簡単なことを「勇気のノート」は教えてくれる。トイレ掃除の実践を通じて、話ができないと思われていた山下君が、どんどん成長を続けている。笑いながら、嬉しそうに仕事にも楽しみながら取り組んでいく日が近いことを願っている。

 たった一人の思いが世の中を動かす。実行は、爆弾!

 やってみると、違う世界が見えてくる。まずは、自分からだ。

プロフィール

木南一志(きみなみ かずし)

昭和34年1月 兵庫県揖保郡新宮町にて生まれる
昭和56年3月 流通経済大学卒業
大手運送会社に勤務後、家業を継ぐべく新宮運送へ入社
平成12年4月 株式会社 新宮運送 代表取締役就任
平成14年7月 スキルス性胃がんで三分の二切除手術を受ける

平成21年12月 エコドライブコンテストで平成21年度 環境大臣賞受賞
平成24年12月 エコドライブコンクール(名称変更)で最優秀賞 受賞 二度目の日本一
平成25年6月 平成25年度 環境保全功労者表彰を環境大臣より受賞

平成11年8月に出会った鍵山秀三郎氏(イエローハット創業者)を師と仰ぎ、経営者として自分を磨くかたわら、播磨掃除に学ぶ会・養心の会播磨などの活動を続けている。
会社においては、独自の無事故無違反運動を展開、黄色の歯止め(車止め)の運動などでトラック運転手の安全について懸命に取り組んでいる。

株式会社 新宮運送 http://www.shingu.co.jp  

世直しリサイクル http://www.yonaoshi-re.com