木下晴弘「感動が人を動かす」27「地獄に仏たぁ、あのことですよ」

シリーズ「感動が人を動かす」27
「地獄に仏たぁ、あのことですよ」

「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

2017年8月23日の早朝から昼過ぎまで、大阪の吹田市は大規模な停電に見舞われた。地下送電線の不具合が原因だったらしいが、残暑厳しい季節での半日停電が数多くのトラブルを発生させることは容易に考えられた。
私は前日から茨城県におり、直接巻き込まれてはいないが、弊社のスタッフの中に吹田市在住の者がおり、帰阪してからその時の詳細な状況を聞くことができた。

停電があった日の2日後の夕刻、いつもお世話になっている税理士の先生と定例会議を開いた際に、今年はまだ暑気払いをしていないという話が出て「夏もそろそろ終わりだから、今夜一杯いきますか」となった。

弊社の最寄り駅は、新大阪駅から地下鉄で南へ一駅の西中島南方というところだ。ベンチャー企業が多く集まるこの界隈には居酒屋がひしめいている。しかし多くの人が集まるために、人気店はいつも満席で予約がなければ蒸し暑い夏の夜を汗だくで歩き回ることになる。「何を食べようか」と彼に尋ねると「寿司はどうですか?」と返事があり、行きつけのお寿司屋さんに電話をすることになった。

「今から2人、いけますかね?」「申し訳ありません。今夜は予約がいっぱいで・・・」

あっさり振られてしまった。そういえば今日は金曜日の夜である。「どうしますか?焼肉とかにしますか?」と尋ねると「口の中、既にお寿司になってません?」と彼は笑顔で問い返してきた。不思議なもので、決める前は何でもいいと思っていても、いざ食べようと決めた料理が食べられないとなると、なぜか意地でもそれを食べたくなる。
ならば地下鉄で移動しようということになって、2つの選択肢が出現した。「梅田」か「江坂」か。「梅田」は言わずと知れた大阪市の中心部であり、「江坂」は吹田市の中心部である。どちらも夜には飲み屋に事欠かない繁華街であり、移動時間はほぼ同じである。迷った末に広範囲を探し回らなくてもいい「江坂」を選択した。幸い江坂にも寿司屋はたくさんある。
「出たとこ勝負で突入しましょうか。この時刻なら満席でも小一時間も待てば空くでしょう」というわけで、早速、何度か行ったことのある江坂のお寿司屋さんに直行した。

到着したタイミングが良かったのか、意外にも店は空いていた。カウンターに散らばる、まだ下げられていない徳利やビール瓶が、少し前の店内が修羅場であったことを伝えている。
「いやぁ、よかった よかった。とりあえずビールで乾杯しましょうか」
キンキンに凍ったジョッキに注がれた黄金の液体を喉に流し込み、暑気払いの宴が幕を開けた。
「五種盛りに冷奴、あと枝豆とトマト。あっ、もずく酢もちょうだい」
夏ならではの料理が所狭しとカウンターに並べられていく。2杯目のジョッキを空けて、次は焼酎にするか日本酒にするかと話し合っていたとき、少し手が空いたのかカウンターの内側から板前さんが話しかけてきた。
「お客さん、お仕事はこのあたりですか?」「いえ、西中島なんです」
「あっそうですか。なら先日の停電は大丈夫だったんですね」「ええ、そのはずです。僕は出張中でしたけど」
「あの日は地獄でしたよ。なんせ夕方近くまでクーラーもつかないんですよ」

聞くと、偶然にも店の前にある道を隔てた向かい側一角だけが無事に通電していたらしいが、江坂界隈はほとんどが停電で、そのお店も例外ではなかった。そこまで聞いてふと気になった疑問を投げかけた。
「お店の冷蔵庫も当然動かなかったんですよね。ネタは全滅だったんですか?」
「いや、それがね…」と始まった板前さんの話に私たちは大きな感動をもらうことになる。
停電が起こったのは明け方の6時前。その日、店長であるその板前さんは夜のシフトで、早朝から店で仕込みを担当しているのは他のスタッフだった。そのスタッフからの緊急電話でたたき起こされた板前さんは、自宅からありったけの保冷剤をもって店に飛んできたのだが、いつまで続くかわからない停電を前に、それは気休めにもならなかった。「とにかく、高級なネタだけでも自宅の冷蔵庫に運ぼうか」とも考えたがあまりに量が多すぎて、家庭用の小さな冷蔵庫など焼け石に水。対処法を考えている間にも、じりじりと気温が上昇していく。よく考えればネタだけではない。他の食材も、飲み物も真夏の昼間に放置すれば、もはや売り物にはならない。「ああ、大変な赤字になる。でもどうしようもない。ただひたすら復旧を祈るしかない」と思っていたときだった。

トントンとノックの音がして、入口に宅配会社の制服を着た若い男性が立っているのが見えた。普段、宅配会社を通して店に荷物が届くことはほとんどない。「こんなときに何が届いたんだ?要冷蔵の物ならシャレにならねえ」と思いながら店内に招き入れるとその男性はこう言った。

「向かいにある○○運輸の△△です。冷蔵庫ダメですよね。幸いうちのブロックは停電していないんです。クール便専用の冷凍・冷蔵庫にスペースがあります。どうぞお使いください。腐らないうちに早く移してください!」
「ええっ!? 本当にいいんですか?魚臭くなったらご迷惑をお掛けすることになりますよ!」
「大丈夫です。段ボールで仕切りをすれば何とかなると思います。それより品質が落ちないうちに早く!」
促されるまま冷蔵庫にネタを運び込んでいると、その男性は「コンビニさんも困っていると思いますので様子を見てきます。空いているスペースは自由に使ってください」と言い残して出て行ったそうだ。

「地獄に仏たぁ、あのことですよ」板前さんは遠くを見るような目線でそうつぶやいた。
「いい話聞いちゃったなぁ!なんか元気をいただきました!」私たちも思わず御礼を言っていた。
真夏の惨事を感動の出来事に変えたその運送会社さんと、男性社員さんに改めて乾杯することとなった。
ちなみに、停電のあった日の夜、その運送会社さんには食べきれないほどの豪勢なお寿司が差し入れされたことは言うまでもない。