木下晴弘「感動が人を動かす」21
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シリーズ「感動が人を動かす」21
「やるじゃないか!」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者 木下 晴弘
最近街が賑やかだ。もちろん賑やかだから「街」というのだが、その賑わいの様子は私がまだ小中学生だった頃のそれとはまったく違うように感じる。もっとも小中学生時代の肌感覚など記憶の確かさは怪しいものだが、先日のニュースで日本を訪れる外国からの旅行者数が驚くべき伸びを示しているという実態がデータ化されていて妙に納得した。
私が中学生の頃、初めての海外出張に出かけた父が帰国して私に述べた最初の感想が「空港から外に出て外国人ばかりだ!と思ったら自分が外国人だった」である。その時は思わず笑ってしまったのだが、まさか日本にいながらにして同様の感覚を味わえるようになるとは当時思いもしなかった。
少子化が喫緊の課題になっているこの国にとって、滞在が一時的であるにせよ人口増は経済的に大きな利益をもたらしてくれる。これは有難いことだと思ってはいるのだが、良いことづくめの現象などないわけで、出張族の私にとって大きな問題が生じてきたのである。宿泊予約が取れないのだ。そればかりか交通機関も満席が続出し、新幹線内で立ちっぱなしという経験も最近何度かあった。講演を生業にしている私にとって、講演前の疲労は品質の低下につながりかねない。
そんな事情もあって、最近グリーン車を利用する機会が増えた。確かに座席は広く快適なのだが、前席のリクライニング角度によって普通席より窮屈さを感じるのは私だけだろうか。どうも前後の座席の距離感になじめない・・・そんなことを考えつつ、今年8月下旬、私は東京行き新幹線に名古屋から乗車し、グリーン車の通路側に座を占めた。 この日はグリーン車もほぼ満席。私の右隣には、車窓から景色を眺めるひげ面の男性がいた。私には幼少の頃から、見た目で相手の年齢を予想する能力がまったくない。同じ日本人に対してでもそんな状態であるのだから、相手が欧米人であればなおのことである。海外のドラマなど見ようものなら、登場している俳優全員が同じ顔に見えてしまうくらいの重症である。それゆえその男性の年齢がよくわからないのだが、おそらく30歳前後(少なくとも私にはそう見えた)ではなかったか。
その車両には多くの外国人旅行者の姿があり、大声で会話をしている一行もいたのだが、彼は一人旅らしく、静かにシートに身を沈めていた。窓の下にある細長いスペースには、すでに半分ほど飲み終えたアイスコーヒーのプラスチック容器が結露しており、とけ残ったわずかな氷が浮かんでいるように見えた。私はどうも人が飲み食いしているのを見ると、同じものが欲しくなる卑しい性格であるらしく、ワゴンサービスがきたらアイスコーヒーを注文しよう!などと考えていたのだが、得てして来て欲しいときにはなかなかこないのがワゴンサービスである。「まあ、ゆっくり構えるか~」なんて考えていたのだが、出張の疲れからかいつの間にか眠りこけてしまった。
列車が小田原駅を時刻どおり通過し、新横浜駅まで残り10分ほどの地点。それを知らせる車内アナウンスが私を夢からうつつに連れ戻した。何とも情けない話であるが、目覚めた私の第一声は「あー、のど渇いたー」である。そしてこれまた情けない話であるが、反射的に窓際にあるコーヒーの容器に目をやった。中身はすでに無くなっていた。他人様のものなのに『あぁ、全部飲んだのか』となんだか残念な気持ちになったのだが、次の瞬間違和感を感じてもう一度容器を見た。ない。結露していたはずの水滴が、容器の周りにも、置かれている細長いスペース上にも全くないのだ。すでに乾燥したか?いや、経験上それは絶対にない。とすれば彼が拭き取った以外に考えられない。何があった?と考えがまとまらぬうちに列車は新横浜駅へと滑り込んだ。男性が降りる支度を始めている。そのとき、彼はおもむろにズボンのポケットからハンカチを取り出して(おそらく再び)容器と置かれていた場所を拭いたのだ。むむむ!次に座る人(もちろん終点まで誰も乗ってこないであろうが)への配慮ではないか!これをおもてなしといわずになんと言うのか。外国人旅行者、やるじゃないか!どうやらプチ紳士は世界中にいるな。そう確信した私だった。