木下晴弘「感動が人を動かす」19

シリーズ「感動が人を動かす」19

「こっちゃこい」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

2年前の12月。講演のご依頼を頂戴した私は青森県八戸市を訪れた。午前中の講演であったため前泊でお邪魔したのだが、寒波襲来と重なってしまった。例年そこまで積もることはないと聞いていた八戸市に雪化粧で迎えられた私は、大阪に住んでおれば普段は見ることが出来ないまぶしい景色に目を細めながら宿泊先のホテルにチェックインしたのだった。
そのホテルは八戸駅からJR八戸線で二駅。本八戸駅の近くにある。全国的に知られている駅よりもむしろ、その近くにある駅に繁華街が広がっていることは多いのだが、八戸駅も例にもれず本八戸駅から徒歩数分のところにちょっとした賑わいがあった。
知らぬ街を散策することは、非日常を体感する最も手軽な方法である。私は気合を入れて外出した。しかしである。あまりに寒いのだ。我が家では「底冷え」という表現で最大級の寒さを伝え合っているのだがそれでは追いつかぬ。「キリキリと刺されるような寒さ」とでも言えばいいのだろうか、我慢のない「へたれ」の私は数分後、部屋に戻っていた。「あてもなく歩いていると、へたをすれば命にかかわるかも知れん」と今からの過ごし方を模索しようとしてある考えが浮かんだ。「そうか、銭湯を目的地にすればいいかも」
フロントの女性スタッフさんに近くの銭湯を尋ねると「すぐ近くにはないのですが、歩いて10分~15分くらいのところならいくつかあります」とのこと。教えてもらったその中の一つを選んで再び歩き始めた。先ほどと違い、今度は銭湯という目的地が決まっている。それだけのことなのに寒さが少し和らいだ気がした。事実歩いていると身体はあったまってくる。しかし、手足や耳鼻といった先端部分の感覚は寒さから痛みへと変わり、やがて麻痺してくる。「やっぱりやばいかも・・・」と思い始めたときにようやく目的地に到着した。
鼻をすすりながら、かじかんだ手で入湯料を支払い脱衣場へと向かう。夕刻にもかかわらず意外に人が多い。しかしそのわけを考える暇があれば、とにかく早く身体を温めたい。いきなり湯船はしびれた手足に負担が大きい。かかり湯を済ませるとサウナルームの扉を開けた。10人ちょっとで一杯のサウナルームは満員御礼。これが電車内であれば、大阪のおばちゃんに代々伝わる「わずかな隙間でも尻をゆすりながらスペースをこじ開けていく伝説の技」を使うこともできるのだが、ここは汗まみれの素肌がむきだしのサウナである。顰蹙は買えぬ。「出直しか・・・」すごすごと退散しようとしたとき「こっちゃこい」(と私にはそう聞こえた)。見ると真ん中に座っていた一人のおじいちゃんが、周りのみんなに詰めるように指示しながら自分の隣のスペースを空けて手招きしているのだ。無言で詰めることはあっても、あきらめて出て行こうとする者を呼び止めてまで席を空ける光景など見たことがない。だからそれが自分に向けられた言葉であると認識できるまでにしばらくの時間を要するほどだった。「はよ、こっちゃこい」ようやく事の次第を理解できた私は「あ・ありがとうございます」とぎこちなく頭を下げ、おじいちゃんの隣にできたスペースへと進み出た。
おじいちゃんはところどころ意味のよくわからない言葉を使いながら話しかけてきた。
「どこから来たんだ?」「大阪です」「遠いな~。仕事か?」「はい」「どんな仕事だ?」
「あっ、講演やってます」「ん~?公園つくってんのか?」こんな感じの会話だったと記憶している。その会話に、時折合いの手を入れてくる人もおれば、気の置けない者同士で会話を楽しんでいる人もいる。最初はどぎまぎしていた私であったが、しばらく経つとなんともいえぬ心地よい雰囲気に、完全にリラックスしている自分がいた。おじいちゃんは小学生のお孫さんと一緒にこの銭湯に来ていること。USJに連れて行けとお孫さんからせっつかれていること。満員のサウナでもおじいちゃんは必ず入ってきた人を招き入れるということ。知れば知るほど、温かな人柄が伝わってきた。
身体をあたためてくれるサウナは大阪にもある。しかし心まであたためてくれるサウナはそう多くはない。そんな数少ない至高のサウナが、青森にはあった。