木下晴弘「感動が人を動かす」16

シリーズ「感動が人を動かす」16

「お風呂で息子にコーチング」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

皆さまにお招きいただき、お話をお聞きいただくという講演活動を生業にしている私は、ありがたいことに日々出張で日本全国にお邪魔しております。私は大阪に居を構えているのですが、大阪というところは地理的にちょうど日本の真ん中あたりに位置していることもあり、全国各地のほとんどの地域に日帰りが可能です。とは言うものの、例えば2日連続で東京にて講演があるときなどは、もちろん帰阪せずにその場で宿泊となりますし、同じ街でなくとも、大阪に帰るより労力が少ないと判断したときには宿泊することになるわけです。かくして私は年間を通じてかなりの日数、全国各地を泊まり歩いているということになるわけです。

さてそんな毎日を過ごしていた今年の3月25日のことでした。春を感じさせるうららかな陽気になったこの日、私は東京で18時に講演が終了し、翌26日は新潟で午後から講演の予定が入っておりました。東京から新潟までは新幹線で2時間ほど。ならば帰阪する理由など見当たりません。しかも翌日の朝は時間に余裕があります。

当日の宿泊先を決めようと、新潟駅前のホテルを探していた私の目に飛び込んできた地名は「越後湯沢」。
出張時の宿泊先はホテルと決め込んでいた私にとって、温泉旅館での宿泊は今まで経験がなく、また考えたこともありませんでした。しかも温泉旅館には旅行客専用のプランしかないと思い込んでいた私は、ネット予約の画面上で「ビジネス応援プラン」の文字を見つけたとき「おっ」と声を上げていました。夕食なし朝食付き。私にとってベストプランではないですか!しかも、料金も1万円ちょっとと手の届く範囲。迷わず予約を入れてしまい、そして待ちに待った25日がやってきたということでした。

東京で講演を終えた私は、疲れた身体を「MAXたにがわ」のシートに沈め、あたたかな湯船を思い浮かべながら1時間数十分後、まだたくさんの雪が積もっている越後湯沢駅に降り立ちました。ホテルはそこから歩いて数分。チェックインのあと、あわただしく大浴場に向かいました。贅沢にもそのとき入浴していたのは私一人。両手両足を思う存分伸ばし、疲れがほぐれてゆく感覚に恍惚となっていたそのとき、2人の親子が入浴してきました。息子さんは5~6歳程度でしょうか。きゃっきゃと喜ぶ息子さんに「しっ。迷惑だからさわいじゃだめだよ」と注意するお父さん。しっかりとした躾を意識されている様子に好感が持てる親子でした。

お父さんが先に湯につかっている間、息子さんは身体を洗い始めました。「一人でできる?」「うん、できる」そんな会話があり、やがて息子さんが身体を洗い終えて浴槽に近づいてきたとき「ちょっとまった」とお父さんが彼をとめました。そして湯を出て自ら息子さんの方に向かっていき、彼が今まで使っていた洗い場を指差してこう言いました。「もし、○○くんが今このお風呂に入ってきて身体を洗おうと思ったら、ここを使いたいと思うかい?」
「ううん」首を横に振る息子さん。「なぜ使いたいと思わない?」「散らかっているから・・・」「そうだよね。散らかっていると、使いたくなくなるよね。次に来る人のことを考えたらどうすればいい?」「綺麗にするといい」素直に答える息子さん。「じゃあ、綺麗にしてみようか」「うん!」

そんな会話のあと、なんとお父さんは10数箇所ある洗い場の中で、散らかったままになっているいくつかを綺麗に整え始めたのです。「こうやって椅子の上に桶を置くんだぞ」「お父さん、これでいい?」「そうそう、いいぞ~」
自らが手本を示し、率先垂範する姿に倣って、息子さんも嬉々として清掃を始めました。

昨今、浴場で自分の使った洗い場を綺麗に整えていく人をあまり見かけなくなりました。しかし、幼少の頃からこのような躾をしてもらえていたなら、その行為はもはや当たり前のものとして身につくことでしょう。

そしてもう一つ私が心の中で舌を巻いたことは、このお父さんの息子さんに対するアプローチです。見事なコーチングを用いて、息子さんが礼儀を身につけられるように導く手法はなかなかできるものではありません。自分の息子に対する接し方を振り返り、反省しつつも、こんな親子がいてくれるなら、この国もまだまだ捨てたものではないと、爽やかな気持ちで部屋に戻ったのでした。