木を切ると、環境保護になる⁈

木を切ると、環境保護になる⁈

恥ずかしい話ですが白状します。ついこの前まで、こんなことを思っていました。
「木の家を建てるのは自然破壊だ」
人間が生活するために、山の木を切り倒します。建材のほか、紙を作るパルプにしたりします。人間がはげ山にして地球を荒らしているのだと。
ここからはウケウリです。木曾屋柴蔵さんや、環境保護に携わる友人たちから学んだことです。

日本の山林の原生林は2%だけ

日本の国土の70%は森林です。そのうちの40%はヒノキやスギの人工林。つまり、古来から日本人が木を切り出しては植林することを繰り返してきた山です。58%が天然林。天然といっても、それぞれの村が柴や薪を調達したり、炭焼きをしたりしながら管理してきた山です。ここにも人間の手が入っているのです。
原生林と呼ばれるのは、たった2%。意外ですよね。98%の山が人間が育て守ってきたものなのです。そして、日本人は自然と共生してきたのです。

山が泣いている

今、日本の山がピンチです。木を切り出さなくなったからです。え!?矛盾しないかって?
木を切らなくなったから、山が荒れる。一見相反するように思えることが、日本全体に危機を招いています。
海外から安い木材が輸入されます。コスト面で太刀打ちできず、日本の木材は使われなくなりました。木を育てるには、普段の手入れが必要です。植林をしたままでほっておくと、木が上にも横にも伸び放題に生い茂ります。山の地面に光が届かず、草すら育ちません。 せっかく、何十年も前にご先祖様が植えた木が、全国の山で枯れて倒れているのです。

間伐で山が生き返る

そこで、枝打ちや間伐(かんばつ)をします。間伐とは、木に栄養と光が充分に行き届くように「間引く」ことです。これによって、森は生き返ります。
もし、間伐をしないとどうなるのか。山の土の保水力が損なわれます。大雨が降るたびに土砂が川に流れます。そして、河口の町が氾濫します。その濁った水は海にたどり着き、プランクトンに影響を与えます。ひいては漁場も荒らされ、魚が獲れなくなります。台風シーズンになると、土砂崩れの災害がニュースになります。近年、日本近海での漁獲高の現象も話題になります。これらは、グルグルと回って、木を切らなくなったことにも起因しているのです。
それが、「風が吹けば・・・」と同様に「木を切らないと、日本の自然が荒れる」という図式になります。では、どうしたらいいのでしょうか。

損得だけの時代は終った!

それは、まず、山の手入れをすることです。でも、間伐にはお金がかかります。そう、間伐した木で、家を作ったり、家具や生活雑貨を作って商品を流通させることが第一です。
たしかに、海外の木材は安いかもしれません。でも、「安いから買う」ということを続けていると、日本は荒廃します。日本の林業に携わる人たちも、コストに対抗する努力が必要です。電化製品や自動車など他の工業製品は、コストダウンの努力とともにアイデアや技術力で海外と戦ってきました。単に、「人のせい」にしていては始まりません。
消費者も値段が少しは高くついても、日本の木を使うことで環境保護に貢献できることを意識すべきでしょう。結局のところ、この国の自然環境を守り、後世に残していくのは、国民一人ひとりなのです。山の人と里の人が、お互いに力を合わせて。
一時的に得にはならないことを承知してでも、守らなければならない物もあるのではないでしょうか。特定非営利活動法人・NPOは、いまや全国に2万6千もあるといいます。それだけ、「自分だけよければいい」とか「人生はお金だけじゃない」と考える人が増えてきた証でしょう。損得勘定だけで生きる時代は終ったのですね。
自分の子供たちのために、日本の未来のために。

「木は氣なり」とは?

ここでは、一般的に私たちが使っている「気」ではなく、「氣」という文字が使われています。それは、どのように違うのでしょうか。
漢字の中身に注目してみてください。
「気」の中には、「×」と書かれています。これは「〆る」を表わします。つまり、「閉じ込める」という意味です。
これに対して、「氣」の中には「米」があります。これは、食べる米ではありません。八方に向かってパワーを広げるという意味があります。
病を治したりする氣功にも、同じ「氣」の文字が使われています。そうなのです。「氣」には、生命力を周りに与えるという意味があるのです。
木にも生命力があります。フラボノイドなどの科学的に解明されている物質だけでなく、木には多くの力が秘められています。木に触れたり、見たりするだけで人は癒されます。
「木は氣なり」
日本人は、古来より木とともに暮らしてきました。そして木は、人の目には見えないけれど知らず知らずのうちに、そこに住む人に力を与えて続けてきてくれたのです。