玉置ゼミ7期生 下野綾巳さん「もう一度友達になってください」

岐阜聖徳学園大学・玉置ゼミ7期生 下野綾巳さんが書かれたお話を紹介させていただきます。
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「もう一度友達になってください」
玉置ゼミ7期生 下野綾巳

私は、友達に酷い事をしたことがあります。勿論、傷つけたくて苦しめたくてそんなことをしたわけではありません。でもそれは、酷く彼女を傷つけてしまったとずっと私の胸は痛かったのです。

高校生の頃、遠足へ行くためのグループ決めがありました。自由に決めて良いと言われたグループだったので、いつもの仲良し4人組でグループを組みました。ある子が目立ちます。彼女は、特に嫌われている訳でもなく、いじめられている訳でもありません。クラスのみんなとは普通にお話をしています。きっと気の合う友達がいなかったのだと思います。彼女に決まったグループはありませんでした。
なんだか困っている様子だった彼女を見て、私は「一緒に行かん?」と声を掛けました。その時の私は、この言葉が彼女を傷つけるなんて微塵も考えていませんでした。私も話したことはあるし、通学でバスが被ればクラスまで一緒に行くぐらいには話せる仲だったので、何も問題はないと思っていました。彼女は、「いいの!?ありがとう」と嬉しそうに応え、無事に私たち仲良し4人組と彼女の5人で遠足のグループを組むことにその時は決まりました。

その後の放課後、いつも仲良し4人組の中でも特段仲が良かった一人に私は呼ばれました。「あやみん、勝手に相談もなしに人いれないでよ」。「え?」私はそれ以上言葉が出ませんでした。私は、何も問題がないと思っていたけれど、友達には嫌なことでした。私は、戸惑いつつ「ごめん」と言うしかありませんでした。

その日から、私は友達との関係がよく分からなくなりました。勝手にグループに人を入れてしまった私が悪いのか、でも、一人で困っていた彼女をほおっておけなかった。そんなことが頭の中をグルグルと回りました。あまりにも私の様子がおかしかったのだろうと思います。彼女は、遠足に来ませんでした。担任の先生からは、体調不良だと伝えられ、私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。遠足が終わってから、仲良し4人組を私は抜けました。分からなかったからです。困っていた彼女にも、なんと声をかければ良いか分からず、会ったら話す程度の関係になってしまいました。

今でも、あの時私はどうすれば良かったのか答えは出ていません。

月日はあっという間に流れ、私も就職する年になりました。晴れて教員採用試験に合格したことを伝えるために、高校時代の恩師に会いに行きました。遠足の時の担任の先生は、恩師です。私は、遠足の話を恩師にしました。すると、「あの子は下野さんに感謝していた。気が強そうだけど、周りを見ていて、困っている人を絶対に見捨てないのはあのクラスで下野さんだけです。でも、下野さんが困っているから、私が行かない方がいいから休みますと事前に私に言ってきた」と。勿論、先生は説得したそうですが、当日の体調不良が本当なのかは今でも有耶無耶だそうです。
その話を聞いた時、私は涙が止まりませんでした。私の胸に深く深く刺さった棘が抜けた瞬間でした。ずっと痛かった、ずっと「ごめんなさい」と思っていた。私のせいであの子は遠足に行けなかったと今でもやっぱり「ごめんね」の気持ちは、拭いきれません。

いつか彼女に会ったら言いたい言葉があります。「もう一度友達になってください」。虫が良すぎる言葉かもしれません。でも、また友達になりたいのです。絡まった糸をまた紡ぎたいのです。

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(編集長・志賀内)
せつなくて、せつなくて、胸が苦しくなりました。
でも、なぜかポカポカと暖かくなります。
やさしい人たちが、きっと、これからの日本を良い方向へと導いてくれるに違いないと信じます。