玉置崇教師奮戦記(その11) 「では、やりなさい。教育委員会には私の方で話をしておくよ」
モットーは「やってみなきゃわからない」
玉置崇教師奮戦記(その11)
「では、やりなさい。教育委員会には私の方で話をしておくよ」
平成10年(1998年)に教頭になった。赴任した学校は、新たな地に移転して4月に開校したばかりの学校である。すべてが真新しく、ワクワク感がこみあげてくる学校だ。他校から異動してきたある職員は、「高級マンションに引っ越してきたみたいです」と感想を述べた。
教頭として、この学校の新たな歴史が作るために、この学校だからこそできることを仕掛けたい!と、日々考え続けていた時だ。
ある企業経営本と出合った。読んでいるうちに、開校したばかりで最新環境であると思っていた我が校の職員室は、企業の環境と比較すると、コンピュータ活用において、かなり劣っていることを知った。
その企業では、社員一人一人が手元のコンピュータで仕事をしている。それらがネットワークでつながっていて、コミュニケーションの手段としてメールがフル活用されている。電子文書を社内に送ることで提案可能など、業務の電子化で効率的に仕事をしている。
一方、我が校は50人ほどの教職員がいるが、多くは自費でコンピュータを購入してきている。もちろんネットワークでつながっていない。データのやり取りはフロッピーディスクという記憶媒体、今でいうUSBメモリを使って行っている。文書を印刷したい時は、パソコンをプリンターのところへ持参し、ケーブルをつないで行っていた。当たり前だと思っていたが、その企業本で、自分の認識がかなり古いことを痛感した。
職員室をこの企業のようにしたいと思い始めたら、止まらない。ここが自分の良いところだと思っているが、学校には自由になるお金は一切ない。先立つものがない中、職員室を進化させるにはどうしたらよいか。誰かに協力を仰ぐしかないと考え、懇意にしている会社の社長に相談した。会社といっても社員は一人。わずか二人の会社だ。
「職員室にネットワークを張って、日本のどこにもない職員室にしたいのです。教職員が自席のコンピュータを使って、メールでコミュニケーションをする、職員会議文書のやり取りをする、成績を入力する、通知表を自動作成するなどといった、未来の職員室を創りたいのです。力を貸していただけませんか」
と、熱い思いを伝えた。さらに、
「学校からお金を一切出すことはできない。すべて無償でやっていただきたい。その代わり、未来の職員室にするためのアイデアをどんどん提供する。アイデアが実現できれば、きっとあちこちから問い合わせが来て、商売繁盛となるはず」
と、一番言いにくいこともしっかり話した。
「三日待ってほしい」
という社長。やはり無理だなと思っていると、「やってみましょう」という返答。飛び上がるほど感激。ワクワク感は最高潮に達したが、冷静に考えると、校長には何ら相談していない。乗り越えなくてはならないのは校長。職員室にネットワークを張るには、できたばかりで汚れ一つない職員室のあちこちに穴を開けて、LANケーブル(このころは、無線LANはまだ開発されていない)を入れて、机上のコンピュータとつなぐことができるようにしなければならない。果たして認めてもらえるだろうかと心配しつつ、当たって砕けろ!の精神で、校長室へ出向く。
「校長先生、ご相談です。新校舎での勤務で、毎日ワクワクしています。そこで、日本で最先端の職員室にしたいのです。職員室に穴を開けて、LANケーブルでネットワークを作ります。教職員のコンピュータをつないで、情報のやり取りをします。学校のホームページも作って、毎日、『学校の今』を届けます。ネットワーク工事にあたっては、かなりの費用が必要ですが、ある社長さんに掛け合って無償で設備投資をしていただく約束も取り付けました。そこで・・・」
と、このように話していると、校長に止められた。
「玉置君、あなたが話しているネットワークやホームページのことは、一切わからない。どれほど聞いても、おそらく私にはわからないことだ」
という返答。これですべてが終わったと思った瞬間に、
「玉置君、一つだけ聞いて決断したい。あなたが描いている職員室は、近い将来、どこの学校でもそうなるのだね」
という質問が飛んできた。細かなことに全く触れず、こうした問いを投げかける校長の器の大きさに感服。「はい、間違いなくなります」と即答。「では、やりなさい。教育委員会には私の方で話をしておくよ」という許可が下り、数日後に、職員室のあちこちに、ドリルで穴を開ける作業が始まった。次のシーンは忘れられない。
校長が校長室から飛び出してきて「何をやっているんだ!」と怒鳴ったのだ。「校長先生、お許しをいただいた工事です」と返答すると、「なぜ穴をあちこちに開けるんだ。穴は一つじゃないのか!」という返しに「校長先生、穴を開けることはお話ししましたが、一つとは私は絶対に言っていません」と確認した。「言われてみればそうだ。穴は一つだと思い込んでいた」。これを耳にした時には、座りこんでしまうほどの失望感に襲われたが、ここからがこの校長のさらに器の大きいところだ。「この状況は教育委員会には伝えることはできない。気が付かれるまで黙っておくか(笑)。工事を再開すればいい」という決裁があり、無事、ネットワーク完成。
この逸話は、現在、教育界でいうところの「校務支援システム(教職員の仕事を効率化するネットワークシステム)」の開発が始まる前のことだ。約束通り、アイデアを教職員で提供して、毎日のようにプログラマーと会議をして、3年間かけて、自信をもって世の中に出すことができる「校務支援システム」が完成した。
現在、このシステムは校務支援システム「c4th」という製品として流通しており、日本で一番のシェアを誇っている。ちなみに会社(株式会社EDUCOM)の社員数も250名を超えている。
こうしたことになったのは、すべてあのときの校長の英断があったからだ。やはりリーダー次第なのだ。