辻中公の「やまとしぐさ」講座「ゴミは持ち帰る 」
日本は、「型」という変わらない「かたち」をそのまま伝承していることが多く あります。
お辞儀など所作法の型、食事の型、節供の型、言葉の型、お能など伝統 芸能の型などは、森羅万象の繋がりのお陰で生かされていることを感じ、心を育ん でいくことに繋がっていきます。
そんな「かたち」を知り丁寧に美しく暮らすことで、一心五心を育むことができます。
皆さんは、自分が外出先で出したゴミを家まで持ち帰っていますか。
たとえば、鼻を噛んだ紙、アメの包紙、噛んだガムを包んだもの、ペットボトルや空き缶など、自分が出したゴミは持ち帰る癖をつけるとよいでしょう。
私たちには、すべてのことが繋がっているという意識が根底にあります。モノと自分は共存しているのです。
使ったモノは元に戻す。出したモノは片付けることで、モノへの尊重の心や自分自身への責任感が培われます。
日本人は昔から自分の出したモノは持ち帰っていました。和服の袂に入れて持ち帰ったのです。
「袂」は、袖の下の袋状になった部分。成人式に着る振袖は床スレスレの長さですし、一般的な着物だと腰の辺りまであります。
「袂」は、モノを入れるという使い方もします。決まり事があって「右の袂」には使った後のモノを仕舞います。たとえば口を拭ったティッシュや、アメの包紙などです。
「左の袂」には、使用前のティッシュやきれいなものを入れます。
ポケットのような役割ですが、右は使用済みを入れ、左はきれいなものを入れるのです。
自分の使っ たものは自分で始末する。袂にしまう型が継承されています。
今は和服を着る機会は減っていますが、日常の暮らしの中ではゴミを入れることができるような、ビニール袋を携帯しておくとよいですね。
ゴミは持ち帰る、という意識があると暮らしに工夫が生まれます。
訪問先では特に気をつけたいものです。ペットボトルや鼻紙などを置いて帰るのは失礼なことです。
友人の家やセミナー会場、飲食店で、鞄の中のゴミを置いて帰るような人もいます。人間性はふとしたときに表れます。
他人に不快な思いをさせないことが大切です。
茶道のお稽古をしているとき、小学生の女の子が鼻をかみました。
先生のお稽古場で、ゴミ箱を探している様子の女の子に先輩が「私が預かりますね」と言いました。そして先輩は小声で「先生はゴミ箱の場所を教えてくれるでしょうが、ゴミを 先生のお家に置いて帰るのは失礼だから、私が持ち帰りますね」と続けました。
その様子を見て、その子は、同じように誰かのゴミを持ち帰る人になるのだろう、と思いました。
「持ち帰りなさい」ではなく、「私が持ち帰りますね」とおっしゃった先輩が格好良かったからです。
こうしなければいけないと諭すのではなく、先生のことも女の子のことも尊重している言動が、今でも目に焼きついています。
私の母は鞄に必ずビニール袋を入れていて、レストランで口を拭った紙ナプキン などを家に持ち帰ります。
「自分が使ったものを置いて帰るのは恥ずかしいことだ」 というのです。買ったものを入れるためにビニール袋やレジ袋を持つのではなく、 自分のゴミは自分で持ち帰るために持っている。同じものを持つのでも、目的は他 人と気持ちよく暮らすための行いでありたいです。
このような姿を身近に感じながら暮らせることは、なんとありがたいことでしょう。
日常の立ち居振る舞いがそのまま生き方になります。生きる姿で心を伝承していく。
いつか自分自身も誰かの手本となるように、日常の暮らしを美しく生きていきます。