コッペパンの思い出 (2006/10/15)

 春日井市にお住まいの小林和子さん(62)は、二人のお子さんに「食べ物を好き嫌いで残してはだめよ」と言って育てたという。ところが、そのご自身にもこんな思い出が…。

 昭和二十五年、小学校に入学すると小林さんを迎えたのはコッペパンと脱脂粉乳だった。当時の給食で育った人たちの間でいまだに語り草になる脱脂粉乳は、牛乳から乳脂肪分を除き粉末化したもの。これを湯で戻して飲む。独特のにおいが好まれなかった。このほかにも、好き嫌いの多かった小林さんは給食の時間が苦痛でたまらなかった。

 それはみんなも同じだった。先生は子どもたちに声を掛けた。「コッペパンをこうして半分に割って、軟らかいところをほじくり出します。は~い、かまくらの出来上がり」「端っこにも穴を開ければトンネルです」。みんな先生の手元を見つめた。次に、ほじくり出したパンの中身を粘土のようにして動物を作ってくれた。嫌いなおかずも、コッペパンの中にはさむと、食べられるようになった。

 ところが、ある日突然、先生が「今日からはパンで遊んではいけません」とおっしゃった。先生が自分のお母さんにしかられたというのだ。なんだかしょんぼりして見えた。教室の中は「大人になってもしかられるんだね」とざわついた。しかられている先生の顔が目に浮かんで悲しくなった。そして再び給食が嫌いになってしまった。

 その数日後のこと。みんなで先生の家に遊びに行った。先生のお母さんは、笑顔でおやつをいっぱい出してくれた。「先生のお母さん、ちっとも怖くなかったね」と誰かが言うと、みんながうなずいた。小林さんは、今でもあのコッペパンの味が忘れられないという。穴の開いた。