第29回 カウントダウンに耐えられない

平成29年2月27日、今後は無治療となることが決まった。いよいよ最期の日に向かってカウントダウンが始まる。だが、とりあえず自宅での看病・介護の生活は変わらない。少しでも食べられるものを工夫し、傷の手当をし、マッサージをする。そして、以前から決めていた愛知国際病院のホスピスに受診して、いつでも入院できる準備をしておく。母親が最期を迎えたところで、言葉にできないほど快適(?)だったからだ。

カミさんは、痛みが薬で抑えられている間は、信じられないほど穏やかだった。「死ぬ」のが怖くないのだろうか。何度も言う。「幸せな人生だった」「もうやりたいことはない」「二人で、いっぱい行ったね」「うちでみんなを呼んでやったクリスマスパーティ楽しかったね」と。これを達観と言うのだろうか。だが、私は辛くて仕方がない。もう気が狂いそうだった。私自身、体力的に限界だったことも、精神状態を脅かすことに輪をかけていただろう。

そんな時、家族ぐるみの付き合いをしている友人T君に電話をした。T君は数年前、奥さんをがんで失くしている。「うちは子供もいない。カミさんが死んだら、一人ぼっちだ。家の中でポツンと膝を抱えて泣いている自分の姿が目に浮かぶ。僕も生きていても仕方がない。もうダメだ」。すると、T君はこんな話を始めた。

「カミさんが死んだあと、僕はカミさんが生きられなかった分、生きたかった分、自分がその分を生きようと思ったんだ。僕たちはさ、亡くなった人には訪れなかった明日という日を生きているんだ。僕はカミさんのおかげで社会人としてやって来られた。鍛えてくれたんだ。それを最後に自分の死をもって、僕を強くしてくれたんだ。その教えを持って、これからも生きて行かなくちゃと思ったんだよ」

カミさんを失った先輩の言葉が胸の奥に響いた。さらに言う。「カミさんの法事で和尚さんに言われたことがある。『心の空いた穴は塞がりません。でも、その穴はあの世に行った人と通じる穴でする心の中にずっとあります。共に生きて下さい』って。肉体では接していないけど、今もカミさんは僕の心の中に棲みついて、いつも一緒にいる感じがする」と。ぼんやりだが、覚悟ができた気がした。そしてT君はこう続けた。「そのお寺にこんなことが書いてあったんだ『もっとも自分がみじめだと思った時こそ、自分がもっとも尊く生きた時』って」。納得できた。この6年間は、がんのおかげで尊く生きられたと。