第7回言の葉大賞入選作から(その5)
「今、ここに教育現場が在る」
一般社団法人「言の葉協会」では、全国の小・中学校・高等学校から毎年のテーマに合わせた大切な人への思いや強く感じた気持ちを自分の言葉で綴る作品を募集し、その優秀作品を「言の葉大賞」として顕彰しています。
そこで、第7回言の葉大賞の入選作品から、シリーズで紹介させていただきます。
「長生きの秘訣」熊本市立力合中学校 竹本 旺弘
僕は先日、職場体験で『つくし庵』という老人ホームに行った。そこでは入所や通所されている方々のお手伝いをさせて頂いた。ほとんどの方は八十代、九十代の方ばかりで、中には百歳をこえた方もいらっしゃった。初めは話が続くか心配だったが話は思いの外はずんだし、話かけてくださる方も結構いた。
その中に山西さんというおじいさんがいた。山西さんはすでに百歳をこえて、正確には百三歳になっていたが、耳はよく聞こえていたし、歩くのも自分で出来るので担当の方も、
「この人すごいでしょ」
と、にこやかに言っていた。何となく山西さんに、
「どうしたらそんなに健康で長生きできるんですか」
と、聞いてみた。すると、
「普通にいきるこったい」
と、意外な答えが返ってきた。その時は、ああ、そういうことかと思った。
家に帰って母に、その日山西さんに聞いたことを話してみると、
「普通に過ごすってけっこうハードル高いんだよね」
と、言った。
それで僕は、「普通」の意味を考えてみたが説明しろと言われると、よく分からない。そこで辞書で調べてみた。すると、意味の一つに「それがあたり前であること。そのさま」と、あった。自分にとって良いことも、悪いことも、うれしい日も悲しい日もいろいろあるけれど、それをあたり前であることと思い、自然体ですごすのは結構大変な事だと思う。だから、山西さんが言った「普通の生きるこったい」の一言は、今まで山西さんが過ごしてきた時間の全てを、大らかに受けとめていて、生きる力強さを感じた瞬間だったような気がする。
たぶん明日も山西さんは、普通に笑って、普通に会話して普通に過ごしていると思う。それが、長生きの秘訣だから。
「父とのキャッチボール」広島県立呉宮原高等学校 田中 晴雅
私の両親は、毎日忙しそうに働いている。母は、昼から夜にかけての仕事をしているため自分が学校から帰ってくる頃には、父しかいない。それを私は、さびしく感じることもあった。
中学三年生の時ぐらいから母の仕事が変わり、父がごはんを作ってくれることが増えていった。その時私は、反抗期の真っさかりな時期であったため、物事を素直に受けとめられなかった。そのため、父が作ってくれるごはんに対して不満を持つことが多かった。
ある時、私は父のごはんに我慢できなくなりこっそりと捨ててしまった。食べないといけないという葛藤が捨てても良いだろうという考えにその時はなっていた。そのことは、もちろん父に言えず黙ったままにしておこうと思っていた。
その日の夜中、ふと目が覚めてしまった。何でこんな時間に電気をつけているのかと眠いながらも思っているとそこには父がいた。こっそりと父の様子をうかがうと料理本を開いてメモを取っていた。料理本には、自分が捨てた料理が載っていた。私のために一生懸命頑張ってくれていた父の姿を見て、その後は眠れなかった。
翌日、父に自分のやったことを全て伝えた。それでも父の表情は変わらず、
「つらい思いをさせてしまったの。ごはんを通してキャッチボールしようや」
と言ってくれた。
高校三年生となった今、キャッチボールの本当の意味に気がついた。それは、コミュニケーションだということを。だからこそ、私は父に素直にいうことができる。どんなに速いボールのような文句を言っても父は受けとめてくれる。
父は、物静かで普段は私から話すまでは、話しかけてこないような人だ。しかし、あの言葉で、私と父がどんなときでもキャッチボールによってつながっている。
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