第7回言の葉大賞入選作から(その4)
「今、ここに教育現場が在る」
一般社団法人「言の葉協会」では、全国の小・中学校・高等学校から毎年のテーマに合わせた大切な人への思いや強く感じた気持ちを自分の言葉で綴る作品を募集し、その優秀作品を「言の葉大賞」として顕彰しています。
第7回言の葉大賞の入選作品から、紹介させていただきます。
「生きているということ」岡田 敏子
「ご主人が心肺停止で発見されました」Rホテルより連絡があった。平成15年1月13日。私の頭も心も身体も、この言葉に鈍い反応しかしなかった。救急搬送先の医師から、蘇生不可能を告げられた。この時、頭も心も働きを止めていた。その朝いつも通り出かけた主人が、家族の誰とも一言も交わすことなく、独り彼岸に連れていかれた。61歳。
この年であるから、お互い「死」というものを考えないではなかった。が、やはり、まだまだ猶予あるものと、高を括っていた。だから、リタイア後の楽しい余生を語り合うことが多かった。二人でやりたい事が山ほどあった。二人でやってきた事も山ほどある。なのに、突然、主人は無くなった。なくなるとは上手くいった言葉だと妙な所に関心した。
挑戦して苦しみ、達成を喜び、失敗を哀しみ、時には自分の腑甲斐無さに怒る。全て生きていてこそ味わえることだ。主人の「生」は終わり「無」になった。
それからずっと、私は無くなったものを追い求め、思い出をほじくって暮らした。悲しみ、嘆き、悔やみ、泣いて泣いて泣いて生きた。自分を憐み、そして、一年半以上も経って、生きている自分に気づいた。生きていることを不思議に感じるようになった。
「生」を受けたことが奇跡だと思う様になった。私もいつか「無」になる。二人の子供を残したとは言え、それはまた別の「生」。私は私が受けたこの「生」を感謝し、味わい尽くして終えなければならない。
自分の余命は知る由もないが、「生」のある限り、自分の身におこる全てを貪り生きようと思った。悲しみや辛さに、埋もれ、跪くことも全て生きていればこそ。全てを受け止め、味わい、全力で生きる。生きていることを認識し、実感して、大事に大事に、強く強く生きていこうと心の底から思うようになった。
「生きててよかった」私立清心女子高等学校 黒岡 結良菜
中学三年生のある日からクラス、学年全体からの私のいじめはどことなく始まった。いじめの内容はまるで小学生がするような事だった。物を隠してみたり無視してみたり。しかし、自分でも知らぬ間にあっという間だったのかもしれないが、より醜いものへと変化していった。
次第に私は教室にいるのも辛くなりお弁当を教室の隅で食べる事も難しくなった。他に食べれる所はお手洗いしかなかった。今思い返すと自分の事なのに他人の事のように思いたくなる時がある。もちろん、一人で耐えられなくなった私は当時担任をもってくれていた六十代ぐらいの男の先生に相談した。しかし、返答は信じられない言葉だった。
「全てお前が悪い」とう言われた時、私の中で何かが切れた。
何度も親に相談、助けを求めようと思ったが、親の悲しい顔を想像するだけで気が引けて誰にもいえなかった私は段々と追いつめられていった。
ある日、死について考えた。誰も私が死んでも困らないと考えてはいけないが考えた。学校であった事を全て日記に書いていたが、その日記を母に見られてしまったことがありそこからは親が私を守ってくれた。今でも親が私に言った言葉を覚えている。
「必ず、生きてて良かったって思わせる。」その言葉をきいた私は崩れ落ちた。その時、生きようと生きぬく力がよみがえった。
自ら命を絶とうとした私が今こうして生きていて、大好きな家族に囲まれている、生きてて良かったと心からそう思える。息が出来て、話が出来て、健康でこの時間を過ごせている事全てが幸せで生きる意味を教えてもらったし、毎日生きている事が奇跡なのだと感じる。
心の底から、生きてて良かった。
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