メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」トピックス№4「こんなスゴイ友達を紹介します!~新刊「私が一番受けたい「いのちの授業」」の著者・鈴木中人さん」

メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」トピックス№4
「こんなスゴイ友達を紹介します!
~新刊「私が一番受けたい「いのちの授業」」の著者・鈴木中人さん」

 ☆今の私があるのは、友人・知人・両親・親戚・先輩・同僚・心の師など大勢の人たちの「おかげ」です。いただいたたくさんの「御恩」を次の人へと
「送る」ために、新作や約3.000本のアーカイブスから厳選してお届けします。
名付けて「志賀内泰弘の恩送り通信」です。
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  友人が20年間続けて来た活動の集大成の本が、7月2日に発売になります。
「私が一番受けたい「いのちの授業」」ごま書房新社
です。今日は、その鈴木中人さんのお話をお届けします。
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「NPO法人「いのちをバトンタッチする会」誕生秘話(その1)
~そして彼は会社を辞めて新しい生き方を選んだ」
志賀内泰弘

苦難を背負った人は、その後、二通りの人生を歩む
人生、一度も苦難なくして過ごせる人は稀でしょう。
そんな中、入学・就職試験に落ちたり、仕事の成績が劣っていて出世できないのは、自分の努力不足が原因でしょう。
しかし、世の中には、不条理・理不尽な出来事が多々おこります。
例えば、病気や事故によるケガ。勤め先の倒産。地震などの災害。
これらは自分の力では避けることができません。
そんな出来事に遭ってしまった後、人は二通りの「生き様」に分かれます。

一人は、「なぜ、こんな不幸な目に遭わなくてはいけないんだ」と嘆き、儚んで自暴自棄になります。
悲しみから逃れるため、アルコール中毒になる人もいます。
働く意欲が失せ貧困に陥る人もいます。
もう一人は、「このまま腐っていても仕方がない。
もう一度頑張ろう」と再起をはかる人です。

私の周りにも、大病に罹ったり、肉親を亡くしたりしてもめげることなく、頑張っている友人が何人もいます。
以前よりも仕事に打ち込み、自らが経営する会社を成功させたり、出世したり。
ところが、そのどちらにも当てはまらない「生き方」を選んだ友人がいます。
私の親友・鈴木中人さんです。
彼は、人生において出世やお金を望むのではなく、「人のために役に立ちたい」と思ったのです。

娘の景子ちゃんが天国へ
鈴木中人さんは、娘の景子ちゃんを小児がんで亡くされました。
三歳のときに発病。幼い身にはとても辛く苦しい抗がん剤治療を受け、奇跡的に「治った!」と思ったのも束の間。
脳に転移さていることが判明し、家族は失意のどん底に陥ります。
やがて全身に転移し、痛みに苦しむ景子ちゃんの姿を目の当たりにし、中人さんは悶えます。
そして、わずか六歳で、景子ちゃんは天国へと旅立ちました。
中人さんは、その後NPO法人「いのちをバトンタッチする会」を立ち上げました。
「いのちの大切さ」と「家族の絆」を伝える社会活動団体です。
小・中学校などの教育機関だけでなく、企業にもその活動は広がり、30万人以上もの人たちが涙して中人さんの講演を聴きました。

なぜ、会社を辞めてまで
何冊もの著作をあらわし、ドキュメンタリー映画まで制作。
NHKのテレビ、ラジオを始めとして、数々のマスメディアでもその活動が取り上げられてきました。
でも、その実績は「今だから」素晴らしい!と言えるものです。
活動スタート当時は、不安のかたまりだったと推察しています。
中人さんは、(株)デンソーでは企画部門の管理職でした。
そのまま行けば安定し順調な会社生活と人生だったはずです。
なぜ、そんな地位と年収を捨てて、社会活動を旗揚げすることができたのか?
勤めながら、余暇に「できる範囲」でするという選択肢もあったはずです。

親友ゆえ、聞きにくいこともある。
でも、今回、あえてストレートに尋ねました。
「なぜ、会社を辞めてまで、「いのちをバトンタッチする会」を始めたんですか?」
原罪意識が根底にあるのです
中人さんは、私の問いに真正面から答えてくれました。

「その答は、一言で答えられるほど、簡単ではないのです。
実は、活動をスタートするまで10年の月日を要しています。
景子が亡くなって、それこそ10年もずっと、自分を責めて生きてきました」
「責める?」
「はい、景子が息を引き取った瞬間、『この子は私が殺した』と思ったんです。
その原罪意識が、私の原点になっているのです」

景子ちゃんが、完治の困難な種類の小児がんだとわかった時、「もし、命が助からないのであれば、苦しまずに安らかに天国に見送ろう」と決めたそうです。
ところが、中人さんの思い通りにはなりませんでした。
意識がない中、痙攣が止まらず、苦しみで唸る景子ちゃん。
安らかに・・・と願って担当医に「もう手を尽くしました。苦しみをとる以外の治療は止めてほしい」と頼みましたが、希望は叶いませんでした。
なぜなら、医療機関では当時も今も尊厳死となることを認められていないからです。
やがて、最期の時が近づきます。
あと2日か3日と告げられた時、苦しみを取り除くために大量の鎮痛剤を投与してもらいました。
これで二度と意識は戻らなくなるはずでした。
ところが、景子ちゃんは「お母さん、お母さん」と呻きながら呼んだのです。
医学的にはありえないことです。
中人さんには、その一言が「お母さん、苦しいよお。助けて」と聞こえたそうです。
「苦しまずに安らかに天国に見送る」ことができなかった。
最期まで苦しませてしまった。
自分が殺したんだ。
そのことが、「原罪意識」として、今も中人さんの心の奥深くに張り付いていると言います。

悲しみを心の奥に閉じ込める
景子ちゃんが天国に旅立った後も、中人さんは「原罪意識」を抱えてサラリーマン生活を続けました。
職場の仲間はやさしかった。
「頑張れよ」「大丈夫か?」「時が忘れさせてくれるよ」と気遣って声をかけてくれます。
でも、心の中で反発しました。
「どう頑張れって言うんだ」「大丈夫なわけがないだろう」と。

やがて中人さんは「この悲しみを理解してもらえるはずがない」と思い、悲しみを心の奥に閉じ込めようと努めます。
「もう大丈夫だ」と周りに見せるため、今まで以上に仕事に打ち込むようになりました。
中人さんいわく「装った」のでした。

「なぜ、罪もないこの子たちは死ななくてはならないのか?」
ある日のことでした。
三重大学病院で、小児がんの家族のために医療相談会があり、スタッフとして参加しました。
まだ、景子ちゃんが病気と闘っていた頃、中人さん自身も「相談者」として参加した会です。
プレイルームには、景子ちゃんのように髪が無かったり、片足を失った子どもたちが遊んでいる姿がありました。
「なぜ、罪もないこの子たちは死ななくてはならないんだ」と胸が苦しくなりました。
そして、景子ちゃんの苦しむ声がフラッシュバックしました。
「来なければよかった・・・」
ところが、会が始まり、景子ちゃんの闘病体験をみんなの前で話していた時、中人さんは「おや?」と心の中に変化を感じます。
健康な家族に恵まれている職場の人たちには、おそらく理解できないであろう、不幸な出来事。
それが、同じ体験をしている人たちの前で話をすることで、気持ちを分かち合える、心が楽になった気がしたのです。
原罪を背負い、閉じていた心が少しだけ、開いた瞬間でした。

今も心の中に子どもが生きている
「中人さんは、その後も小児がんの支援活動に携わりました。
そして、少しずつ相談会で話す機会を重ねていきました。
そんな中で、中人さんは、2つのことに「気づき」学びました。
一つ目。ある時のことです。
小児がんで子どもを亡くした親の話を聞いていた時、ハッとしました。
悲しい出来事であったはずなのに、なぜか「笑顔」なのです。
その後、注意して他の親の話を聞きます。
すると、やはり「笑顔」。
そうです。亡くなってはしまったけれど、今も心の中に子どもが生きているのです。
その時のことを振り返って、中人さん言います。
「自分もあんな笑顔になれるかもしれない。
景子は今も一緒なんだ。心が癒されて、前を向いて歩こうと思えました」

やがて、中人さんも、闘病中の家族の相談を受けるようになりました。
ここで、2つ目の大きな「気づき」がありました。
「自分の辛い体験が、今、悩み苦しんでいる家族に聞いてもらうことで役に立つんだ」
人のためにと話すことで、実は自分自身が救われたのだと言います。
マイナスの出来事の体験が、プラスに転じた瞬間でした。

ついに辞表を提出
ある日、中人さんの母親が脳梗塞で倒れました。
入所ができないかといくつかの施設を巡りました。
すると、そこには、年齢に関わりなく、さまざまな病気やケガの入所者を目の当たりにしました。
「死は、健康な自分には程遠いものかもしれない。しかし、今日、死んでしまうかもしれないんだ」
ここで、中人さんは思います。
「人生は二度とない。子供の分まで生きよう!」
そして決断し、会社に辞表を提出。
この時、47才。企画部門の管理職でした。
「景子の闘病、そして相談会での活動を通して、サラリーマンの肩書きというのは、ただの『上着』に過ぎないと思うようになっていました。
いずれ「脱ぐ」日が来るのだと」

情けは人のためならず
景子ちゃんが天国に旅立ってから、10年が経っていました。
我欲を捨てて、「人のために役に立ちたい」と志し、「いのちをバトンタッチする会」を立ち上げました。
中人さんは言います。
「はじめは、『人のため』なんて考えもしませんでした。
人のためになり、役に立っているとわかった時、『ああ、癒されているんだなぁ』と気付いたのです。
人の役にたつこと、そして、自分が癒されることはセット。
10年かけて自然に1つのものと考えられるようになったのです」
まさしく「情けは人のためならず」。人のために尽すということは、自分のためなのですね。

 日本全国で「いじめ」のニュースが伝えられています。
 自ら命を絶った子供たちがいます。
 どれほど辛かったか。
 どうして、そこまで追い詰められたのか。
 誰も手を差し伸べてくれなかったのか。
 ご両親は、どれほど辛いだろう。
 
 そう考えると、胸が引き裂かれるような思いがします。
 鈴木中人さんは、全国の学校や会社で講演を行い、親や子と一緒になって「命」について考える活動をしています。
その鈴木さんからこんなメッセージが届きました。
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自殺…。今、思うことをつづります。

 私は、生徒の自殺があった7校の中学・高校で「いのちの授業」をしました。
自殺を受けての教職員や地域の緊急大会での講演も。
全て、一見すると「普通」の学校・地域でした。
自殺者3万人時代。自殺は、いつでも何処でも誰にでも起こりうるものです。
「死にたい」「自殺をやめました」…、そんな声もいただきます。
何を心すれば良いのでしょうか?
 
 ある中学生のメッセージ。
「ある出来事で、死にたいと思うようになりました。親にも言えない。
なぜ自分は生きているのか。机の木に、爪で『死にたい』と毎日掘り続けました。
もう耐えられなくなって先生に話しました、泣きながら。
母に伝わります。母は目の前に泣き崩れました。
でも直ぐに私を抱きかかえて一緒に泣いてくれました。
『生きている』と実感しました。
今もそのことを思うと吐き気がします」。

「死にたい」と思う人の心は、絶望的な孤立感です。
自分は一人ぼっち、生きる価値がない、誰も自分のために涙を流してくれない…。
まず、「あなたは一人ぼっちではない」と体で感じてもらう。
そして、その人が背負っている重荷をなくしてあげる。
一刻も早く、時に毅然と。

 万一、自殺が起きたとき。
遺された家族は自分を責める、人知れず血の涙を流し続けます。
その人に石を投げないでください。
周りの人は、哀悼の意を示し、起こったことに真摯に、人間として向き合う。
その大人の姿を、子どもたちはみつめています。

 自殺は悪い。ただそれだけを教えないでください。
子どもに微妙な心の変化を生じさせることもあります。
「死ぬ奴が悪い」。大切なことは、困っている・弱い人にどのような目線をもつか。
あなたも友達も、かけがえがない・つながっている・愛されていることを実感させてあげてください。

「どんなことがあっても、お父さんお母さんよりも絶対に早く死んではいけない!」。
あなたの思いを、あなたの言葉で語ってください。
いのちは、かけがえがない。いのちは、自分だけのものではない。
遺された人は、いっぱい涙を流す。だから、いのちを大切にしようね、と。

小さないのちの思いが、涙する人に届きますように…。
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NPO法人「いのちをバトンタッチする会」について詳しくはこちらをご覧ください。
https://inochi-baton.com/

また、鈴木中人さんへの講演の依頼はこちらまで。
涙涙の感動のお話を聴いていただけます。
https://inochi-baton.com/contact/form_inochi/

新刊 私が一番受けたい「いのちの授業」
「いのちの授業」20年の集大成本。いのちを大切にする心を育むために、大人が子どもに教えること示し、大切にしたい「いのちの眼差し」を芽吹かせてくれる。
「いのち」と「幸せ」を育む感動の本です。
・鈴木中人著
・ごま書房新社(2024年7月)

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