メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」トピックス№11「七田厚さんの遺作「この父に学ぶ~七田式の原点」から、ちょっといい話」

メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」トピックス№11「七田厚さんの遺作「この父に学ぶ~七田式の原点」から、ちょっといい話」

☆今の私があるのは、友人・知人・両親・親戚・先輩・同僚・心の師など大勢の人たちの「おかげ」です。
いただいたたくさんの「御恩」を次の人へと「送る」ために、新作や約3.000本のアーカイブスから厳選してお届けします。
名付けて「志賀内泰弘の恩送り通信」です。
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2024年12月23日。
友人である株式会社しちだ・教育研究所の七田厚さんが、遠いところへ旅立ってしまわれました。
その七田さんとの関わりについては、当メルマガで先日、みなさんにもお届けしたばかりです。
亡くなられたとき、既に次の新刊がほぼ出来上がっていました。
そして、3月1日に、「この父に学ぶ~七田式の原点」が発売になりました。
なんともつらいのですが、これが遺作となりました。
七田厚さんと、「七田式教育」を作られたお父様・七田眞さんとのエピソードを現した本です。
今日は、哀悼の意を込めて、私が心に留めた「ちょっといい話」を転載させていただきます。
いま、子育てをされている方、また会社で部下を持っている方にはぜひ、お読みいただきたい一遍です。
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「本立てを買ってみたら?」  
父は若いころに小説家を志していたというだけあって、日常のなかにいつもドラマを探しているような人でした。  
ややもすると何事もなく漠然と流れていく毎日に、ほんの些細なことだけど印象に残るようなドラマを演出しよう、としていたような気がします。
子育てについても同じです。  
そうはいっても、つきっきりで、ああしろ、こうしろと口を出すわけではありません。  
普通の親が普通に工面できる時間のなかで、最大の効果を出す機会を狙っていたのです。
ときに思いつきのように見えることでも、後々考えると、生きていくうえでの大きな助けになっていたと実感します。  
日常は、心を育てるための物事にあふれています。
見逃したらもったいない。  
父はかぎられた時間のなかで、少しでも多くのことを体験させようとしてくれました。

英語塾の経営者として、地元銀行との付き合いも仕事のうちなのですが、父は自分が銀行を訪ねるとき、ときどき私を連れていきました。  
もちろん、込みいった商談などは一人で行きます。
でも、ちょっとした振り込みとか引き出しなどには、私がときどきついて行っていたのです。  
銀行とはどういうところで、どんなことが行われており、お金とはどんなふうに扱われているのか。  
そうしたことを早くから感じさせたかったのだと思います。  
私が小学校2年生のころ、いつものように父と二人で地元の銀行を訪ねました。  
用事を済ませ、銀行を出たところで、私は折りたたまれたお札が落ちているのを見つけます。
拾いあげてみると、二枚のお札が重ねて四つ折りになったものでした。
額面は200円。  
今ではすっかり珍しくなってしまった板垣退助の顔がデザインされた百円札です。  
銀行の目の前には横断歩道があり、その向こうに派出所があります。
父はそこを指差し、「こういうときは交番に届けるんだよ」と教えてくれました。  
父は私の手を引いて、交番まで連れていってくれ、事情を説明するように促しました。
 
お札を握りしめた子供が親に連れられてきたのです。
おまわりさんも事情を察して、「お金を拾ったのかい、ありがとう。落とした人も困っているかもしれないね」と頭をなでてくれたように覚えています。  
そこでお金だけ置いて帰ってもいいわけです。
少額の場合は実際にそうする人も多いようですが、父はあえて届け出をすることにしました。  
現金などを拾った場合、拾い主には2つの権利が発生します。  
一つは3カ月経過しても(当時は半年)持ち主が現れなかった場合、落とし物は拾い主のものになるというもの。
もう一つは落とし主が現れた場合、拾った金額の一定割合をお礼として請求する権利です。  
二つ目の権利については放棄したのですが、半年後に落とし主が現れない場合は200円が私のものになるようにすることにしました。
簡単な書類にサインなどをしなければならないのですが、父はできるだけ私に書かせました。  

半年後、200円は私のものになりました。  
同じ交番に行って、思いがけず、板垣退助の2枚の百円札を受けとった私。
何に使うのかはまったく考えていませんでした。
「その200円どうする?」
「うーん、貯金?」
「それでもいいけど、学級文庫の本を入れるスペースがなくて、本立てが必要だって言ってたでしょ? それを買ってみたらどうだろうね」
「200円じゃ買えないんじゃない?」
「お父さんが足りない分を出してあげるから大丈夫。きっとみんな喜ぶと思うよ」  
別に異存はありません。ただ、クラスのみんなに冷やかされるだろうな、という思いは子供ながらにありました。
 
早速、私は父といっしょに文房具屋さんに行き、本立てを買ってそれを小学校にもっていきました。
担任の先生に事情を話して本立てを渡します。  
そこで終わってくれてもよかったのですが、先生は「七田くんが拾ったお金を元に本立てを寄付してくれました」と全員の前で説明してくれました。  
思ったとおり少し冷やかされましたが、クラスメートたちは素直に喜んでくれたように思います。  

父はいつも「◯◯しなさい」と命令はしません。
このときも「本立てを寄付してみたらどうだろう」と提案しただけです。  
私が「お菓子を買いたい」と言っても、たぶん叱ったりしなかっただろうと思います。
ただ、わが子の性質をよく理解している父は、私が提案に乗ってくることを見越していたのだと思います。  

本当に小さなエピソードですが、当時のこの思いは今でも胸の奥にしっかりと残っています。
お菓子を買えば忘れてしまったかもしれないエピソードに、ドラマが演出されているので深く印象に残ったのです。  
ドラマといっても、何もクリスマスや誕生日に凝った演出をしようと言いたいのではありません。
もちろん、それも大切なのですが、ドラマは毎日のなかに隠れていて、信じられないような感動を生んだり、一生、忘れない印象として残ったりするものです。  
当たり前を当たり前と見逃さず、わが子とともにドラマを見つけだすことはとても豊かなことです。  
親のちょっとした提案で、日常のなかに自然にドラマを紡ぐこともあるのです。  
いつもと違うこと、人とは違うことを提示してみる。
すると、子供は何も教えなくても、何かを学ぶことがあるのだと、父との体験で私は知ったのかもしれません。  

高校時代に私はもう一度お金を拾います。  
通学路で自転車をのんびりこいでいたとき、折りたたまれたお札が目の前の路上で風に揺られているのを見つけたのです。
このときは五千円札と千円札が1枚ずつでした。  
そのままポケットに入れてしまうという発想はゼロ。  
これはやはり、小学生のときに父に手を引かれて交番に行ったという思い出があるからだと思います。
お金を何に使ったかまでが一連のドラマになっているので、忘れようはずがありません。  
高校生のこのときも、すぐに交番に届けに行きました。  

やはり、半年後にそのお金は拾い主の私のものになるのですが、どうやって使ったのか、何を買ったのかまったく覚えていません。
小学生のときの200円も、自由に使っていたとしたら記憶に残ることはなかったでしょう。  
こうした記憶が「僕のことを考えてくれている」「愛してもらっている」という思いにつながり、自己肯定感を高める助けとなってくれるのです。

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