池田則浩さん・世界一ヘタクソな合唱団(その2)

自分と非なるものを認め合う

「地球組」は、どうやって生まれたか?

 2000年6月4日、地球組は誕生しました。それは、名古屋青年会議所の委員長だった池田則浩さんは、50周年記念事業で何に取り組むかを仲間と模索していました。メンバーの多くは、ちょうど子育ての時期で、未来を担う子供たちのために何かしたいと考えました。モンゴル共和国に出掛け、当時に問題になっていたマンホールチルドレンの支援を行いました。池田さんたちは、帰国して気付きます。足元の愛知県だけでも、五千人も障がいを持つ子供が養護学校で学んでいることを知ります。その他にも、さまざまな困難を抱える子供たちがいることにも。
 どうしたら、手を差し伸べられるだろうか。そうだ!音楽なら、障がいや言葉の壁の垣根を越えられるに違いない。そこで、普通の人も身体や知能に障がいがある子も、国籍が違う子も、勉強が優秀な子も苦手な子も、音楽が得意な子も音程を理解できない子も、一緒に手を携えあい、共に生きる地球の仲間「少年少女合唱団 地球組」を作りました。

池田さんが活動を引き継ぐ

 2003年で名古屋青年会議所としての事業は終わりました。その後、言い出しっぺの池田さんは、「地球組」の活動をなんと個人で引き継ぎ、市民団体として独立させました。資金のこと、時間のこと、幾多の問題があつたはずです。実際、毎年、ポケットマネーから多額の活動費の補てんをしています。池田さんに尋ねました。「なぜ、こんな面倒なことを続けられるのですか」と。
 「そう言われても困ります。だって、みんなの笑顔を見るのは楽しいんじゃないですか」
 そう純粋に答えられると戸惑います。まるで自分の心が濁っているような気がして。でも、さらに尋ねます。「止めようかと思ったことはありませんか」と。
 「地球組の活動を社会のためにできるのが、私にとって一番、幸福だと感じる時なのです」
 設立当初から、二人のお子さんと奥さんも活動に参加し、まさしく家族ぐるみで取り組んでいます。

私の大好きなお姉ちゃんだよ

 そんな池田さんは、どんな瞬間に幸せと感じるのか。こんなエピソードを紹介しましょう。
 小学低学年の姉と妹の二人が、ある時、地球組に入って来ました。お姉さんは知的障がいがあります。登校する時、一緒に家を出ますが、妹は友達からこう言われたそうです。
 「あんたのお姉ちゃん、変」
 そんなことが続き、やがて妹は「お姉ちゃんと一緒に学校へ行きたくない」と言い出しました。親としては、これほど悲しいことはありません。親はいつか老います。将来、健常の妹に姉の面倒を見て欲しいと期待をかけていたからなおさらです。
 地球組に入って練習するうちに、妹は気付きます。お姉ちゃんよりも、もっと著しい障がいを持ったメンバーがいることに。そんな障がい者が、健常者と一緒に歌っていることに驚きます。
 時が経つにつれ、妹の心に変化が現れました。ある日、両親に言い出します。
 「わたし、お姉ちゃんと一緒に学校へ行く」
と。友達から、からかわれても、
 「私の大好きなお姉ちゃんだよ」
と明るく答えられるようになったのでした。

池田さんからのメッセージ

 池田さんは、こう語ります。
 「あの子が邪魔だとか、あの子がいなけりゃ、もっといい音楽ができたのに、などと地球組の仲間は思いません。障がいがあっても、お互いを認め合うことができるのです。大きな話になりますが、このことは世界中で起きている問題と関係があると思います。異民族だからとか、異なる宗教だからという理由で他人を排除しようとすると戦争がおきます。自分と違うものを排除するのではなく、認め合うこと。自分と非なる人が喜んでいるときに、一緒になって喜んであげられる。その瞬間に立ち会えることが一番の幸せです」

 地球組に子どもの時から参加して大人になると、国籍やハンデなどで人を差別しなくなると言います。設立当初から地球組に参加していたメンバーの一人は、愛知教育大学に進学し、特別支援学級の教諭になりました。今では地球組の活動を支える重要なスタッフだそうです。池田さんのDNAは間違いなく、次の世代に受け継がれています。例えそれが牛歩の如きであっても、世の中を変える力になると信じます。

―問い合わせ先―  
地球組代表 池田則浩さん
〒456-0027 愛知県名古屋市熱田区旗屋2-1-5 ユーハウスB-8K
TEL/FAX 052-681-8757
E-MAIL chikyugumi-ikeda@mediacat.ne.jp