「心に沁みるエッセイ(その2)友人の母に捧げるバラード」

「心に沁みるエッセイ(その2)友人の母に捧げるバラード」

日本講演新聞(旧みやざき中央新聞)の水谷もりひと編集長から「うちの特派員で、なかなかいい文章を書く人がいるので、応援してもらえませんか」
と頼まれました。
愛知県在住の山本孝弘さんです。
実は、一度お目にかかったことがあったのですが、あまり記憶がありませんでした。そこで、すぐにアポを取りゆっくりお話を伺うと、話がメチャクチャ面白い。そして、文章も秀逸。
「本を出しましょうよ!」
と提案し、出版社の社長を紹介したのが、2020年の2月のことでした。すると、社長が原稿を一読して、「行きましょう!」と即決。
その本が、出来上がって来たのですが、「明日を笑顔に」(JDC)です。サブタイトルは「晴れた日に木陰で読むエッセイ集」。
そこから、志賀内お気に入りのお話を紹介させていただきます。
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「友人の母に捧げるバラード」
山本孝弘

先日、ラジオから海援隊の「母に捧げるバラード」が流れてきた。武田鉄矢さんの博多弁を聴いていたら、僕は突然ある博多の母を思い出した。
大学時代に親しい先輩がいた。名前はテツヤだった。妙に気が合い、いつも連れ立って遊んでいた。二人でテレビ番組に出場したこともある。
大学を出た後もお互い東京にいたので学生時代と変わらずよく一緒に飲んでいた。だがしばらくすると、テツヤさんは会社を辞めて博多に帰る決心をした。東京生活が淋しくなるなと思った。
ある朝、僕がバイトに行く支度をしていると部屋の電話が鳴った。
「今、東京駅におるったい。いよいよ東京を卒業するばい」
あれ、今日だっけ? 帰る日はすっかり忘れていた。二人でやったくだらない思い出を散々話した後、間を置いて彼がふいにこう言った。
「おまえ、今までありがとう。それば言いたいけん電話したったい」
その言葉が胸を打ち、不覚にも急に涙が出てきた。自分でも驚いた。
「なん泣きようとや?」彼はそう言って笑った。
当時は携帯電話も全く普及しておらず、SNSもない時代だった。日が経つに連れて、彼とは次第に疎遠になっていった。
仕事で失敗した日のこと。部屋で一人でお酒を飲んでいた時、何年振りかに彼の博多の家に電話をしてみようと思った。電話にはお母さんが出た。
「テツヤはまだ帰っとらんとよ。悪かね」
僕がお礼を言って受話器を置こうとした時だった。
「ちょっと待ってん! 山本さんってゆうたばってん、学生時代にうちに遊びに来た山本くんやないと?」
「覚えていてくれたんですか!」と僕が言うとさらに捲し立てられた。
「当たり前やないね! 何で黙って切ろうとするとね。ほんなこつ冷たかね。元気にしとう? あんた愛知に帰ったと? まだ東京におるとね。ちゃんと栄養のあるもんば食べよう? お酒飲み過ぎとらんめえね!」
そんな温かい方言を聞いていたら、ふいに目頭が熱くなってきた。
優しさが溢れ出るようなあの博多弁が今も耳の奥に残っている。

「明日を笑顔に」(JDC)

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