花咲か先生の学級日誌(第6話) 「『ポン・パ』を教えてくださったもう一人のお師匠さん」

「『ポン・パ』を教えてくださったもう一人のお師匠さん」

私の小学校入学式。東井義雄校長先生が迎えてくださり、卒業するまでの六年間、教えを受けた。
一度しかない自分の人生を粗末にしないように繰り返し教えてくださった東井先生。初めて出会ってから五十年、亡くなられて三十年経つが、ずっと私を導いてくださるお師匠さんである。

「俺も、なかなかやるなあ」
私には東井先生以外に、もう一人のお師匠さんがいてくださる。
私が小学六年生の夏、「西村君、水泳大会に出てみないか」と誘ってくださったのが、そのお師匠さんである米田啓祐先生。当時、青年教師であった。
勉強も好きでない、運動も苦手、山や川で遊びまくっていたので泳ぐことだけ得意。そんな私を見ての一言である。
全く自信はなかったが、言われるままに夏休みの水泳練習に参加した。
二十五メートルプールを何度も泳ぐ。ひたすら泳ぐ。雨が降って寒ければプールサイドのドラム缶に火を焚いて暖をとりながら泳ぐ。
「今日は遠泳をします」そう言われて、プールをグルグルと一キロ泳ぐ。
夏の終わり、水泳大会に平泳ぎで出場。
緊張がピークとなり、どう泳いだのか覚えていないままゴールすると三着。
決して速くは泳げなかったが、ゴールタッチをした感触とその時の思いを今でも覚えている。「俺も、なかなかやるなあ」と。初めて自分を自分で認めた瞬間でだった。
遠足では隣町の出石まで往復三十キロを歩いた。この遠足を企画したのも米田先生。ヘトヘトになりながら帰校したが、やはり「俺もやる時はやるやん」と思った。

ぶつぶつ言う前に
運動会では、こんなことがあった。
今みたいに天気予報が当たらない時代。翌日に控えた運動会の準備をしていると雨が降ってくる。
濡れたグランドを乾かすために水たまりに雑巾をあて、水気を拭き取りバケツに絞る。これを繰り返しグランドの水たまりがなくなりかけてきたと思うとザー。
「しつこい雨だな、いい加減にせえよ」と友だちと文句を言い合っていると、私たちの気持ちを見透かすかのように運動場に放送が流れる。米田先生の声だ。
「雨が降ったからと言って天に向かってぶつぶつ言うな。雨の日には雨の日の生き方がある」
思わず友だちと顔を見合わせた。恥ずかしかった。それから、この言葉は、自分の都合通りに行かなかった時に思い出される。「ぶつぶつ言う前に、できることはないのか…」と。
こうして、自信がなく未熟な私を、米田先生は少しずつ導いてくださった。
それから十年後、私は地元で小学校教師になっていた。
情熱だけはあったが、教師としてうまくはいかず、「雨が降ったからと言って…」の米田先生の言葉を忘れたかのように同僚と居酒屋で愚痴っていた。
ドラマみたいな話であるが、その時、ちょうど私の後ろを米田先生が通られたのだ。そして、声を掛けてくださった。
「西村君じゃないか、久しぶりだな。君は、小学校の時、水泳をしていたね。今、私は、但馬水泳協会を立ち上げて、子どもたちに水泳を勧めているんだ。手伝ってくれないか」と言われ、その日から退職までの約四十年、お手伝いをさせていただいた。

「鉄鉱石」のような人
水泳大会についての連絡が米田先生から来る。それと一緒に米田先生発行の通信が入っており、そこには米田先生の思いが載っていた。
よく「何でも素直に吸収するスポンジのような人」と言われるが、当時の私は「何でも素直に受け取らず跳ね返す鉄鉱石」のような人であった。
たとえば職員室で先輩が「西村さん、あなた、机に本を積み過ぎて、隣にも向かいにも邪魔になってるよ。気づかない?」と言われると「教師は研修第一。本は命です」と片づけない自己都合を述べ、改善しようとしない。
そんな私だから米田先生の教えもすぐには入らなかった。
しかし、米田先生が弛まずお伝え下さったので、情熱しかない不器用教師の心を少しずつ少しずつ、ほぐしていってくださった。
その後、米田先生に声を掛けていただき、読書会を始めた。
輪読後、最近読んだ本の紹介をするのであるが、私は、同じ傾向の本ばかりを読んでることに気づいた。
ところが米田先生の読まれている本は、教育、宗教、人生論、詩、漢文と幅が広い。その理由をお聞きすると「他の人から紹介された本を読むようにしている」とおっしゃった。
この素直さなのである。鉄鉱石の私ではあったが、同じように友人知人のお勧めの本を手に取るきっかけとなった。
この読書会の立ち上げの後、掃除の会も始め、ともに現在まで続いている。米田先生も参加してくださっている。
また、私が友人と始めた教育サークルにも「私のような者がお邪魔して悪いですね」とおっしゃり参加される。
今もプールで泳ぎ、様々な会に出席し、読書をされ、文章を書かれ、地元の儒学者の研究をされ、その講義をされる。
八十三歳になられても行動することを止められない。

ポンと心にスイッチを
そういえば、小学生の時、米田先生に教えていただいた言葉に「ポン・パ」があった。
ちょうどその頃、日立が「ポンとスイッチを押すと画面がパッと出てくる」テレビを宣伝して、この言葉が流行っていた。
米田先生は、それを「ポンと心のスイッチを入れ、パッと行動しよう」というように教えてくださった。その教えを米田先生ご自身が今もなさっておられるのである。
私は、現在、子どもへの学習サポート支援として「スローウォーク」という放課後等デイサービスに取り組んでいる。
学習サポートといっても子どもの成績を伸ばすために取り組んではいない。
その子に合った学習方法を選ぶことで今まで出来なかった学習ができるようになり「私もまんざらではないなあ」という気持ちを育てることを目指している。
また、ポンと心にスイッチを入れパッと行動できる子どもを育てたいと思っている。
米田先生の教えが今も私を動かし、今も米田先生と一緒に活動させていただけることが、私にはたいへんに有り難く思える。