当たり前のことを当たり前じゃない情熱でやりぬく

私が一番受けたい「ココロの授業」
比田井和孝

「当たり前のことを 当たり前じゃない情熱でやりぬく」

昨年、私は憧れの百崎敏克先生とお会いすることができました。百崎先生は、四年前の夏の甲子園で優勝した佐賀北高校野球部の監督。夏の大会で公立高校が優勝したのは十六年ぶりだったそうです。
決勝戦は劇的な試合でした。佐賀北高校は後攻で、八回表まで〇―四で負けていたのですが、実は、相手のバッターはバンバン打っていたので、もっと点を取られていてもおかしくない展開。佐賀北ナインが鉄壁の守りでファインプレーを続出し、なんとか四点差に抑えていたのです。猛攻をしのぎ続けてきた佐賀北は、八回裏に一点返した後、逆転満塁ホームランで優勝しました。
百崎監督は、優勝の要因についてインタビューされ、「時間を守る、靴をそろえる、勉強もしっかりやる。そういった生活面をしっかりしたからだ」と語り、記者からは「それだけですか?」と何度も質問をされていました。さらには、「練習の三分の二は体力づくりと基礎練習、残りが実戦練習。実戦練習を削ってでも、体力づくりと基礎練習は必ずやります。平日は打撃練習もしません。」と答え、「本当ですか? 普通は実戦練習にもっと力を入れるのではないですか?」と驚かれていました。
基礎練習ばかりだった佐賀北は、県大会前までは、試合でなかなか勝てませんでした。練習内容に不満を持った部員からは、「実戦練習を増やしてほしい」と文句が出てきますが、主将は「まずは、目の前のことをしっかりやろう」と、ひとりひとりに声をかけ続けたそうです。
実は佐賀北高校は、甲子園で決勝戦までに「引き分け再試合」があり、相手チームよりも一試合多い七試合を戦っています。しかも「引き分け」は十五回まで行っています。暑い夏の日に連日の試合で普通なら決勝戦に来る頃には選手はみんな疲れ果てているはずです。
ところが、佐賀北ナインは決勝戦当日、さほど疲れも見せず、集中力が切れることもなくファインプレーを続出しました。佐賀北がずっと取り組んできた、「体力づくり・基礎練習」が、最後の最後に彼らを救ったのだと思います。基礎練習は、実践練習に比べればおもしろくないかもしれませんが、そういう基本的なことが大事なんですね。まさしく、佐賀北ナインは「至誠を貫いた」と言えるでしょう。「至誠」とは、「普段やるべきことに対して、真剣に、誠意を持って取り組むこと」です。彼らは、毎日の生活でも、練習でも、当たり前のことを、当たり前じゃない情熱でやりぬいたのです。
当り前のことや基本的なことを地道にやっても、実際にはすぐには結果が出ないものです。でも、諦めずに至誠を貫くことで「底力」がつき、人生の大事なところで、みなさんを救ってくれるのですね。
ところで、百崎監督は、以前、佐賀県立神崎高校で、部員わずか十三人の野球部の監督をしていました。百崎監督がいくら気合を入れても、ほとんどの選手が「甲子園なんて無理」と言う中、一人だけ、「絶対に甲子園に行く!」と言っていた選手がいました。控えの選手でしたが、何事に対しても一生懸命な子でした。野球の練習はもちろんのこと家では手伝いをし、歳の離れた弟の面倒を良く見て、勉強も熱心で、成績は1、2番。いつも笑顔で正義感が強く、仲間から好かれていた彼を、百崎監督は主将にしたいと思っていました。
ところが、そんな彼が2年生の夏、自らの手で命を絶ちました。百崎監督は本当にショックだったそうです。「もう、何をどう考えればいいのか…理想の子だった彼が自分の手で命を落とすなんて…子どもたちをどう育てればいいのか、わからなくなってしまった…」。
あとでわかったことですが、彼は勉強ができたために、親戚や家族の期待が大きく、本当は野球をもっと頑張りたかったのに、それができなかったとか…。百崎監督は「『いい子』と言われると、真面目な子ほど期待に応えなきゃいけないと思うから。…本当は彼も、もっと甘えたり、ワガママを言ったりしたかっただろうに」と言っています。監督を辞めたくなるほど辛かったそうですが、それでも逃げずに頑張った結果、神崎高校に来てから八年目に、甲子園への切符を手にしたのです。
「あの子のおかげで、選手に対する見方がまったく変わりました。それまでは、『なんでも言うことをきく、お利口さんに育てよう』と思っていました。でも今は、『短所』があって当然、それが本当の子供の姿。逆に、何も『短所』がない子の方が心配。人って、いろんな人に迷惑をかけながら成長していくものでしょう。」と言っています。ですから、日誌を出さない選手、監督のサインを無視する選手、試合中に興奮して相手チームの選手を突き飛ばしてしまった選手がいても、「なんだ、こいつは!」とは思わないそうです。もちろんちゃんと叱りますが、でも、「そういう部分があってもいいんだ」と思えるようになったのです。
佐賀北高校が優勝した時、レギュラーだったある選手もその筆頭で、何度もぶつかりましたが、試合では数々のファインプレーで、チームの窮地を救いました。その彼が、卒業式では「素直になれなくてすみませんでした…」とボロボロ泣いたそうです。百崎監督の「見放さない心」が彼をそうさせたのでしょう。
百崎監督から、「至誠を貫く」「見放さない心」を教えていただきました。親として、教師として、とても勉強になった出会いでした。