父をカッコイイと思った瞬間_

長野県上田市発 「比田井美恵のココロの授業」

私がまだ独身で両親と同居していた、ある年の十二月二十九日、夕方六時過ぎ、私に一本の電話がかかってきました。相手は神奈川県で働いていた頃の同期の男性二人。もう何年も連絡を取っていない人でした。
「今日、長野県に来てスキーをしていたんだけど、帰ろうと思ったら車がまったく動かない。猛吹雪で、周りにはもう誰もいない。助けてほしい」とのこと。

早速、手当たり次第、車屋に電話をしてみたのですが、年末の夕食時とあって、みんな自宅で一杯飲んでいて、仕事ができる状態ではありません。それでも父が頼み込み、人の良い車屋さんが、四〇キロ離れたスキー場までなんとか行ってくださることになりました。
横殴りの猛吹雪の中、二時間かけてスキー場までたどり着くと、車屋さんは、私達に温かい車中で待機するよう言い残し、雪まみれになりながら、必死で修理をしてくれたのです。しかし、いつまで経っても車は直りません。やむなく私の家まで牽引してくることになり、またしても、猛吹雪の中、やっとの思いで自宅に着いたのが夜中の二時。正直私もクタクタでした。

 そして、自宅のドアを開けて驚きました。いつもなら、どんなに遅くても夜一〇時にはグーグー寝ている両親が、笑顔で迎えてくれたのです。
「お帰り! お疲れ様! さぁ、早く中に…。」
 暖められた部屋にごちそうの山。お風呂も布団もしっかり準備してくれてありました。もう六十歳を過ぎた両親の久しぶりの夜更かし…。きっと体も辛かったでしょうに、そんなそぶりも見せず、優しく声を掛けてくれたのです。私は涙が出そうでした。
 男性二人は…と見ると、もう疲れ果てて会話をする元気もなく、その夜は倒れこむように寝ると、翌日は車も直り、元気に神奈川に帰っていったのです。

 ところが、帰ったその日…待てど暮らせど、「無事着きました」の連絡がないのです。両親も気に掛けていて、「ちゃんと着いたかねぇ…」と何度も口にしていたのですが、私たちが彼らの無事を知ったのは、数日後、車屋のおじさんから、「ちゃんと支払いが済みましたよ」と聞いた時だったのです。
 私は、両親に申し訳なくて言いました。
「お父さん、ごめんね。あんなに良くしてくれたのに、何も連絡してこないような友達で…。」
父は、穏やかな笑顔で言いました。
「『かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め』という言葉があるだろう。人に何かしてあげたからといって、お父さんは何も見返りを期待していないから、いいんだよ。」
…私は、自分が恥ずかしくなりました。なんて心が狭かったのでしょう。

そう言われて思い浮かべた父の行動の数々…。
例えば「高校訪問」。父は、私の勤務先の専門学校の校長なのですが、県内・近県の高校百校以上を、年に八回ほど訪問しているのです。百校全部まわると、三週間近くかかります。日によっては、四百キロも一人で車を運転し…しかも、「高速道路代がもったいない」とすべて一般道。日によっては、朝五時半に学校を出て、とにかく高校訪問を続けているのです。
そんな苦労をして足繁く通っても、中には今までに一人も卒業生が当校に入学していない学校もあります。でもそんな時、父は言うのです。
「生徒が来ようと来まいと関係ないよ。自分がやるべきことを、ただやるだけだから…。」
…そんな父から出た「見返りを期待しない」の言葉は、日頃の行いとまさに一致していて、父がとても格好よく見えた瞬間でした。
 この時の父の言葉と表情は今でも忘れられません。