周りの人を幸せにする「ごめんね」
私が一番受けたい「ココロの授業」
比田井美恵
~周りの人を幸せにする「ごめんね」~
私が小学校1年生位…ちょうど、乳歯が生え変わっていた頃、一冊の本を読みました。そこには、
「抜けた歯を枕元において寝ると、夜中にネズミが取りに来て、代わりにプレゼントを置いていってくれる」
という一文が。自分の歯も早く抜けないかと、毎日楽しみにしていたところ、ついに一本抜けたのです。私は、もちろん枕元に歯を置いてワクワクしながら寝ました。
翌朝、いつもより早く目覚めた私は、枕元を見ました。ところが、私の歯は置かれたまま。
「…ネズミさん、来てくれなかったんだ…」
…ショックを受けた私は、泣きながら母に言いました。
「昨日、歯を枕元に置いて寝たのに、ネズミさんが来てくれなかった…」
すると、母は言いました。
「そうだったの? ごめんね。お母さん、美恵が歯を置いて寝たなんて知らなかったから、玄関も裏口も、みんな鍵を閉めて寝ちゃったの。だから、きっと、ネズミさん、入りたくても入れなかったんだと思うよ。ごめんね、お母さん、悪いことしちゃったね。今夜は、裏口の鍵を開けておくから、もう一度、枕元に置いて寝てみたら?」
私は母の言葉に半分納得し、でも半分は疑ったまま、その日の夜も、枕元に歯を置いて寝ました。すると翌朝、枕元にプレゼントが置いてあったのです!
「やっぱり、ネズミさんが来てくれるっていうのは本当だったんだ!」
私は、喜び勇んで母にプレゼントを見せに行きました。
「お母さん、見て見て!ネズミさんが来てくれたよ!」
母は、ニコニコして言いました。
「そう~。良かったね。昨日は鍵を開けておいたから、ネズミさんも入って来れたんだね! 良かったね!」
…最近になってこのことを思い出し、母の優しさに、なんだか胸がアツくなります。もしも、私が母の立場だったら、「ネズミさんが来なかった」と子供から聞いた時、とっさに「ごめんね」なんて言葉が出てくるんでしょうか? …自信ありません。…というよりも、きっと、思いつかないと思います。せいぜい、「歯が枕の下に隠れていて、ネズミさん見えなかったんじゃない?」とか、「寝る前に大きな声で『ネズミさん、お願いします』って言った?」とか、とにかく、ネズミか息子のせいにしてしまうと思うのです。
それを自分のせいにして、「ごめんね」と言える母…。まったく心の準備もない状態で、突然言われたのにもかかわらず、すぐに「ごめんね」と、自分のせいにして、子供を傷つけないように…夢を壊さないようにと温かい言葉をかけてくれた母…。自分が母親となった今、改めて母の偉大さに頭が下がります。
母の「ごめんね」で、こんな話を思い出しました。
Aさんの家は毎日ケンカばかり。Bさんの家は平和で仲良し。Aさんは不思議に思って、Bさんに聞きました。
「どうしてあなたの家は、そんなに平和なんですか?
ウチは、毎日ケンカばかりですよ」
するとBさんは答えました。
「Aさんの家は、善人が多いんですね。」
…Aさんは、わけがわかりません。そんな時に、Bさんの家の中で何かが割れる音がしました。
「パリーン!」
すると、Bさんの奥さんが言いました。
「私が、置いてあった茶碗を蹴ってしまいました。ごめんなさい」
さらに、Bさんのお姑さんが言いました。
「片付けなかった私が悪いのよ。すまなかったねぇ」
Aさんは、そこで、初めて「あなたの家は善人が多い」の意味がわかりました。
Aさんの家は、みんな「自分が正しい=自分が善人」…つまり、「私は間違っていない」と思うんですね。だから、きっと、Aさんの家の茶碗が割れたら、Aさんの奥さんは「誰がこんなところに茶碗を置いたの?(私は悪くないのに!)」と言っていたことでしょう。
Bさんの家は、何か問題が起こると「自分が悪い」と、みんなが自分の責任を引き受けあうんです。
…Bさんのような家庭だったら、確かにケンカも起こらないことでしょう。温かで、穏やかで、和やかで。…そんな家庭に憧れてしまいます。この話をしてくださった方は、「そんな家庭になるためには、まずは、誰かが始めることが大切です」とおっしゃっていました。最初はなかなかそんな雰囲気にならなかったとしても、家族の誰か一人がくじけずに、何かあった時に「ごめん、僕が悪かったよ」「僕がこうすればよかった…」と言い続けていると、少しずつ、少しずつ周りの人に広まっていくんです。だから、誰かが勇気を持って、「ごめんね」を始めなければいけないんですね。家庭でも、職場でも。
何かもめ事が起こった時に、先に「ごめんね」と言ってしまうと、自分が「負け」のような気がして、なかなか言えない、と言う人がいます。「ごめんね」に勝ち負けもないとは思うのですが、もしかしたら、先に「ごめんね」を言える人のほうが、人間的な大きさとしては「勝ち」なのかもしれません。そして、そういう人こそ、「周りの人を幸せにする人」のような気がします。実は、母は、そんな心を持った人だったのかも…なんて思います。
今度は私の番です。私が勇気を持って、「ごめんね」を言う番です。母から教えてもらった、周りの人を幸せにする「ごめんね」…そんな「ごめんね」が自然と言えるような母親になりたい…と思います。