思い出の事件簿 平成25年1月号

思い出の事件簿 平成25年1月号

今でも無罪と確信している奥さん殺し

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この事件は、かなり昔、地方都市で発生した事件です。
事業を営んでいる夫が、奥さんを殺したということで、逮捕されました。
テレビのニュースでも葬儀の様子などが報道され、逮捕されることになった夫の姿も、映し出されていました。

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報道後、まもなく夫が逮捕されました。テレビ、新聞などで報道され、「ああそうだったのか。」と思っていた矢先、友人の弁護士が「一緒に担当してくれないか。」と誘ってきて、2人で弁護することになりました。
その頃、私は刑事事件を多く手がけており、否認事件も担当していたことを知っていた友人が誘ってくれたのです。

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受任後、私は友人と交代で、ほぼ毎日警察署へ面会に行き、本人から色々事情を聞き、これはどうも冤罪ではないかと思いました。連日面会を重ねた結果、奥さん殺しは冤罪だ、と確信しました。
勿論、本人も取り調べに対して否認し続けていました。取り調べは、連日午前9時頃から、夜遅くまで続きました。

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原則48時間(最大72時間)逮捕され、まず10日間の勾留(被疑者もしくは被告人を刑事施設に拘禁することです。新聞ではよく「拘置」と表現することがあります。)、さらに10日間の勾留延長がなされます。
勿論、被疑者は否認していました。ところが、逮捕されて17,8日目頃から、彼の様子がおかしくなってきました。
「担当検事さんがとても親身になってくれて、毎日家内のために拝んでくれている。」、「検事さんのためにも、奥さん殺しを認めようと思う。」と言い出したのです。
私もこの変化には驚きました。本当に奥さんを殺したのなら、それは当然認めて罪を償うべきだ、と思っていたので、私は、「本当にやったなら、認めて下さい。しかし、本当にやっていないなら、絶対認めてはいけないですよ。」と言いました。
しかし、彼は、「絶対やっていません。しかし、検事さんに良くしてもらっているので、やっていないけど、やったと認めても良いです。」と理解不能な理屈を言うようになったのです。
彼の言動・顔つきも一見して変だと感じました。目の周りも隈ができて、げっそり痩せた印象でした。

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そして、ついに彼は、奥さんを殺害したと自白するに至ったのです。私は、面会の時に自白したことを告げられ、驚いて「本当にやったのですか。」とあらためて尋ねました。ところが、「本当はやっていません。」と答えるのです。私は「それなら認めてはいけないでしょう。もし噓の自白をしたら、永遠に真犯人は見つからないですよ。」と言いました。
しかし、一旦自白した以上、自白の撤回は難しく、そのまま起訴に至りました。

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一般的に考えて、人間は長時間の取り調べによって、本当はやっていないのに、やったと自白するものだろうか、と不思議に思われるでしょう。この点について、以前ベテランの刑事が、テレビで、「本当にやっていなくても、やったと認めさせる自信がある」と語っているのを聞いたことがあります。
最近、ネットで他人のパソコンに入り込んで脅迫メールを送り、そのパソコンの持ち主が誤認逮捕され、自白してしまった事件がありました。
私の経験でも、本当は罪を犯していないけど自白する、と言って、自白したケースがいくつかあります。一般的には、脅迫的な取り調べ、利益誘導的な取り調べ(例えば、認めれば余罪については立件しない、とか、他の身内への追求は勘弁してやる、と言われたりすることがあります。)により、自白に至ることが多いようです。

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一旦自白すると、起訴後裁判で、「やっていません。警察で脅されて認めさせられました。」等と言って否認に転じても、なかなか無罪にならないのが現実です。
この事件では、裁判が始まってから、彼が無罪であると主張して、起訴事実を争いました。
自白調書の任意性・信用性を争ったほか、関係証人の尋問もおこない、取り調べにあたった刑事の尋問もしました。
勿論、自白の信用性では、その内容に矛盾・不自然さが多く見られることを指摘するのが、有力な弁護方法です。

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この事件ではいくつかの疑問点がありました。
第一に、動機の点です。奥さんを殺すにはよほど強い動機があるはずです。
第二に、殺害で使った凶器が発見されないという点です。奥さんは顔面を中心に角材のような物で、多数回殴打され、あるいは蹴られています。殴打するのに使用した物は、自宅内にあった唐木の端材で、陳列品の下の置き台として使用していたものだ、となっていました。しかし、それは見つかっていませんでした。『自宅裏の用水に捨てた』との供述内容でしたが、その川を堰き止めて広範囲にわたって捜索しても見つかりませんでした。唐木の比重は1よりも重いため、流れて行ってしまう可能性は低いのです。
第三に、ポリグラフ(噓発見器)の結果として、被告人が殺人を犯した事への反応が出ていなかったのです。

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1年あまりの裁判を経て、最終弁論を終え、判決言い渡しを迎えていた頃、NHKや新聞記者から問い合わせがあり、どうも無罪になる可能性が高いと言うことで、判決言い渡し後の記者会見の予定までしていました。
しかし。判決は有罪と言うことでした。これが刑事裁判の現実なのか、と落胆した次第でした。
どのような弁護をすべきだったのであろうかと、力が及ばなかったことを未だに情けなく思うことがあります。
無罪の推定という原則は本当に守られているのかと疑問に思うことも時々あります。