思い出の事件簿 平成25年5月号

思い出の事件簿 平成25年5月号

 これまで「思い出の事件簿」では刑事事件ばかり取り上げてきました。やはり法律が人間の一番深いところで関わる場面は犯罪においてではないか、と感じているからです。弁護士としての活動においても然りで、刑事弁護が人間の本質・本性を最も感じる分野だと思います。
 しかし、それとともに、事業の倒産に直面した場合も、人間にとっては人生においてきわめて深刻な局面を迎えることになり、人間の本質を見ることができます。今回は、事業の倒産とその家族の話を取り上げたいと思います。なお、内容についてはプライバシーに配慮して、事実関係・経緯を編集してありますのでご了承下さい。

1
 かなり昔の話になります。
 ある地方都市に、家族でルアー(ルアーフィッシングでの釣りに使用する道具のひとつで、針が付いていて、動きや色、匂い、味などで、直接魚を誘う物の事を言います。日本語では「疑似餌」と訳される事が多いですが、魚は餌としてルアーに食いついているだけではないという見解もあるそうです。)を作っている小さな会社がありました。

2
 社長は、元々釣具メーカーに勤めていました。ご本人も、魚釣りが好きで、川釣りによく出掛けていました。当時は釣りブームでしたが、社長は、魚が、餌と間違えて食い付くというルアーに大きな関心を持っていました。
 社長は、以前より魚が本物の餌となる小魚と見誤るためには、ルアーを水面に浮かべた場合、水の流れに沿って、真っ直ぐ流れるのではなく、本物の小魚のように、少し蛇行する動きをする必要があると考えました。
 しかし、このような動きをするルアーを作ることは簡単ではありません。彼は、工夫に工夫を重ね、何回も失敗した後、開発に成功しました。実際にこの疑似餌を使うと、よく魚が釣れるということで、高い評価を得ました。
 このルアーは海外でも人気で、売上もどんどん増加して、短期間で3倍となりました。
 生産も追い着かないほどで、社長はここで勝負すべきと判断し、思い切って従業員を100人近くまで増やし、工場も新たに買い求め、製造設備を増やしました。輸出が好調で、海外向け製品が大半を占めていました。

3
 ところが、『プラザ合意』後、昭和61年から62年にかけ円高がどんどん進みました。当然輸出価格も引き下げざるを得ず、この会社が販売会社へ納める価格も引き下げることになり、売上が減少しなおかつ利益も出なくなってきました。
 そんなおり、この会社が商品を納めていた中堅釣具販売会社から受け取っていた支払手形合計約1億8,000万円が不渡りとなり、倒産しました。この後、社長は懸命に営業を続けようとし、人員を大幅に削減したり、工場を売却するなど努力をしてきました。これまでの蓄えも全て会社の資金繰りや給料の支払いにつぎ込みました。ところが、最終的に資金繰りがつかなくなり、力尽きて、裁判所に自己破産宣告の申立をしたのです。これに伴って、社長も、会社の借入につき連帯保証人となっていた奥さんも、自己破産宣告の申立をしたのです。

4
 私は知人の紹介もあって、この申立を担当しました。破産を決意したとき社長は自暴自棄になって、事務所に打ち合わせに来られたときもひどく酔っておられたことがあります。聞くと前夜1人でウイスキー一本を空けたそうです。ご本人としては真面目に努力されてきたのに、このような理不尽な結果となり、悔しさをぶつける方法が他になかったのでしょう。私は社長がまだ45歳と若いので、「また、いくらでもやり直せますよ。」と励ましました。
 ところが、その後、悪いことは重なるもので、まもなく社長が脳腫瘍で倒れました。既に手遅れの状態で、治療の甲斐なく、亡くなったのです。本当に非業の死を遂げられたのです。

5
 このような失意のどん底にあったとき、他の釣具等の製造会社が、この会社の持っていた技術を評価して、援助の手を差し伸べてきました。その製造会社が、ルアー製作のための機械を調達し、関西の方に工場を用意してくれ、ルアーの製造をするように、という話が舞い込んできたのです。奥さんと、18歳になった息子さんは、以前から会社の仕事に従事していて、ルアー製作のための特殊技術を習得していたので、同レベルの製品を作ることができました。
 結局2人は給料をもらって製造責任者として働くことになりました。
 ところが働いているうちに、次第に、何とかもう一度、夫のやっていたルアー製造会社を再興したいとの強い思いを抱くようになりました。何とか、夫の無念を晴らしたいとの気持ちでした。息子さんも全く同じ気持ちでした。
 そのことを、父親の友人で機械メーカーを経営していた方に相談しました。すると技術援助の申出をしてくれました。これをきっかけに、再興する話が具体化してきたのです。

6
 そして、平成3年愛知県に戻って開業準備を始め、新たにルアー製造会社を設立するに至ったのです。母子で必死になって貯めた約300万円の資金を元手にして、貸倉庫を借りてルアー製造を開始したのです。母子と三人のパートという、ごくこじんまりとした規模でした。
 息子さんが飛び込みで営業に廻っていたところ、たまたま大手漁具メーカーの営業所で、昔の倒産した会社の取引先に勤務していた方が営業部長をしていました。昔の会社のことをよく覚えてくれていて、「ここなら大丈夫だ。」と推薦してもらえたので、運良く取引を始めることができたのです。

7
 大手漁具メーカーからの注文量は多く、他社と取引するだけの製造能力もなかったため、100パーセントこの会社との取引になってしまいました。これが結果としては良くなかったのですが、その時はやむを得ないことでした。
 その後は、仕事は順調でした。利益率はあまり高くなかったのですが、取引量も多かったので、親子二人が十分生活できるだけの収入が得られました。
 このようにして三年が経過して、受注量もどんどん増加していきました。その頃、工場の敷地を借りていた地主から土地の購入を頼まれました。大手漁具メーカーの営業課長に相談したところ、「これからも仕事を発注していく。どんどん進めていったらいい。」と協力を約束してくれました。
 このような話に安心して、土地を5,000万円で購入することにしたのです。購入資金については、銀行から借入しましたが、銀行も問題なく貸してくれました。
 それからも順調に仕事がきていたので借入金の返済も無理なくできていました。この間息子も結婚して、幸せな毎日を送っていました。

8
 それから二年経ちました。
 大手漁具メーカーの営業課長から、突然納入価格を20%値下げするとの一方的な要請がきました。「同程度の製品が、海外から調達できるようになった。今後、値下げできなければ、発注できない。」という話でした。
 そして、その次の月の取引から、20%をカットした金額を入金するようになったのです。法律的な知識もなく、勿論取引の基本契約書なども作っていなかったので、黙って従うしかありませんでした。
 取引先を一社に絞っていたため、今から急に他の取引先を見つけることはできませんでした。
 しかし、もともと粗利率が低く、20%も値下げすると営業損失が発生することになり、資金繰りが苦しくなってきました。
 大手漁具メーカー本社に行き、何とか納入価格の引き上げを頼みに行きましたが、全く取り合ってもらえませんでした。
 わずかな蓄えを人件費や借入金の返済に充てていました。しかし、蓄えは底をつきました。

9
 このような時に、お二人そろって私のところへ相談に来られました。
 私は、このままいけば借入金の返済も、従業員への給料も支払えなくなることは確実だったので、「どこで決断するかは難しいですが、先は見えてますね。」と言いました。
 しかし、せっかく再興したのにすぐ見きるという選択はできませんでした。「もう少し頑張ってみます。」と言って帰られました。
 ところがその4ヶ月後再度来られ、「大手漁具メーカーから取引を打ち切られたのでどうしようもなくなりました。」と言われました。個の時には以前より借入金の額が増えていました。
 ここへ来て究極の選択、即ち破産申立をするか否かの決断を迫られました。
 私は、お二人に、「悔しいけど、十分頑張ったし、特にアンフェアな経営活動はしてこなかったし、ここで一線引いた方が良いですよ。お父さんもよくやってくれた、と感謝していると思います。」と言って、破産申立を勧めました。

 結局、会社と母子の破産申立をしました。
 その後、息子さんは会社員として働き、お母さんは孫の世話や趣味を楽しんで平穏な生活を送っておられます。