木下晴弘「感動が人を動かす」29「お先に行ってください」

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シリーズ「感動が人を動かす」29
「お先に行ってください」

「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

空港は海沿いにあることが多い。島国であり、安全性の面からも当然といえばその通りであるが、それを改めて認識したのは2018年6月8日のことだった。

大阪湾に近いとはいえ、大阪市内の生活で、霧と出会うことはほとんどない。それゆえ、情けない話ではあるが愛車についているであろうフォグランプスイッチの場所さえ知らぬ。この日も、今にも降り出しそうな鈍色の空ではあったが霧などはなく、早朝に自宅を出た私は、いつものように空港近くの駐車場に車をおき、伊丹空港から大分空港へと日帰り出張の講演に向かった。
出発ロビーで掲示板を確認。すると、いきなり私の目に飛び込んできたのが次の一文だった。

~大分空港が霧のため、着陸できない場合は福岡空港に向かうか、伊丹空港に引き返す可能性があります~

もし、着陸できなくても福岡空港に向かってくれれば何とか間に合う。新幹線に切り替えると「遅刻確定」ではあるが、短縮バージョンの講演を一応は実施できる。しかし、引き返されると絶望だ。
「まずいな」ひとりごちた私はカウンターに行き、着陸できる可能性を尋ねてみると、丁寧な答えが返ってきた。
霧による着陸の判断はその空港の設備にもよるが、大きく3段階に分かれているそうで、(もちろん天候の急変等があり、あくまで予想に過ぎないが)その時点での大分空港は「着陸できる可能性が最も高く、7割ほどの確率で大丈夫と思われる」とのこと。
ちょっと楽になった私は、次の質問を投げかけた。
「もし着陸できず、両空港の受け入れが可能であるなら、福岡空港に向かうか、伊丹空港に引き返すかどちらの確率が高いのですか?」何の知識もない私は、当然大分に近い福岡に降りるものだろうと予想していたが、返ってきた答えは「基本は引き返します」だった。
『福岡に降りて下さいっ!』と喉まで出かかった言葉を呑み込み、お礼を言ってカウンターを離れた私は、慌てて乗り換え案内で陸路ルートを調べた。「出発地新大阪駅」「到着地大分駅」→検索。スマホの画面に現れた赤い警告の文字には「小倉~大分間、事故のため特急ソニック大幅遅延」と書かれていた。

というわけで、機内で念じ続けた私。願いが天に届いたか、10分ほどの遅れは出たが無事大分空港着陸と相成ったのである。「ま、日ごろの行いの結果ですわ」と、真の姿を知っている家族が聞けば恐らく締め出されるであろう傲慢な独り言をつぶやきながら一路会場へ。講演も無事に終わり、大分空港に戻ってきた私を待ち受けていたのはまさに「日ごろの行いの結果」であった。

~霧のため、使用機が着陸できない場合、伊丹行きは欠航となります~

まず陸路検索を試みた。判断がついてからでは最終の新幹線に間に合わないことが分かった。ならば再び着陸を念じて待つしかない。そうだ、明日の便を押さえなきゃ。あっ、その前に宿泊を。いや、とりあえずチェックインだけは済まさなきゃ…
普段偉そうにしている割に、緊急時には慌てふためき正常な判断が下せないという、目もくらむばかりの未熟さを露呈させながら手荷物検査場に向かうと、そこには野球部と思われる丸刈り頭の高校生たちが長蛇の列を作っていた。一人一人がバットケースや大きなスポーツバッグを抱えており、検査は明らかに手間取っている。私の後ろに並んだ数人のビジネスマンたちも、少しイライラした状態でじりじりと待っていたと思う。すると前方から一人の高校生がやってきた。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。僕たちは後で大丈夫ですから、どうぞお先に行ってください」
そう言って彼はぺこりと頭を下げた。
「あ、いや、でも君たちが先に並んでいたんだから…」
そう返すと彼はにっこり笑い「キャプテンの指示なんです。だからお願いします。お先に行ってください」と再び頭を下げるではないか。
イライラしていた自分が恥ずかしくなった。「わかりました。ではせっかくだからお言葉に甘えさせていただきます。お心遣いありがとう」そう言って彼らの厚意に甘えることにした。

結局、使用機は着陸できなかった。
それ以降すべての便が欠航になったため、宿泊先の確保、翌日便の確保と大変だったが、不思議とイライラせずに行うことができた。これもすべてあの爽やかな高校生たちのおかげである。自分の未熟さをかえりみながら、プチ紳士たちに感謝の言葉を心の中で繰り返した。

ふと見えた彼らのバッグに「DAISYO」というアルファベットが書かれていた。後半の「SYO」は商業の「商」だろうか。
前半の「DAI」は大阪の「大」だろうか。大分の「大」だろうか。そんなことを考えながらの実に爽やかな帰阪となった。