「子育ては夢そだて」・心のレベルを高めるための3つの修業第一回「ゴミ拾い(空き缶)のススメ」

「しちだ・教育研究所」の月刊紙「子育ては夢そだて」に寄稿させていただいたお話です。

心のレベルを高めるための3つの修業
   第一回「ゴミ拾い(空き缶)のススメ」
                            志賀内泰弘

 人は思い悩んだり、壁にぶち当たった時、講演を聞いたり自己啓発書を読んで「成功者の教え」を学ぼうとします。たしかに、モチベーションを上がるでしょう。でも、せっかくの金言も実行に移さなければ役に立ちません。そこで、3回シリーズで人生が音を立ててガラリと変わる「誰でもできるカンタンな修業」を紹介しましょう!
 初めにオススメするのが「ゴミ拾い」です。
 出勤途中で、道端に落ちている空き缶が目につきます。駅のホームや階段でも見かけます。その空き缶を拾ってみるのです。「え?!そんなの忙しい時にできないよ」「手が汚れるじゃないか」「清掃員の仕事だろう」などと、いろいろ言い訳する人もいるでしょう。それでも、あえて「空き缶拾い」をオススメします。そこには、自分自身を変えるいくつものが潜んでいます。
 まず一つ目。小事をバカにしない心を養えます。朝、一歩家を出てから、夜、帰宅するまで注意して観察すると実に多くのゴミが路上や公共スペースに散乱していることに気付きます。普通は、そんなにたくさんの中で、たった1つや2つ拾ったとしても「焼け石に水だ」と思うでしょう。でも、千里の道も一歩からと言います。1個目のない100個、千個、万個はないのです。「どうせ・・・」という気持ちを捨てて、1つ拾ってみるのです。するともう1つ、さらにもう1つ拾いたくなる。すると、あら不思議。最初から「どうせダメだ」と思い込んでいた大企業に営業のアタックをかける自分に驚くことでしょう。
 さて二つ目。人の批判・非難をしなくなり前向きな心が芽生えます。拾い始めた当初は、誰もがこう思います。「誰がこんなところにポイ捨てしたんだ」「俺が捨てたわけじゃないのに」とボヤくのです。でも、拾い続けているうちに、不感症になってきます。誰が捨てたかなんて関係ない。一つ拾えば、一つキレイになる。その行為がただ気持ちいい。するとまたまた、あら不思議。他人の迷惑行為が何とも感じなくなるのです。例えば、面倒な仕事をいつも押し付けてくる上司がいたとします。「なんで私が・・・」と反発し、いつも口論になっていた。ところが、こう思えるようになります。「ここで文句を言うより、サッサッと片付けた方が得」と。
 では、もう一つ。続けて拾ううちに不思議な感覚が湧いてきます。「どこかに空き缶が落ちてないかなぁ」「もっと拾いたいなあ」などと。やがて新境地に達します。「ああ、こうしてポイ捨てしてくれる人がいるから、私が拾うことができるんだ」。こうなるとしめたもの。どんな苦しいこと、辛いことも「感謝の心」で受け止められようになるのです。
 実は、他にも「ゴミ拾い」の副産物がいっぱいあります。でも、それは内緒。拾った人にしかわからないから。