杉浦誠司さんプロフィール

「ありがとう」を「夢」に描く文字職人

文字職人。
岐阜県多治見市出身。
岐阜県多治見市観光大使。 

公私共に苦難の時、”夢”という漢字と”ありがとう”という平仮名が夢でフラッシュバックし、これを組み合わせて作った代表作「夢・ありがとう」が生まれる。その文字は見るだけで元気が出る!とあっという間に口コミで広がる。2007年から全国各地で個展を開催。2008年には著書「夢・ありがとう」、2016年に「負けないで」を刊行。2013年にはカンボジア芸術文化祭にてパフォーマンス。2016年にはニューヨークジャパンデー10周年記念にてパフォーマンスを披露。現在では多数のメディアに出演や企業、学校関係での講演活動を精力的に行っている。

https://mojisyokunin.com/passion/

志賀内泰弘

『めっせー字』で人に希望を与え続ける

(その1)~「お前の夢をここに持って来い」

 まずは、ここに掲げた筆文字をご覧ください。「夢」です。でも、どこかユニークな書体ですよね。では、じっと見つめてみてください。ただの「夢」ではありません。そうなんです!「ありがとう」という「ひらがな」で、漢字の「夢」が書かれているのです。
 この文字の作者は、岐阜県多治見市の杉浦誠司さん。オリジナルのアイデアで生み出されたものです。杉浦さんは、これを「めっせー字」と名付け、この他にも様々な漢字を「ひらがな」で書く「文字職人」という仕事をしています。そして一年に200回以上も全国で講演する日々を送っています。どうして、この仕事に就いたのか?そこにはドラマがありました。

 杉浦さんは三人兄弟の長男に生まれました。幼い頃から「警察官になる」という「夢」を抱いていました。小・中学校で書いた作文でも「将来の夢は警察官」でした。実は、杉浦さんの両親は共に警察官。さらに、父方、母方の両方の祖父母も警察官。つまり一族6人が警察官だったのです。父親は厳しい人で、一度も褒められた記憶がありませんでした。そんな環境で、長男として警察官になるべく周りから期待されて育ちました。そして本人も何の疑いもなく警察官になるものと信じ込んでいました。
 ところが、大学生になって心の中に一点の疑問が生じます。ガソリンスタンド、ファーストフード店、ドラッグストアで接客・販売の仕事。駐車場の警備員や建設現場の作業員など、さまざまなアルバイトをしましたが、どの仕事も「辛い」と思ったことが一度もない。それどころか、仕事が楽しくて仕方がない。やがて、疑問は風船のように膨らみます。
 「オレは、警察官になるものと信じていた」「でも、警察官になって、オレはいったい何をしたいんだろう?」「そもそも、仕事って何だろう?」
 大学4年生になった時、その思いを父親にぶつけました。
 「オレ、警察官になりたくない。自分の道は自分で決める」
 すると、今までにないほどの剣幕で怒られました。それでも杉浦さんの意思は変わりません。「出て行け!」と言われ家をそのまま飛び出しました。

 杉浦さんは、当日付き合っていた彼女の家に転がり込みます。気力を失くし、まるでヒモのような生活を送っていました。実家とは音信不通のまま時が過ぎ、一年が経ったある日のことです。母親から「そろそろ帰って来ないか」と連絡が入りました。父親に顔を合わせるなり殴られると思ったら・・・こう言われ愕然とします。
 「好きにすればいい。だが、お前の『夢』はいったい何だ?」
 自分の道は自分で決める、と大見得を切ったのにもかかわらず、答えられませんでした。そして、さらに「『夢』を持って来い!」と言われました。悔しいけれど、答えられない自分がそこにいました。その場から逃げ出したい一心で「明日、『夢』持って来るわ!」と言い返していました。何の当てもなく。

 さて、次の日の朝のことです。新聞の朝刊を広げると折り込みチラシの一枚にあった文字が目に飛び込んで来ました。
「あなたの夢ここにあります」
 それは家電量販店の社員募集のキャッチコピーでした。苦し紛れだったのかもしれません。でも、その言葉に運命的なものを感じ、すぐに父親に見せに行き、言いました。「オレの夢はこれだ!」と。「じゃあ、やれよ」とぽつり。杉浦さんは「なんで理由も聞かないんだ」と腹が立ちました。「夢」がないのもかかわらず、ただ警察官になりたくないとう自分。「夢」はないけれど、「どこかに」「何か」やりたいことがあるのではないとかいう焦りと苛立ち。でも、父親に上手く伝えられない・・・。

 しかし、そこから杉浦さんの快進撃が始まります。あのチラシの家電量販店に就職し、バンバン売りまくりました。極めて歩合給の多い賃金体系だったので『お金』がどんどん入ってきました。その後、学習塾の講師、ドラッグストアの店長、損害保険のセールスと職を変わるも、どれも上手く行きます。結婚もして家庭を持ち、仲間と保険代理店を起業。まさしく順風満帆でした。
 ところがある日を境に、杉浦さんは奈落の底に落ちることになります。

(その2)~生まれて初めて父親に褒められた

 社会人になって初めての挫折が、杉浦さんに訪れました。仲間と始めた会社が倒産しました。すべて杉浦さんが責任を取り、多額の借金を背負うことになります。当時、子供が生まれたばかり。これからの生活もままなりません。こんな時は、「夫婦で力を合わせて」乗り切るところなのでしょう。ところが、奥さんの母親が重い病気に罹ってしまいます。杉浦さんは泊まり込みで母親の看病に行くように勧めました。その間、子供の面倒もみなくてはならず、ますます身動きが取れなくなりました。
 でも杉浦さんはどんなに苦しくでも、一つ、心に命じていることがありました。それは「感謝」です。さまざまな仕事をしてきて、どの仕事も楽しかった。でも、気の合わない人と付き合わなければならない時もありました。仕事が上手く運ばないこともありました。そんな時でも、「すべてのことに感謝しよう!」と心掛けて来ました。
 
 疲労と睡眠不足で、布団の中でうつらうつらとしていた時、それは起きました。父親に言われて、考え続けて来たこと。「オレの夢って何だろう?」。その「夢」と、いつも心に命じている「感謝」・・・そう「ありがとう」が心の中でリンクしたのでした。杉浦さんは、パッと起き上がりペンを握りました。そして、机の上にあったメモ用紙に「夢」と「ありがとう」を走り書きしました。再び、バタンと倒れるようにして眠りにつき、再び目が覚めたと同時に二つの文字を睨み続けました。
 そして、完成したのが冒頭の「ひらがな」書いた漢字の「夢」でした。「めっせー字」が誕生した瞬間です。

 杉浦さんは、この「夢」という一字の誕生をきっかけにして、「文字職人」という仕事を始めます。講演家の中村文昭さんや事業家の大嶋啓介さんの応援を受け、「めっせー字」の作品の色紙やTシャツを販売できるようになりました。路上や舞台でのパフォーマンス、さらに学校や企業での講演と活躍の幅はさらに広がりました。 
 以前はお金を稼ぎに稼いでいました。実は、杉浦さんはそのお金を家庭には少ししか入れず、好き勝手に遊びに使っていました。それが原因で奥さんともケンカが絶えなかったといいます。
 「文字職人」として再び仕事を始めるようになった時、奥さんは杉浦さんに言いました。
 「あなた、やっと元に戻ったね」
と。その時、杉浦さんは気付きました。ようやく。長いこと、「オレの夢って何だろう?」と追い求めてきたことへの答です。
 いっとき、たくさんお金を稼いでいた。お金を手にすると、もっともっと欲しくなる。奥さんの事、両親の事、友人の事に対する「感謝」を忘れて、自分が楽しいことばかり考えていた。杉浦さんは言います。
 「誰のために、人のために、という気持ちが欠けていたのです」
 杉浦さんは気付きます。好き勝手ことばかりやって来た自分を赦してくれるだけでなく、ダメな自分を信じてくれている奥さんがそばにいる。「この人を幸せにしよう」と心に誓いました。

 そして月日が流れました。今では、杉浦さんは全国の小中学校から招かれ、講演から講演の旅を続けています。そんなある日、ある警察署から「暴走族の解散式」での講演会を依頼されました。グループの解散を自ら宣言し、代表者(総長)が署名するという式です。そこで杉浦さんは、自分の体験談を元にして、「過去は変えられないが、未来は変えられる」という趣旨の話をしました。
 会場には暴走族の親御さんたちも参列しています。その中で、ついさっきまで「族」だった青年たちに筆ペンを渡して、あの「夢」の一文字を書いてもらいます。そこには、「お父さん、お母さん、ありがとう」「これから『夢』を見つけて頑張ります」という誓いの意味があります。

 それは、杉浦さんの父親が警察官を定年で退職する最後の年のことでした。杉浦さんは、父親を解散式に招待していました。式が終わって二人は顔を合わせました。いろいろ講演内容について、ダメ出しされました。でも最後にポツリと。
 「ええことやっとるな~」
 警察官にはならなかった。なれなかったけれど、杉浦さんは「夢」を見つけました。それは、大勢の人たちに希望を与えて元気にするいう「夢」です。実際に、病気の人、引き籠りの人、悩んで前に進めない人たちが、新しい一歩を踏み出す「力」になっています。

講演や文字の依頼はこちらからお願いします。
杉浦誠司公式ホームページ
https://mojisyokunin.com/