エッセイ④「駄菓子屋のおばあちゃんの想い出」

今日のメルマガは、日本講演新聞中部支局長でコラムニストの山
本孝弘さんに、書下ろしていただきました。
ちっょぴり切なくて心温まるお話です。
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「駄菓子屋のおばあちゃんの想い出」
山本孝弘

僕が子どもだった昭和の頃、どの町にも駄菓子屋があった。今思い返すだけでも3つの駄菓子屋が頭に浮かぶ。
そしてなぜか3つともおばあちゃんが店番をしていた。今思えば60歳くらいだったのかもしれない。でも昭和の60歳の女性は「おばあちゃん」だった。ましてや子どもの目から見たら間違いなくそうだった。
そのうちの一つに「せーやん」という名前の駄菓子屋があった。それが本当の屋号なのかどうなのかは今となってはわからない。おばあちゃんの友だちが彼女を「せーやん」と呼んだのをお菓子を買いに来ていた子どもがたまたま聞いたのかもしれない。そして店そのものを子どもたちがそう呼ぶようになったのではないかとも思う。
このせーやんがとても意地悪だった。
店の中でお菓子を選びながらおしゃべりをしていると、
「さっさと決めな!」などと言ってくる。
外のアイスクリームの冷凍庫を開けていると、「溶けるから早く閉めろ」などと言われたこともある。
みんなはせーやんの悪口を学校で言うようになった。だったら買いに行かなければいいのに僕たちはよくせーやんに行った。
そしてついにはせーやんの歌までできた。
「せ~やんのば~さん♫ 死んだら地獄♪ ヘイ!」
というとても短い歌だった。こっそり歌うならいいのだが、僕たちは店に買いに行かずその店の前を通る時にその歌を歌ったのだ。
一人が大声で歌い、最後の「ヘイ!」をみんなで言う決まりだった。
でも僕はその歌をひどいと思った。せーやんにもきっと僕のお母さんくらいの子どもがいる。僕たちくらいの孫もいるかもしれない。辛うじて僕らとは通学地域が違ったので学校に孫はいなかったけど。
僕は「ヘイ!」を言わなかった。
この歌を歌うとせーやんはまるで漫画みたいに「こらー!」と言いながら店から出てきた。僕たちは慌てて走って逃げた。
でも何もなかったかのように僕たちは次の日にせーやんにお菓子を買いに行くのだ。せーやんも歌のことは特に何も言ってこなかった。
ある日のこと。当たりが出れば当時流行ったヨーヨーが当たるカード付きのくじを僕は買いに行った。
枚数を数えていたら、「こら! 袋の隙間から覗くな!」と怒鳴られた。僕はそんなことはしていないので友だちが怒られているのだと思った。
でもその怒りは僕に向けられていた。せーやんが次に優しい言葉でこう言ったからだ。
「ああ、枚数を数えていたのか。当たりくじかどうか隙間から覗いているのかと思った」
せーやんの笑った顔を初めてみたけれど、僕はちょっと腹を立てた。
次の日、店の前でまたあの歌を歌った。僕は初めて「ヘイ!」と言った。でも行った後に悲しくなった。
次の日、僕は一人でせーやんに行った。罪滅ぼしのつもりでいつもより少し高いチョコレートを買った。
するとせーやんは、「これ、やるよ」と言って小さな飴をくれた。せーやんもこの前の罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。僕が微笑むとせーやんも微笑んだ。
その話を学校でしても誰も信じてくれなかった。
この前、実家に行った時、「せーやん」があった店の前まで車で行ってみた。区画整理で道幅が広くなっていて驚いた。「せーやん」があった場所もよくわからなかった。
せーやんは生きていれば百歳を優に超えている。生きていないと思う。では、せーやんは歌の通り地獄に行ったのだろうか。
たぶん行ってないと思う。
せーやんは不器用なだけできっと素直なおばあさんだったのだ。きっと戦争で苦労して生きてきたのだ。僕たちがせーやんを勘違いしていたように、閻魔さまが間違えてせーやんを地獄に落としてもお釈迦様はきっとあの場面を見てくれる。
せーやんが僕に飴をくれた場面を。
そしてお釈迦様は地獄のせーやんにヨーヨーの糸を垂らすのだ。せーやんはたくましくその糸を昇ってくる。下からはきっと全国の意地悪な駄菓子屋のおばあさんが後を着いてくる。ヨーヨーの糸は蜘蛛の糸よりも強い。
せーやんは後続のおばあさんたちに「みんな、頑張れよ!」と言って力強く糸をつかんで昇ってくる。
がんばれ、せーやん!
ありがとう、せーやん!
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(志賀内より)
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