ピアノを弾く夢を抱いて (2009/1/11)

 名古屋市北区の小野寺陽子さん(71)は、満州で終戦を迎えた。翌年、引き揚げ船に乗り込む直前に、シベリアに抑留されていた父親が帰還。しかし、下の兄弟のうち一人は港で、今一人は船中で息を引き取った。両親と姉、弟の五人で日本の地を踏んだ。

 貧しくて食べるのにも事欠く生活の中で、教科書さえ買うことができなかった。友達から教科書を借りてきて、毎晩父親が翌日の授業のところを紙切れに写してくれた。

 そのころのことだ。学校の音楽室から毎日ピアノの音が聴こえてきた。弾いていたのは、同級生のK子ちゃんだった。うらやましくてたまらなかった。彼女がまるでお城のお姫様のように思えた。ピアノが欲しくて仕方がなく、白い紙にペンで鍵盤を書き、それをなぞってピアノを弾くまねをしていた。

 トルコ行進曲、エリーゼのために…。今でもそのメロディーが耳を離れない。ずっと「いつか生活に余裕ができたらピアノを買おう」と思って働いてきた。小野寺さんは今でも旅行代理店に勤めている。便りには「やっと買えるかなと思った時、七十歳になっていました。今年中に買おうと思っています」とあった。

 正月開け早々に電話をして「買いましたか」と聞くと、こんな答えが返ってきた。「娘婿と一緒にピアノを見に出掛けたのです。でも、デジタルカメラを買ってきてしまいました。暮れの二十八日に孫が生まれたので、その笑顔を撮りたくなってしまって」。六十余年の夢よりも、お孫さんを授かった喜びの方が大きかったのだ。母子共に健康だという。おめでとうございます。