「青天の霹靂」
という言葉があります。人生の中で、そうは何度も使うものではありません。35歳の時にパワハラによるストレスで倒れて以来、持病を抱えて生きていましたが、それも寛解して「のほほん」と暮らしていた矢先のことでした。
愛するカミさんが、がんに罹っていることがわかったのです。
それも、末期も末期。
ほとんど手の施しようがなく、「効くか効かないかわからない」と言われた抗がん剤治療に身を委ねるしかありませんでした。
カミさんは私よりも6歳年下。さらに、私には持病がある。
どう考えても、私の方が先に死んでしまうと思っていたのです。
まさしく、晴天の霹靂でした。
6年余りの看病介護の後、平成29年5月13日、27年間連れ添ったカミさんは遠くに逝ってしまいました。
その翌年の早春のことです。
地元の経済紙「中部経済新聞」の社長さんから電話がありました。
「奥様を亡くされたそうですね。心よりお悔やみ申し上げます。ところで、その看病の体験を連載していただけませんか?」
私は、一瞬ためらいました。
ここでも、めったに使わない言葉が頭に浮かびました。
「逡巡」です。
辛くて辛くて、淋しくて寂しくて、ただボーッと廃人のような毎日を送っていた私にとって、あの6年間を「思い出す」のは拷問に似たようなものと感じました。
でも、社長さんの「志賀内さんの経験を、多くのがん患者や介護をする家族のために役立てもらえるのでは・・・」という言葉に背中を押されて執筆を引受けました。
かなり赤裸々な内容になっています。
30回のうち、「ちょっといい話」も少しは含まれていますが、大半が「辛い」話です。
それをご承知いただいた上で、お読みいただけたら幸いです。
何か一つでも、みんなさんの「人生」のお役に立てたらと願っています。