第11回言の葉大賞入選作から(その4)

 ~募集テーマ「壁」

 一般社団法人「言の葉協会」では、全国の小・中学校、高等学校から毎年のテーマに合わせた大切な人への思いや強く感じた気持ちを自分の言葉で綴る作品を募集し、その優秀作品を「言の葉大賞」として顕彰しています。
 その入賞作品から、紹介させていただきます。

入賞

「傍観者という壁」千葉大学教育学部附属中学校 3年 大澤 彩華

 小学六年生のとき、私のクラスに転入生が来た。マユミという名前の女の子で、ブラジルから来たらしい。私は、外国から来たマユミがめずらしくて話してみたかった。でも、他の子も同じ気持ちだったのだろう。マユミの周りにはいつもたくさんの人がいた。私はそれを、少し遠くから眺めているだけだった。
 「ねぇ、変なにおいしない?」
 隣の席の女の子が、ある日突然そう言った。確かに、不自然な甘いにおいが教室に充満していた。そのにおいはとても強くて、みんな鼻をつまみ、顔をしかめていた。しばらくして、そのにおいはマユミがつけていた香水だとわかった。マユミが元々通っていた学校では化粧をしても良かったらしい。先生がマユミに、化粧が禁止されていることを伝え、全て丸くおさまったはずだった。でも、実際は違った。翌日から、みんながマユミに話しかけなくなったのだ。もしかしたら、みんなはマユミに飽きていたのかもしれない。マユミが日本語を理解できないのを良いことに、わかりやすく悪口を言うこともあった。

 マユミが休み時間、一人で席に座っているのを見て、私はなんとなく話しかけたくなった。元々、マユミと話してみたいと思っていたのだ。私はマユミの席へと向かった。しかし、その足は途中で止まった。マユミに話しかけて、自分が無視の対象になる可能性が頭に浮かんできたのだ。結局、私は傍観者になることを選んだ。

 マユミは、一ヶ月後に転校していった。たどたどしい日本語での別れの挨拶が今でも頭から離れない。私は二度も自分の周りに壁を作った。マユミがみんなに囲まれているときも、みんなに無視されているときも、それを眺めているだけだった。面倒事が起こると、傍観者を決め込む。私の悪い癖だ。

 傍観者を選ぶたびに段々高くなっていく壁。私はそろそろ、それを壊さないといけない。

入賞

「アイデンティティという壁」学校法人和光学園 和光高等学校 2年 ウェケ セレーナ響

 私の「壁」は、私自身のアイデンティティだ。ケニア出身の父と日本出身の母を持っている私は最近度々話題にあがるBLM運動について考えることが多くなったのだが、正直今アメリカで起きている様な差別は受けたことはない。海外に行った時は日本にいる時とは何か違う視線を感じたが、実際に被害があったわけではなかった。自分はあまり差別を受けるような環境にいないんだろうな、と考えた矢先、何かに引っ掛かりを感じた。私は本当に差別を受けていないのだろうか。

 私が小学生の頃、友達と会話している時に、

「将来ウェディングドレスを着るときはこの肌が映えるから良いんだ」
と言おうとすると、

 「そんなことないよ、似合うよ。あ、代わりに黒いドレスにしたら?」
と言われたことがある。私の肌の欠点として見ていたのだろうか。小学生の私はとてもショックだったので、この出来事は今でも覚えている。

 これを差別という強い言葉で表すのはためらいがあるが、心を許している友達でさえも私と彼女とで区別していたりする。彼女達にはなんの悪意もないだろうし、それを私が指摘したりもしない。こういった小さな「わだかまり」は今までに数え切れないほど経験してきた。これらの壁は私が作り出しているのではないため、私だけが頑張っても取り壊されるものではない。とてももどかしいが、このもどかしさはこれからもつきまとうものなのだ。なので本当にこれからも一緒に過ごしたいと思う友人にだけそのような壁を取り払ってもらうために何度か話をしている。

 私も無神経な「壁」を作っているかもしれない。だから私はそうしてしまわない様に意識する。皆もそうしてくれたら、私の心の「わだかまり」も少しは消えるはず、こう簡単にいけばいいのだが、そうはいかないから今も世界中で衝突が絶えないのだ。

他の「言の葉大賞」の受賞作品や、次回「言の葉大賞」の応募要項は、こちらをご覧ください。
http://www.kotonoha-taisho.jp/

入選作品集「「言葉の力」を感じるとき」Ⅰ・Ⅱや「言の葉CONCEPT BOOK」がお求めになれます
  
【発行】一般社団法人言の葉協会
http://www.kotonoha.or.jp/pub/

作品を転載使用される場合は、こちらまで承諾の申請をお願いします。

https://www.kyoto-kakimoto.jp/kotonoha-k/contact/