第10回言の葉大賞入選作から(その1)

 「『失敗から』学んだこと」
                      
 一般社団法人「言の葉協会」では、全国の小・中学校・高等学校から毎年のテーマに合わせた大切な人への思いや強く感じた気持ちを自分の言葉で綴る作品を募集し、その優秀作品を「言の葉大賞」として顕彰しています。
 第10回言の葉大賞の入選作品から、紹介させていただきます。

「『すみませんでした』の心」京都励学国際学院 1年

 私はミャンマーから、新聞奨学生として、日本へ来ました。日本へ来る時、家族や友だちとわかれるのは、悲しかったです。私はまだ日本語があまりわかりませんでしたから、不安でした。

 来日後、東京でバイクの運転免許の試験を受けました。その試験は、ミャンマー語でしたから簡単でした。

 京都へ来て、すぐに新聞配達の仕事が始まりました。朝はとても早く起きなければなりません。朝と言うより、夜中です。夜中の二時ごろに起きます。でも、なかなか起きられません。辛いです。でも、起きなければなりません。新聞を配る家をおぼえなければなりません。でも、私には漢字は難しいです。道の名前もわかりません。マンションの名前もカタカナで、なかなかおぼえられません。

 ある日のことです。店に電話がかかってきました。店長が朝刊を持って、急いで、どこかへ行きました。私は、先輩に「どうしたのですか。」とたずねました。すると、私の配達担当地域の一軒の家から、「今日の朝刊が入っていない。今、すぐ持って来い。」というクレームの電話だと知りました。私は「配るのをまちがった。しかられる。どう言おうか。」と思い、言い訳を考えました。店長が帰ってきました。私は何も言えずにいました。店長が、「一生けん命やっても失敗することはある。そんな時は、大きい声で、『すんませんでした‼︎』って言うんだ。」とおっしゃいました。私は、大きな声で「すみませんでした!」と店長に心から謝りました。言い訳を考えようとした私はダメな私です。今は、もう仕事に慣れて、新聞を配達する家をまちがえることはなくなりました。

 私は、失敗して人に迷惑をかけた時は、大きな声で「すみませんでした。」と謝まる心をこれからも忘れません。

「いつものあいさつ」岩手県立一関第一高等学校附属中学校 2年 小野寺 在

 「ありがとうございました、さようなら。」
これを言わなかったことが私の失敗だ。

 私は小学二年生の頃から習字を習っている。今年の六月、先生が亡くなった。九十四歳だった。先生はいつも笑っていて、声を荒らげることなど一回もない、優しくて元気な人だった。

 ある土曜日、私がいつものように教室へ行くと、先生はいなかった。先生の娘さんが上がってきて、足が痛くて階段を上がれないので下の書斎にいること、作品が書けたら下に持ってきてほしいことを告げた。思えば、階段を上がれなかったことから感じとるべきだったのかもしれない。これまでそんなことは一度もなかったのだ。書斎へ持って行って見てもらっても、先生は変わりなく、いつものようにアドバイスをくれた。私はいつも太く書くともっと良くなる、と言われるが、そのときもそうだった。片付けをして教室を出るとき、私はつい、いつも言うあいさつをしなかった。聞こえないと思ったし、時間もなかった。
「ありがとうございました、さようなら。」

 その二日後の帰り道、私は先生を見かけた。道路の反対側を歩いていた、杖をついた人がいて、先生かな、歩けるようになったのかな、と思った。その人がちらっと私を見た気がした。あいさつをするか迷って、人違いだったら困るのでしなかった。その人は教室へ入っていって、やっぱり先生だったのか、あいさつするべきだったな、と思った。

 その日の午前中、先生は亡くなっていた。私はその人が、本当に先生だったのだと信じている。先生が最後、私に少しだけ姿を見せに来たのだと。

 どんな人でも、いつ亡くなるかはわからない。もし迷ったら、そのときできる全てをするべきだ。私は二度もチャンスを逃した。もう戻ってこない。だからこそ、私はしっかりあいさつをする。お別れのとき、もう二度と後悔しないように。

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入選作品集「「言葉の力」を感じるとき」Ⅰ・Ⅱや「言の葉CONCEPT BOOK」がお求めになれます。
  
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