第8回言の葉大賞入選作から(その4)

 「今、ここに教育の現場が在る」
                      
 一般社団法人「言の葉協会」では、全国の小・中学校・高等学校から毎年のテーマに合わせた大切な人への思いや強く感じた気持ちを自分の言葉で綴る作品を募集し、その優秀作品を「言の葉大賞」として顕彰しています。
 第8回言の葉大賞の入選作品から、紹介させていただきます。

「言葉が伝えるもの」齋藤 知子さん

 向こうから年配のオバチャンが近づいてくる。こっちを見ている。何か言いたげだ。道を訊きたいのだろう。やっぱり。目を合わせたまま真っ直ぐ近寄ってきた。

「すまんけど、背中、掻いてくれへんか。」
「えっ、」一瞬我が耳を疑う。

「さっきから痒うてしゃあないねん。」
既に半身になって、こっちに背中を向けている。頭の中は混乱したまま、薄いブラウスの上からひとしきり背中を掻いてあげると、

「おおきに、すっとしたわ。これからライトアップ見に行くねん。ほな、さいなら。」
オバチャンはニコッと笑って去っていった。

 これは実話である。夫の転勤に付いて、大阪にやってきて2年、東京で生まれ育った私には、いまだに戸惑うことばかりだ。大阪の人は用があろうとなかろうと、やたら話しかけてくる。スーパーで魚の切り身を見ていると
「これどうやって料理すんねん?煮たらええんか?」
私は店のひとではない。

「大阪のひと、どう?」知り合いに訊かれるたびに、私は少々の皮肉を込めて答えていた。
「すごくフレンドリーだよ。」

 正直、鬱陶しいと思っていた大阪人のコミュニケーションだったが、最近は私の中で少し変わってきた。住んでいる集合住宅のエレベーターに乗り合わせた佳人は、こちらが初対面であろうと、老若男女、必ず一言ある。
「こんにちは」「おおきに」「さいなら」

 以前は、「エレベーターの中での無言に耐えられないのだろう。」くらいに思っていたが、だんだんそれに馴染み、心地よく感じている自分がいた。「これが普通なのかも」と思い始めた。「慣れた」のではない。小さい頃の自分、昭和の時代を思い出してきたような気もする。言葉とは、なぜ何のために生まれたのだろう。今は時々、声に出して真似てみる。アクセントは違うのだろうが。「さいなら。」

他の「言の葉大賞」の受賞作品や、次回「言の葉大賞」の応募要項は、こちらをご覧ください。
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入選作品集「「言葉の力」を感じるとき」Ⅰ・Ⅱや「言の葉CONCEPT BOOK」がお求めになれます。
  
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