「残身」で、その人がどういう人かわかる

「残身」で、その人がどういう人かわかる
                      志賀内泰弘
                        
小学生の時、少しだけですが柔道場に通っていました。段位を取るまでには至りませんでしたが、私の人生において大きな影響を与えてくれました。
師範の先生から、二つのことをいつも言われていました。一つ目。

「技が決まった時、けっして利き手で掴んだ相手の柔道着の襟を離してはいけない」
体落としや一本背負いが決まると、その勢いで投げられた人は頭を打って脳震盪を起こす恐れがあります。だから、グッと襟を引くことで、投げられた人は頭を打たずに済むのです。もっとも、実際に大人の試合でそんなことに気を遣っている余裕はありません。それは、子供だから、怪我の防止という意味合いが強かったでしょう。

 そして、もう一点。
 試合に勝とうが負けようが、淡々と最初の立ち位置に戻って、一礼をして畳から降りることです。実は、一つ目の襟を離してはいけない、こととセットになっているのです。柔道は、技が決まった後の態度が肝心という教えです。

 
 柔道の試合で、心の残るシーンがあります。
その一つは、「ヤワラちゃん」こと谷(当時・田村)亮子選手が、2000年のシドニーオリンピック48キロ級女子柔道で金メダルを獲った時のことです。一本が決まったその「瞬間」、ガッツポーズをしました。その様子を見て、「おや?」と思いました。これって、私の先生の教えに反しているのではないかと。そう思ったのは私だけではないようで、今も疑義を持つ人がいるようです。

 

 さて、私の「心の師」から、教本が届きました。元、中学校の校長で、現在、愛知大学名古屋教職課程センターで学校の先生になるための学生の指導をしている梅村清春さんです。それは、「残身」についてまとめたものです。要約すると、次の通り。
「残身」とは、日本古来の武道や芸道で、技を終えた後も気を緩めず、細心の注意を払っている状態のことを言います。これは、余韻を残すことを美徳にした日本の美学でもあります。

例えば、剣道では技を決めた後でも、少しも油断せずに、いかなる変化にも直ちに応じられるよう、緊張感を持続する心構えのことです。いくら「面~!」と打っても、後の「型」が美しくなければ、一本には入りません。

弓道では、「射法八節」という八つの基本動作があります。先ずは「足踏み」という立ち位置を決める所作から始まります。七番目の「離れ」で矢を射る、その後が肝心。もっとも大切だと言われているのが、八番目の型である「残身」です。矢を射った後、射手から醸し出す品位、格調こそが弓道の本質であり、「残身」こそが射手の心が表れる瞬間とされています。

茶道も同じことを説いています。「茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ」と言われています。お客様が茶室から退出された後、急いで道具を片付け始めたりしない。お客様の姿が見えなくなるまで、ずっとお見送りするのが茶道の心構えです。
そして、日常に置き換えると、電話。相手が電話を切ったことを確認してから、受話器を置く。これは、固定電話も携帯電話も同じです。
一つの仕事を終えても、やれやれと気を緩めずに、緊張感を持続することが「残身であると、梅村先生と説いておられます。

 

もう一人の「心の師」から聞いた話があります。
柔道整復師の榎本好根先生です。

「師」は、柔道七段で、五十歳を過ぎた今も現役の柔道家であるとともに、公式大会試合の審判員も務められています。
その「師」は、大学の教育学部の体育授業で、柔道を教えておられます。毎年、15から20名ほどの学生が受講するそうです。そのほとんどの者が柔道未経験。受講しても、人に教えられるほどまでに達することは困難です。

そこで、「師」は、人としての基本である礼儀作法を重視して指導するそうです。
しかし挨拶さえもできない学生が多いといいます。最初の授業どころか、2回、3回目の授業になっても、柔道着すら持って来ない。ちゃんと、受講前に購入するように通知してあるにもかかわらずです。「今日は体調が悪いから」と、見学を申し出る者も多い。それどころか、平気で「師」に対して、「ため口」で話す。まさしく、「いまどきの若者」と呆れるばかりだそうです。

ところが、3名の学生の行動に感心したといいます。
その3名は、言われもしないのに、時間よりも早く来て、体育館に畳を敷いて授業の準備をしてくれるというのです。
それだけでは、ありませんでした。
授業が終わった後も、その3名は畳を片付けてくれました。残りの学生たちも、その様子を見て知っています。でも、それを手伝おうとはせず、退出して行きました。

 

「師」は言います。
「彼らは、きっといい先生になるだろう。社会では、そういうことがもっとも大切なのだから」

 

サラリーマン時代、上司からたいへん可愛がられている後輩がいました。宴会があると、最後まで残って、忘れ物がないかとテーブルの下を覗いたり、座布団をひっくり返したりしてチェックするのです。みんなは、酔っぱらって「二次会行くぞ~」と盛り上がっているのに。

会社を辞めて、講演活動を始めた頃のことです。仲間に、講演会場のセッティングを手伝ってもらいました。そのメンバーは、いつも私に言ってくれます。
「志賀内さんは、疲れてるでしょうから、早く家に帰ってください。後は僕らでやっておきます」

いつも行くスターバックスの前の歩道は、いつもキレイです。お店の人が、ゴミを見つけると拾っているのをよく見かけます。でも、それだけではありません。ある日、4人の若者が大きな袋と金ばさみを手にして、ゴミ拾いをしているところに出くわしました。近づいて尋ねると、すぐ目の前にある大学のボランティア部の学生だと言います。

毎朝、近くの大きな公園に散歩に出掛けます。6時半になると、散歩中の人がゲートボール場の辺りに集まり、ラジオ体操が始まります。毎日、大きなスピーカーのラジオを持って来て、ボリュームを最大にして準備をしてくれる人がいます。その人が誰なのか、70人くらいの参加者は、おそらく誰も知らないと思います。私も・・・。

 

そういう「人」が、成功する・・・とは言いません。でも、間違いなく人から愛されるでしょう。それを人は「人望」と呼び、幸せな人生を歩む源である違いないと信じます。