台湾で出会った「日本精神」

私が一番受けたい「ココロの授業」

比田井美恵
台湾で出会った「日本精神」

先日、中村文昭さんからこんな話をお聴きしました。
二〇一三年に行われた第三回WBC。日本対台湾戦前に、ある若者がツイッターでこうつぶやきました。「東京ドームで日本-台湾戦を観戦する人達、震災での台湾からの義援金のお礼をブラカードで伝えてください。WBCの注目度は非常に高いので、改めて感謝を伝えるチャンスです。日本と台湾の友情が永遠であることを伝えてください」。実際台湾は、二〇一一年の東日本大震災で、わかっているだけでも二〇〇億円もの義援金を送ってくれています。人口は日本の五分の一、平均収入は日本の三分の一ともいわれている台湾で、こんなにもたくさんの義援金が集まったなんて驚きです。この若者のつぶやきは、瞬く間に日本人の間に広まりましたが、実は、秘かに台湾の若者たちの耳にも届いていたようです。
そして迎えた日台戦。日本応援席から、たくさんのプラカードが挙がりました。「311の支援、ありがとう台湾!」「台湾の支援を私たちは永遠に忘れない」。すると、台湾応援席からもたくさんのプラカードが挙がったのです。「日本頑張れ!」「台湾は応援している!」「日台友好」etc…。お互いに感謝の言葉を伝え合う応援席。自然と両チームのプレイを讃えあい、温かい雰囲気で試合が進められたようです。結果は四対三で日本の勝利。
試合終了後…なぜか台湾選手たちはマウンドに集まってきました。そして、マウンドを丸く囲むように立ったかと思うと、一斉に外側を向き、観客席に向かって深々とお辞儀をしたのです。感動的でした。
なぜ台湾は、こんなにも日本に良くしてくれるのでしょうか。台湾は、一八九五年から一九四五年までの五〇年間、日本に統治されていました。「統治」と聞くと、もしかしたら人民を働かせ、できた農作物・工業物を搾取し…と思うかもしれませんが、日本は違いました。台湾の人たちの生活を向上させようと、様々な策を講じてきたのです。治安を良くし、農業技術を教え、教育を施しました。学校を造り、「正直」「勤勉」「責任」「勇気」を教えましたが、これは戦後、「日本精神(リップンチェンシン)」と呼ばれ、「あなたは日本精神があるね」が最高の褒め言葉だと言われるほどになったそうです。

私はこの話を聴き、台湾が日本を愛する理由を確かめ、自分で感じたいと、台湾を訪れました。そこで、日本人の八田與一さんが一九三〇年に完成させた「烏山頭ダム」にも行きました。ダムができる前、嘉南平野は広い面積を持っていましたが、灌漑設備が不十分だったため、乾季には土地が干上がり、雨季には大洪水と、安定して農作物を作ることができませんでした。現地調査をした八田さんは、あまりの過酷な土地と、そこに住む人たちの悲惨な暮らしに涙し、ダムを作り、一五万ヘクタールもの広さに灌漑設備を整えようと壮大な計画を立てたのです。総貯水量一億五千万トン、平野に張り巡らす水路の総延長は一万キロ。初めは誰からも無理だと反対されたこの計画も、八田さんの情熱と明石元二郎総督の後押しで、実行されることになったのです。
八田さんは本当によく働きました。連日、夜明け前から起きだし、炎天下での測量。睡眠三~四時間でした。工事を進める間、大事故で五〇人もの方が亡くなったり、関東大震災によって日本からの資金が少なくなったりと、困難を極める出来事がありましたが、八田さんは、国籍や階級などで人を差別することなく地域の農民たちと一緒になって汗を流し続け、ついに一〇年をかけて当時では東洋一のダムが完成したのです。これにより、百万人近くの人々の生活が豊かになり、米の収穫はダムを作る前の約六倍にもなりました。人々は涙を流して喜び、お祝いの祭りは三日間も続いたのです。
私は、実際に烏山頭ダムに行ってみて、その壮大さに驚きました。ダムを見下ろせる場所には八田さんのお墓と銅像、そして、その前に手向けられた花束の数々…。八田さんが亡くなってもう七〇年以上経つのに、地元の方々はこうやって大切に思ってくださっているのですね…。胸がいっぱいになり、涙があふれてきました。

日本統治時代を知る、楊素秋さんはこう語りました。「日本人はとっても素敵でしたよ。義理堅く、約束を守り、嘘を言わない。でも、今の日本人は、かつての美しい心に雲がかかっているように見えます。日本人はもっと誇りを持っていいんです。私は、日本人に立ち上がれ!と言いたいのです。」そう言う彼女は、日本統治時代のことをこう言っていました。「私が日本人だった頃…」。陽さんにとって「日本人だった」ことは、大きな誇りなのです。私は彼女の中に、私たち以上に強い日本精神を見出しました。そして、日本を深く愛する気持ちに、感動で胸が震えました。私たちが忘れかけていた日本人の心に台湾で出会うことができたのです。
八田さんの墓前に手向けられたたくさんの花。楊さんの言葉…。本当にありがたく思いました。台湾のみなさんが日本を応援してくれる理由が少しわかった気がします。もちろん、これはほんの一部にすぎないことでしょう。私はまた台湾を訪れ、たくさんのことを学び、感じ、そして伝えていきたいと思いました。