思い出の事件簿 令和3年8月号

思い出の事件簿 令和3年8月号

初めに
これまでの思い出の事件簿は、刑事事件がほとんどでしたが、今回は遺産分割事件を取り上げたいと思います。
刑事事件は、その犯罪者の生い立ち、家族の状況、経歴など、その人の人生の奥深いところまで深く関わり、その人の今後の生きていく道を、弁護士として導いていくことになるため、やりがいを感じることが多いです。
遺産分割は、残した遺産を、亡くなった人の配偶者、子供達でどのように分けるか、というだけなので、それほどもめずに割り切って解決できるのではないかと思われるかもしれません。しかし、いろいろな論点が複雑に絡み合い、これまでの感情的なもつれも加わり、長期化するケースが少なくありません。ここ一年でも、解決までに五年余りを要した遺産分割事件がありました。
今回取り上げる遺産分割事件は、これまでに経験した中でもとりわけ記憶に残る内容でした。それぞれの相続人の生き様、遺産を目の前にしたときのすさまじい欲望・執念の持ち方。心の動きを目の当たりにしました。その欲望の露骨さにあきれ、あるいはその潔さに感動し、さらには、いろいろな法律上の論点があって、解決するまでに調査研究し、私にとっても費以上に勉強になった、印象深い事件となりました。
今回、この内容を取り上げるに当たっては、依頼者のプライバシーに十分配慮して当事者のプロフィールや事件内容には大幅に手が加えてあることをご了承下さい。

さっそく、今回取り上げる事案をご説明します。
田中とみさん(78歳)のご主人一郎さんが、平成28年6月2日、80歳で亡くなりました。
二人には長男がいましたが、25歳の時に交通事故で死亡しました。
一郎さんは、農業の傍ら日雇で土木作業員をしていましたが、酒をよく飲みお金はあまり残りませんでした。酒癖が悪く、酔ってはよくとみさんに暴力をふるいました。
とみさんが嫁いだときには、舅も姑も健在で、しかも、姉が1人同居していました。また嫁いだ妹も2人いました。
舅、姑はむかし人間で、よめにはきつく、とみさんは苦労が絶えませんでした。農家に嫁いだ昔の女性は、このような状況で耐えていくケースが多かったと思います。
とみさんは家事を一人でこなすだけではなく、田畑の耕作などを農業を手伝い、しかも、農閑期も自宅で縫製の内職をして家計を支えてきました。ほとんど働きづめで楽しいことなどほとんどありませんでした。
一郎さんの妹達は早くに嫁いでいましたが、姉は、とみさんが嫁に来た後、嫁いで出ていきました。嫁いだあとも姉、妹達は正月、地元の祭、お盆等には、子供達を連れて実家に出入りして、とみさんはその世話もしなければなりませんでした。
姉、妹達の出産祝い、冠婚葬祭等のつきあいも大変で、目に見えないお金がどんどん出ていきました。お米や野菜なども、よく送ってやったりしていました。
農業をやっていると言っても、田畑が8反(2,400坪)ほどしかなく、農業収入もしれていました。自宅は田舎なので、土地は300坪ありましたが、地価は安かったです。一郎さんも日雇い収入しかなく、決して裕福とは言えず、どちらかというと苦しい生活を送ってきました。長男が死亡したことで損害賠償金は手にしましたが、一郎さんが受け取った一部は生活費にも使っていました。しかし、とみさんが受け取った分は、長男の命と引き換えに手にしたものなので、どうしても手につけることができませんでした。

司法書士の紹介で、遺産分割手続きを受任しました。
弁護士は受任すると、まずは相続人の把握と、遺産の内容を調査します。
今回のケースでは、子供がいないため、相続人は、配偶者の田中とみさん(相続分は4分の3)と、長姉が死亡しているため、その子供の鈴木道子さん、青木次郎さん(相続分はそれぞれが24分の1ずつ)、長妹も死亡しているので、その子供の太田鈴子さん、三木三郎さん(相続分はそれぞれが24分の1ずつ)、そして妹伊藤タカさん(相続分は12分の1)でした。
次に、遺産の範囲の確認をしましたが、相続税申告書の原案が作成されていたので、概ね把握できました。ただ、相続税申告書を見て、疑問を抱きました。このことは後で触れます。
一郎さんの遺産は、全部で1億円ありました。具体的な内訳は、預貯金1,500万円、自宅土地建物が1,000万円、5反の貸付地7,000万円、3反の農地500万円でした。なお、貸付地の地代は毎月25万円で、相続開始後発生する地代はすべて相続財産となります。
もともと8反あった農地については、3反が農地のままで、残りの5反は、その後近くに進出してきた地元の中堅スーパーに、20年間の定期借地権を設定して貸していました。現況は、一部スーパーの建物の敷地でしたが、60%に当たる3反は調整池になっていました。
洪水を一時的に貯めて調節し、洪水が終わった後にゆっくり流す施設を遊水地または調整池と呼びます。調整池は、機能は遊水地と同じですが、遊水地の池底より掘り下げたものを調整池といいます。

こんなひどい税理士もいるのだ。
相続税申告書を見て、疑問を持つとともに、税理士の発想、対応にはとても驚かされました。
遺産の範囲を確定する段階で、税理士は田中とみさん名義の預貯金の通帳を出すように求めました。そして、とみさん名義の預金すべてを夫の遺産として、相続税申告書の遺産明細に掲げていたのです。私は不思議に思い、普段からとみさんの相談に乗っていた、とみさんの弟後藤誠さんに、「なぜとみさんの預貯金まで、遺産に含めているのですか。」と尋ねました。後藤さんも、「私もとても不思議に思っています。何回聞いても、税理士さんは、これも遺産に入るのだと、強い口調で言われます。」と言われました。
税理士の説明によると、とみさんは定職を持たず、収入がほとんどないので、とみさんの預貯金は夫のものとみなされる、と言われたようです。
私としては、そんな説明はおかしいと思いました。とみさんの預貯金も、かなり以前からあったもので、亡くなる少し前に、夫の口座からおろして移動したものでないことは明らかでした。さらによく聞くと、とみさんの預貯金は、長男が交通事故で亡くなった際に、損害賠償金として受け取ったものでした。
私は、そのことを指摘して、税理士に申告書の訂正をしてもらうようにアドバイスしました。
弁護士から指摘されたと言われたことで、その税理士も誤りに気づき、幸い相続税申告書を提出する前に訂正したので損害を受けずにすみました。
ところが、訂正前の相続税申告書原案を太田さん、鈴木さんに渡してしまっていました。このことが後に、トラブルの大きな原因となりました。この二人がとみさん名義の預貯金も遺産に含めるべきだと主張したのです。
この点について、税理士に相続税申告書原案について誤りがあったことを説明する書面を出すように要求しました。
私のところへこの税理士が来て弁明したのですが、その対応ぶりには驚きました。当然、自分の初歩的ミスを謝罪するものと思っていたら、開き直ってきたのです。彼の弁明では、税務署には訂正後の申告書を提出したのだから、なんの問題もない、と言い張るのです。
私から指摘されなかったら、とみさんの預貯金を遺産に加えたまま税務署へ申告書を提出し、余分な相続税を納めさせたはずです。とみさんとしては、専門家が指示することだから直接反論できなかったのです。たまたま、私が誤りに気づいたことで、結果的に実損がなかったのです。
その後、鈴木道子さん、青木次郎さんとは何件もの調停、訴訟で争うことになるのですが、鈴木さんと青木さんからは、税理士が間違えるはずがないから、とみさんの預貯金も遺産に含めるべきだ、と繰り返し主張されてとても困りました。
生前贈与も相続開始時の3年前までのものは、相続財産に含まれるため、税理士によっては、これを把握するために、相続人の預貯金通帳を幻覚に調べることが考えられますが、そのような税理士は少数派だと思います。

相続放棄申述により、勧めていく方法は最善だったのか。
司法書士さんは、すべての不動産について相続登記手続きを受任し、その前提として、とみさん以外の相続人に相続放棄をしてもらおうとしました。田舎の相続では、跡を継ぐ相続人以外は相続しないことが一般的なので、それでいける、と思われたようです。確かに、何も言わずに相続放棄してくれる相続人が多いかもしれません。そうでなくても、判付き代程度の少ないお金を支払えば相続放棄してくれそうです。
この司法書士さんは、とみさん以外の相続人について、家庭裁判所へ提出する相続放棄申述書を作成して、各相続人へ送り、それぞれが家庭裁判所に申立するよう段取りをしてくれました。このまま、これらの相続人が、相続放棄申述をすれば、予定通りに勧められます。しかし、一人の相続人でも相続放棄申述をしなかったら、うまくいきません。
多くの弁護士は、このようなケースでは、他の相続人からその相続分を、とみさんに譲渡する方法を取ります。
結局、このケースでは心配した通り、鈴木さん、青木さんが、相続開始を知った3ヶ月以内に相続放棄申述をしませんでした。
太田さん、三木さんと妹の伊藤さんは、快く期限内に相続放棄手続きをしてくれました。とみさんが、一郎さんとの結婚生活でとても苦労してきたことや、今後一人で生きていかなければならないことに同情してくれたのです。
私はひとまず、鈴木さん、青木さんを相手方にして遺産分割調停の申立をしました。誰も相続放棄手続きをしなかったとすれば、鈴木さん、青木さんの相続分は、24分の1ずつです。そして、太田さん、三木さんも同じく24分の1ずつで、妹の伊藤さんは12分の1でした。
しかし、太田さん、三木さん、伊藤さんが相続放棄手続きをしたことにより、この三人は、相続開始時に遡って相続しなかったことになります。となると、鈴木さん、青木さんの相続分は8分の1ずつになってしまいます。
これでは、おかしな結果になってしまいます。なぜなら、太田さん、三木さん、伊藤さんは、自分の相続分をとみさんに譲ろうとして相続放棄をしたのに、相続放棄をした結果、三人の意図に反してその相続分が鈴木さん、青木さんに譲ったことになってしまったからです。
それでも、三人が相続放棄をした経緯を説明すれば、鈴木さんと青木さんは理解してくれて、本来の相続分24分の1を取得することで了解してくれるものと期待していました。
ところが、調停が始まって第1回期日では、鈴木さんと青木さんはなんと、8分の1の権利を主張してきました。とみさんは高齢でもあり、早く解決したかったため、多少の譲歩はするつもりでしたが、8分の1の権利を一切譲らないと言いました。
どう考えても、人情に全く欠けると思うのですが、かたくなに、法律上請求できるものは要求を貫くとの姿勢でした。

何か他に良い知恵がないものか
私も、なんとかとみさんの権利と、相続放棄手続きをしてくれた三人の相続人の好意を実現したいと、何か良い知識がないものか考えました。
そして思いついたのは、太田さん、三木さん、伊藤さんの相続放棄手続きを無効にできないか、という作戦でした。
この三人はあくまでも、田中とみさんに自分の相続分を譲渡する気持ちで相続放棄をしています。ところが、相続放棄したことにより、結果的に自分の相続分が鈴木道子さんと青木次郎さんへ渡ってしまい、まったく反対の結果となってしまいました。
これはまさに三人としては、錯誤があったと言わざるを得ません。そこで、やむを得ず、相続放棄の申述をしてくれた三人に相続放棄申述が錯誤により無効である、との裁判を提起してもらうよう頼みました。大変に迷惑をかけることになりますが、皆さん快く協力してくれました。本人尋問のため裁判所へ出頭もしてくれました。
ところで、現実に訴訟を提起しようとしてよく判例を調べると、「遺言無効確認訴訟」、「遺産分割協議無効確認訴訟」は訴訟を起こせるのですが、「相続放棄申述無効確認」という訴訟ができないことが分かりました。このあたりの説明は専門的になるので省略します。
簡単に言うと、相続放棄の無効を前提として請求する内容を、訴訟の請求の趣旨としなければなりません。あまり例のない裁判ですが、なんとか紆余曲折を経て勝訴判決を得ました。実は、この判決をもらうまでに一年以上かかっています。

やっと振り出しに戻って遺産分割調停が始まりました。
これにより鈴木さんと青木さんの相続分は、24分の1ずつとなりました。伊藤タカさんの12分の1と、太田鈴子さんと三木三郎さんの24分の1ずつの相続分は、これらの三人の方があっさりと、とみさんに相続分を譲渡してくれました。
それから、とみさんが申立人になって、鈴木さんと青木さんを相手方にして、遺産分割の調停を申立てました。
相続分割合が決まっているから、あとは簡単に分けられるだろうと思われるかもしれませんが、そんなに単純ではありません。もちろん、遺産の全てが預貯金などの金銭債権であれば、相続分割合で分けるだけです。しかし、このケースのように不動産があると、その評価をめぐって争いが生じます。
皆さんが相続当事者なら、不動産と預貯金のいずれを分けてもらいたいですか。どうしてもその不動産を必要とする場合を除いて、預貯金を望むでしょう。不動産を取得して、これを売却して現金化しようとすれば、不動産業者に仲介手数料を払ったり、譲渡所得税も負担しなければならず、またそもそも思っている価格で飼い主が現れるかも分かりません。不動産をお金に換えるのはかなり大変です。
今回の鈴木さんと青木さんも、案の定、「現金でほしい」と言ってきました。本当ならこれまでさんざん虐められたので、不動産を相続してください、と言いたいところです。しかし、今回の遺産内容をみると、渡しても不都合がない不動産がありませんでした
この調停もなかなか順調に進みませんでした。
鈴木道子さんは、遠方に住んでいて、こちらの地元の裁判所まで来られず、電話会議システムにより進めました。スピーカー機能を持っている固定電話機を調停室のテーブルにおいて、調停委員と鈴木さんが会話をするという方法で調停を行うのです。余談ですが、裁判所によっては、テレビ会議システムと言って、調停期日を遠方の裁判所のテレビ会議システムでつなぎ、相互にテレビ画面で顔が分かる形で行うところもあります。しかし、これは裁判所も設備が十分に整っていなかったり、手間暇がかなりかかるということから、あまり利用されていません。
調停の中身の話に戻りますが、不動産の中で、5反の貸付地の固定資産税評価額が7,000万円と、とても高く設定されていました。もともと農地で、たまたまスーパーの敷地となったため宅地化されて、一挙に高い固定資産税評価額となってしまいました。しかし、定期借地権の期間が20年間で、残っている期間もあと5年となりました。期間が満了すれば、この土地は返還される可能性がありますが、もし返されても、他に簡単には借り手が見つからないかもしれません。場所もその町の中心部から離れているため、買い手を探すのが困難です。
しかも、賃貸中の不動産の地目は宅地となっていますが、5反(1,500坪)中、60%の3反(900坪)は、調整池として利用されており、いわゆる建物を建てたり、駐車場として使用するという宅地本来の使われ方がされていません。
地元の町役場は、このような利用状況を十分確認することなく、一律に評価していたと考えられます。
たまたま、私が判例雑誌を見ていたところ、固定資産評価審査決定取消請求事件に関する最高裁判例を見つけました。
ある市の市長は、固定資産税評価額を決定するに際し、その土地の地目を宅地と認定した上で評価額を算定しました。宅地とは、建物の敷地のほか、駐車場など、これを維持し、又はその効用を果たすために必要な土地を指します。価額も地目の中では、宅地の評価が一番高くなります。ところが、該当地は、商業施設に係る開発行為に伴い調整池の用に供することとされ、排水調整の必要がなくなるまでその機能を保持することが上記開発行為の許可条件となっていました。洪水調整の方法として設けられた調整池の機能は、一般的には、開発の対象となる地区への降水を一時的に貯留して下流域の洪水を防止することにあります。現に、当該土地の面積の80%以上に常時水がたまっていました。
このような状況にあることを無視して、単なる宅地として評価した原審の判断は、固定資産の評価に関する法令の解釈適用を誤った違法がある、として最高裁は原審を破棄しました。
上告代理人の弁護士は名古屋の親しい人だったので、問い合わせをして詳しい事情を尋ねました。
その結果、私の担当していた本件でも、不動産鑑定をすることで、固定資産税評価額より実勢価格を大幅に下げられるとの確信を持ちました。
私はこの土地について、鑑定申請をして不動産鑑定士による鑑定を採用してもらうことができました。
鑑定結果は、3,000万円というもので、これにより遺産の総額を4,000万円下げることができました。遺産総額が6,000万円となり、自動的に鈴木道子さんと青木次郎さんに渡すべき代償金が大幅に下がりました。なお、調停成立日までの間、不動産の賃料が法務局に供託されていたため、1,500万円の還付請求権も遺産として加えられました。

最期の詰めに注意が必要です。
最終的に合意が成立したら調停調書を作成します。
遺産分割の場合、当事者に弁護士が代理人として付いているとき、裁判所はその代理人弁護士に調停調書の内容である調停条項原案を作成させることが一般的です。
気を付けて作成しないと、後でとんでもないことになりますから、かなり細かい点まで気を配ります。若い頃には失敗したこともあります。ベテラン裁判官が作成してくれた調停調書だったので、きちんと確認してくれているものと思っていたところ、その調停調書では強制執行ができなかったことがありました。
このことで痛い目に遭ったので、調停調書や和解調書に関しては、その条項で記載されたとおりに実行できるかを慎重に事前調査、検討するようにしています。
このケースで特に神経を使ったのは、土地の賃借人が供託していた賃料(賃借人は当初一年間の賃料を供託していなかったため、まとめて一年分を供託して、その後は毎月供託していました。)を、調停調書に基づいて、田中とみさんが各日に受け取れるか、という点です。
具体的には、ある地方法務局の支局に供託した1,500万円の賃料債権について、田中とみさんが受け取れるようにしなければなりません。法務局は、調停調書の記載内容が、それこそ還付に関する条項に、1ヵ所でも間違いがあれば支払をしてくれません。私は調停調書の記載内容の調停条項原案を持って法務局に出向き、この内容で大丈夫か尋ねました。法務局はいったん預かって検討し、後日回答するとのことで、数日後には修正を加えてくれました。供託は全部で49回行われているため、1回ごとの供託番号を特定しなければならず、調停調書の作成に手間がかかりました。
その後、調停調書に基づいて法務局に出向き、供託番号を別紙一覧表として用意し、請求書に添付します。田中とみさんの印鑑証明書、実印、マイナンバーカードも用意し、供託通知書原本、供託通知書リスト、調停調書を持参して、なんとか手続きまでたどり着きました。
結局、委任を受けてから、終結まで5年半を要しました。本当に長丁場でしたが、なんとか田中とみさんが元気なうちに解決して、ほっとしました。