思い出の事件簿 平成30年8月号

思い出の事件簿 平成30年8月号

1 宗教が関わる訴訟
弁護士の相談・受任範囲は多岐にわたりますが、弁護士として特に慎重な対処・対応が必要な分野は、宗教が絡む場合です。
過去において子供が怪しい新興宗教に入信し、その教団施設に入り込んでしまい、直接連絡が取れず、施設へ会いに行っても会わせてくれないし、教団側に電話をしても、子供が出て「お父さんは心配しなくていい。何も強制されたりしていないから。」と言っているが、何とか連れ戻せないか、という相談がありました。
また、離婚事案で、子供が大怪我をして緊急手術が必要なのに、母親が信仰上の理由で輸血を拒否したため、結果的に亡くなってしまい、夫が離婚を求めたケースもありました。輸血だけでなく、外科的手術そのものを禁ずる宗教もあるようです。
また、いずれの配偶者の、宗教的活動・独特の宗教観が原因で離婚に発展するケースもありました。
これらの場合、弁護士としても、宗教自体を非難することは、憲法上の信教の自由に関わることなので、法律相談や訴訟を担当する場合の訴訟活動には極めて慎重です。

2 宗教活動が原因の事件
ところで、私が昔担当した事件で、奥さんの宗教活動が原因で、夫と子供二人が一家心中したという事件を担当したことがあります。簡単に事案の概要を説明します。
地方の小都市で、その痛ましい事件が起きました。
奥さんは、毎晩のように布教活動のために出掛け、夜は遅くまで戻りませんでした。お子さんは中学校二年生と小学校五年生で、奥さんは夕食を作ってくれるものの、食事の支度が終わるとすぐに出掛け、子供達との語らいも、夫との交流もありませんでした。
帰宅は夜11時を過ぎることが普通で、子供達の勉強の世話・身の回りの世話は、夫がしていました。
夫は、ヒルに宗教活動することには理解をしていましたが、夜出掛けることについては自粛してくれるよう、何度も頼んでいました。
夫自身、奥さんから熱心にその宗教の良さを説かれ、入信を勧められたため、その宗教の集まりに参加したことはありましたが、どうしても馴染めませんでした。
奥さんはパート勤務をしていましたが、その宗教団体に給料の大半を寄付してしまうことにも、夫としては疑問を持っていました。子供達の将来のために、もっと預金してほしいと思っていました。
家庭生活が一番大事なはずなのに、それを放り出している奥さんをどうしても理解することができず、夫は奥さんの宗教活動を辞めさせようとしました。奥さんが夜出掛けようとした時に、力づくで止めようとして、叩いたり、柱に身体を縛り付けたこともありましたが、奥さんは変わりませんでした。
子供達も夫婦喧嘩している姿を見て、母親に泣いて頼んだこともありましたが、全く効果はありませんでした。
夫は、結局、追い詰められて、子供達を道連れにすることを選んでしまいました。そして、昔、奥さんと共に子供達を連れてよく遊びに来ていた思い出のある自宅から少し離れた小高い丘を、最期の場所として選んだのでした。
そこまで自動車で来て、車内へ排気ガスを引き込んで心中を図りました。遺書も残されており、夫の遺書には奥さんを恨む言葉が書かれていましたが、子供達の遺書は母親を慕うような内容だったそうで、皆さんの涙を誘いました。
奥さんは、通夜と葬式に参列しようと葬儀場まで行きましたが、親族から罵倒されて線香を上げることもかないませんでした。また、その後も自宅に入ることも許されませんでした。

3 ご主人の遺産
ところで、亡くなられたご主人の遺産として自宅と預金2,500万円が残されました。
自宅を購入する際に、銀行から借りたローンはありましたが、亡くなられたため、担保として加入していた生命保険から保険金が下りて、銀行への返済に充てられ、ローンは完済となりました。
亡くなられた原因が、奥さんの宗教活動だったことから、ご主人の親族からは、強い非難を受けました。
奥さんは、夫と可愛い子供達を失ったことから、後悔の気持ちもあったと思いますが、宗教を捨てることはありませんでした。逆に、「自分に信仰心が弱かったために、このような結果になってしまった。以前にも増して、もっと宗教活動に努めなければならない。」との思いを強めていきました。この点、私としても、理解し難い面はありました。

4 遺産分割の相談
ご主人が亡くなられてしばらくして、ある人の紹介で、この奥さんが私のところへ遺産分割の件で相談に来られました。
亡き夫の遺産相続に関して、「夫の両親や親族から、相続放棄を強く求められているが、応じなければならないのでしょうか」という内容でした。
確かに、奥さんが原因で夫が亡くなったのであるから、その張本人の奥さんが相続権を主張するのは、道義上許されないのでないか、という考え方も理解できます。
しかし、民法上、相続欠格があるとか、相続人廃除の審判がされた時を除き、奥さんには相続権があります。
私も、心情的に少し定興はありましたが、奥さんが相続放棄を強要されるのは行き過ぎだと判断して、「遺産分割手続きを進めていきましょう」と申し上げ、受任しました。
そして、遺産分割調停を申し立てました。

5 調停の申し立て
夫のご両親との任意の交渉による解決は、亡くなられた経緯から考えて、やはり難しいと思いました。そこで、いきなり調停を申し立てたのです。
調停が始まり、私は奥さんと一緒に調停期日に出席しました。
調停は、調停委員2名と裁判官(家事事件では審判官といいます)が関与して、裁判所で行われる話し合いです。
第1回の調停期日では、まず申立てをした奥さんと私が調停室に入りました。予想はしていましたが、調停委員からは、奥さんに対する非難の言葉が相次ぎました。
私も、最初はある程度黙って聞いていましたが、相続の請求を辞退することを勧めてきたため、それは行き過ぎだと判断して強く抗議しました。審判官は通常調停手続の段階で顔を出すことは少ないので、この調停委員の発言は、法律的な観点から離れて、心情論で対応しているものと思っていました。
私も当時若かったことも手伝って、かなり強い口調で反論しました。
そもそも、このケースでは、奥さんの相続割合は全遺産の3分の2となり、残りの3分の1を両親で分けることになります。

6 遺産取得の要求
私はこのケースでは、寄与分も特別受益もない事案なので、3分の2に相当する遺産の取得を求めました。
遺産は先に説明したとおり、自宅と預金2,500万円でした。自宅は時価評価すると2,300万円になります。
したがって、計算すると、奥さんは3,200万円、ご両親は1,600万円を取得することになります。
そこで、私は自宅と預金900万円を取得することを主張しました。
ご両親は、自宅は奥さんに渡すが、預金はすべて取得することを希望しました。
私は、法律どおりの請求なので、「一切譲歩できない」と主張しました。このようなやり取りは第3回の調停期日まで続きましたが、最終的に、ご両親も、こちらの提案を受け入れました。

7 裁判官からの調停案
第4回の調停期日において、調停は成立するものと思っていました。ところが、調停委員から、奥さんが自宅と預金300万円取得ということで調停を成立させたいと言われました。
私は、「当事者が取得しているのに、調停委員がそれを無視して両親の相続分を増やすのは不当だし、理解できない進め方だ」と言って反論しました。すると、調停委員は「この提案は、裁判官から指示されたものです。」と言いました。私は、このような内容は法的根拠がないと考え、拒否しました。裁判官の考えも理解できないとの思いでした。
通常は、裁判官が調停の場に来て、当事者と話をすることはほとんどありません。この時は重要局面だったからか、私が強く文句を言ったためか、裁判官が調停室に入ってきて、私と奥さんを説得に掛かりました。
裁判官は私より17,8年先輩の方でしたが、調停案に納得できず、私は裁判官に向かって、「この案は法的根拠がないし、ご両親も納得しているのだから、このような介入は不当じゃないですか?」と食い下がりました。
しかし、裁判官も譲らず、といって法的根拠も示さないまま、調停案を受け入れるよう説得してきました。私は裁判官と口論になりました。私も弁護士になって41年経ちますが、裁判官と口論したのは、この時一回だけです。調停が不成立になると、審判に移行し裁判官が事実調査をして審判を出しますが、この裁判官は、「審判になっても同じ内容で結論を出す」と言われました。
裁判官と喧嘩すること自体恥ずかしいことですし、その後、しっぺ返しされることも、ないとはいい切れないのです。しかし、この時はもしそのような不当を審判を下されれば、名古屋高等裁判所へ即時抗告して、徹底的に争う覚悟でした。

8 調停の成立
この結末ですが、私と裁判官の口論を見ていた奥さんは、一言「分かりました」と言って、調停案を受け入れました。
私としては釈然としないまま、依頼者の意向に沿って、調停を成立させました。
この裁判官はその後転勤され、退官後、弁護士になられたと聞きました。80歳は大きく超えられているので、亡くなっておられるかと思います。

9 事案を振り返って
私は、その後もかなりの期間、この裁判官の考え方はおかしいと思い続けていましたが、今、改めて事案の全容をよく考えると、このような裁判官の考え方も、あながち不当ともいえないように思います。