思い出の事件簿 平成30年1月号

思い出の事件簿 平成30年1月号

1 美濃加茂市長の事例
3年前、美濃加茂市長が受託収賄事件で無罪になったとの報道がなされたことがあります。
新聞などで読んだ範囲では、贈賄側の供述調書と法定での証言に矛盾があることが決め手になったように思います。
検事控訴は必須と思っていましたが、その後控訴されて、案の定名古屋高等裁判所で逆転して、有罪判決が言い渡されました。最高裁へ上告し、平成29年5月に上告趣意書を最高裁に提出した、との報道がなされています。おそらくは、再度逆転して無罪となることはないでしょう。

2 少ない無罪判決
ところで、無罪判決が言い渡されることはとても少なく、弁護士にとって無罪判決をもらうことはとても名誉なことです。
統計的には刑事裁判における有罪率は99.8%くらいと言われています。
私は若い頃から刑事事件が好きで、刑事裁判を多数経験しました。とくに弁護士になりたての頃、国選事件を多く担当し、1年に30件ずつは引き受けていました。おそらく国選、私選事件をあわせると、これまでに400件近くの刑事裁判を担当したと思います。しかし、無罪判決をもらったのはたった1件です。

3 国選弁護人と私選弁護人
刑事弁護では、国選弁護人と私選弁護人があります。
私選弁護人は被疑者・被告人が直接弁護士と委任契約をしますが、国選弁護人は国が選任します。
国選弁護人の報酬は、私が弁護士になった当時(昭和52年)は、一件25,000円くらいでした。当時、私は勤務弁護士で、給料は18万円でしたので、結構、割の良いアルバイトでした。今とは違い、弁護士の数も少なかったことから、多数の国選事件を担当することができ、年間40件近く受任することができました。
今では、弁護士の人数が激増したため、月に1件受任することも難しいようです。

4 私が勝ち取った無罪
私は、平成5年5月に初めて事務所報を発行しました。
その時の記事をあらためて振り返ると、次のようなことが書かれていました。
弁護士の業界では、
①刑事事件で無罪をとること
②行政事件で国若しくは地方自治体を相手にして、
勝訴判決をとること
③最高裁判所の口頭弁論に立ち会うことを、三種の神器と言われています。
これらはいずれも、事件との巡り合わせもあるため、運も必要なのですが、私は、昭和57年に刑事事件で無罪判決、昨年、行政事件で勝訴判決を得ており、今回、最高裁の口頭弁論に立つことができたので、3つとも達成したことになります。
今から振り返ると、かなり気負ったことを書いたなあ、と思います。
残念ながら、その後は①乃至③のような経験をしていません。ひょっとしたら、運を使い果たしてしまったのかも知れません。

5 無罪事件との出会い
ある業務上過失事件(交通人身事故)の国選事件を担当することになりました。
初めて会ったときの被告人の印象は最悪でした。
国選事件は、経済的に貧しく、弁護人を選任するだけの経済的余裕がない被告人のために、国が費用を立て替えて弁護士を選任する制度です。裁判費用として被告人に負担させることもありますが、金額はかなり安いです。私選弁護人の弁護士費用に比べると5、6分の1ぐらいです(但し、弁護士によってばらつきがあります)。
もともと、被告人と弁護人との間には何のつながりもないので、信頼関係はなく、被告人も横柄な態度をとることが少なくありません。
この被告人も、若くて生意気な態度をとり、ため口で説明してきたので、こちらもあまり弁護活動に力が入りませんでした。
一般的に、被告人が無罪を主張することは1割にも満たないので、私は当然この被告人も有罪を認めるものと思っていたら、「自分は今回の交通事故に関しては無罪です。」と主張しました。

6 事故の発生状況
被告人は、自動車(乙車)を運転して直進していましたが、前方に信号のある交差点が見えてきました。その信号が青色だったのでそのまま前進しました。
ところが対向車線を、老人が妻を乗せて自動車(甲車)を運転して、その交差点に進入して右折してきました。あわてて、被告人はその甲車との衝突を避けるため、ブレーキをかけたものの間に合わず、甲車の左前部に衝突しました。相手方の老夫婦は重症を負いました。
相手方(被害者)の老人は、右折信号が出ていたので右折したところ、赤色信号を無視した被告人運転の乙車が突っ込んできた、と主張しました。
これに対して、被告人は、前方の信号は青色であり、相手方はブレーキもかけないまま右折してきて、急ブレーキをかけたが間に合わなかった、と主張しました。

7 取り調べで自白
被告人は、警察・検察官の取り調べで自白しました。
警察は目撃者を探し、たまたまその信号で横断しようとして信号待ちしていた歩行者二人(A、B)が事故直前の状況を目撃していたとのことで、供述調書をとられていました。
被告人は、警察でも、当初は無罪を主張していましたが、警察官から、「目撃証人もいるから間違いない」と、厳しい言葉で追及されたため、しぶしぶ認めたような供述調書になっていました。
検察官の取り調べでも、無罪を訴えましたが、最終的には「前方の信号は青色ではなく、右折信号だったかもしれない」という内容の調書に署名捺印しました。

8 裁判では一転して無罪を主張
被告人は、私との打ち合わせで、「自分は無罪だ、前方の信号は間違いなく青だった」と主張するので、私も半信半疑でしたが、無罪を前提にした弁護活動をすることになりました。
正直、無罪なんか取れっこないし、被告人には速度違反、信号無視などで交通違反関係の3件の前歴があるうえ、態度も乱暴なので、自動車の運転も乱暴だったのだろうと先入観を持っていました。
これに対して、相手方は年配で、長年無事故・無違反を続けている優良ドライバーだったので、この時も交通法規は守って運転していただろうとの思いがありました。
取り調べに当たった警察官も、同じような思いを抱いて取り調べを進めたものと思われ、被告人に対しては、取り調べ当初から被告人が信号無視をしたと決めつけて、厳しく取り調べられたようです。
これに加えて、目撃者二人の存在も、被告人には決定的に不利でした。起訴されたこともやむを得ないところです。

9 捜査部と公判部とで異なる検事
事件を担当したのはK検事でした。
K検事は私より3期ほど年上で新進気鋭の方でした。法定での印象は、さわやかで、フェアーな態度でした。
第一回公判期日前に、K検事に「無罪を主張しますので、警察官と検察官作成の目撃者・被害者の供述調書を全て不同意とし、被告人の供述調書については警察官、検察官の強制があったので信用性を争います。」と伝えました。
名古屋地方検察庁では、事件の捜査部と裁判立ち会いをする公判部とは分かれており、被告人を取り調べたのはK検事ではありませんでした。

10 第一回公判期日
第一回の裁判の日がきました。
冒頭の起訴状朗読後、罪状認否では、被告人は予定通り、「私は無罪です。前方の信号は青色でした。」と主張しました。
勿論、弁護人である私も、「無罪を主張します」ということになりました。
検察官から証拠調べ請求された証拠書類の取り調べに対する、弁護人の意見も、検察官に事前に伝えた通り、主たる証拠調べについて不同意の意見を述べました。
弁護人が同意した証拠のみは、その場で朗読する形で、取り調べされました。否認事件なので、有罪を認めている事件とは異なり、朗読されました。
そして、検察官は、被害者と目撃者の証人申請をしました。

11 担当裁判官
担当の裁判官は、私の修習生当時の指導裁判官でした。
裁判官のMさんは、熱血漢で、誠実な方でした。
実は、私が弁護士になる前の実務修習の時に、刑事裁判の指導を受けたことがありました。といっても何ら情実が働くことはありませんが。

12 第二回公判期日
被害者である相手方運転者、目撃者二人が証人として出廷し、証人尋問が行われました。
検察官から、被害者は、その日の事故直前からの、運転経路、スピード、前方の注視状況などの運転状況を詳しく尋ねられ、供述調書については警察官通り「私は甲車を運転していましたが、事故直前の前方の信号は右折信号が出ており、被告人がこれを無視して無理に交差点へ進入してきたことにより乙車と衝突しました。」との証言をしました。
勿論、事前に検察官と打ち合わせしているので、そつなく答えました。
私も反対尋問しましたが、なかなか切り崩すことはできませんでした。
次の証人である目撃者(A、B)は信号待ちをしていた歩行者で、昼食後、会社へ戻るため、事故のあった交差点を渡ろうとして待っていた、とのことでした。
検察官の主尋問では、二人は「その信号を事故直前、ちらっと見たところ、信号は右折信号でした」と証言しました。
私は反対尋問で、二人がその日の昼食後、店を出てから、どこをどのように歩いてこの信号まで来たか、尋ねました。
そして、「どの位置に立って、どのように向き合っていましたか」、「二人は事故直前、どのような会話をしていましたか」と、前置きの尋問を詳しく行いました。
二人は会社の同僚で、昼食を会社の近くの喫茶店でとっていました。食事を終えて、会社へ戻るため、信号のある交差点で、歩行者信号が代わるのを待っていましたが、かなり話し込んでいたようでした。
二人が立ち止まっていた位置の右方向から、被告人が運転する自動車(乙車)が来ました。事故の直前は、目の前の歩行者信号を気にしつつ、話しに夢中になっていた様子が引き出せました。
被告人の車が進行した方向にある信号を確認したとのことであったため、事故直前に、どの位置からどのように確認したのか、細かく質問しました。
すると、一人の目撃者Aは、その信号を背にして立っていたので、信号の色を確認したとの証言が不自然であることが明らかになりました。
また、もう一人の目撃者Bは、位置的に言えば、視線を上げれば信号の色を確認できますが、話に夢中になっているので、はたしてわざわざ視線を上げて確認するだろうか、との疑問を持ちました。
そこで、この点の経過を細かく尋ねました。
すると、信号の色を確認した時と事故発生との間に、少なくとも7,8秒以上は間隔があったかもしれない、という証言を引き出すことができました。となると、事故発生の瞬間の信号を確認したわけではないことになります。

13 信号の関連性とサイクル
各交差点の信号には関連性がありました。
被告人の供述調書では、事故発生前からの走行状況も書かれていました。
それによると、被告人はショッピングセンターから自宅へ帰る途中で、この交差点①の2つ手前の交差点③で、先頭から2台目の位置で、信号待ちをしていた、と書かれていました。
私は、被告人から何回も、『当日と進路で2つ手前の信号からスタートすると、本件の交差点の信号は必ず青色になる』と指摘を受けました。
私も現場へ行き、何回も試してみたところ、その事実を確認できました。
被告人は、警察での取り調べで、本件の交差点へ行くまでの走行状況を一貫して同じように主張していたので、私もこのことは重要なポイントだと考え、各交差点の関連性、信号のサイクルを調べる必要があると考えました。
しかし、このような否認事件で、どのように証拠調べ請求をすべきか、よく分かりませんでした。
今考えると素人的ですが、第三回公判期日において、素朴に、この点を調べるとこの必要性を述べました。すると、裁判官も検察官も、耳を傾けてくれて、補充捜査という形での調査をすることに同意してくれました。
特にK検事は、「本来捜査段階でこの点の捜査が必要であった」との見解を示されて、愛知県警交通センターへ、事故当時の信号の青色、黄色、赤色、右折信号のサイクルや、信号機相互間の関連状況を調査して、その結果を第四回公判期日で、証拠として提出してくれました。
この調査結果によると、被告人がスタートした交差点③と事故が起きた交差点①は、相互に関連した信号サイクルとなっていました。すなわち、被告人がスタートした交差点③を青色で発進すると、本件の交差点①の信号は必ず青色になることが分かりました。

14 びっしりと書き込まれた裁判官のノート
公判中、たまたま裁判官席の近くまで行ったところ、裁判官のノートに、現場図面や、証人・被告人らの供述調書の切り抜き、公判における証人尋問の要点が、びっしり書かれているのが目に入りました。ああこんなにも関係証拠を検討されているのか、と一種の感動を覚えました。
私は当時まだ弁護士になって5,6年で、頼りない弁護活動に同情してもらえたのかもしれません。裁判官も検事も助けてくれたように感じました。同じ釜の飯を食った、と言うと品が悪いですが、同じ法曹としてのある種の一体感を感じました。

15 第五回公判期日で最終弁論
審理を終結するにあたり、検事の論告求刑の後、私は弁護人として最終弁論をしました。
私としては、無罪になるのではないかとの思いから、関係証拠を引用しながら強く無罪を訴える詳細な弁論をしました。

16 第六回公判期日 判決言い渡し
私は、「証拠的には無罪になって当然だ」との思いを抱きながらも、「無罪なんて簡単には言い渡されることはない」との気持ちでした。
同期の弁護士にも、事件の経緯を説明しながら「無罪になるかもしれない。」と言うと、「そんなの甘いぞ。無罪なんか取れっこないよ。」と返され、それもそうだなと弱気になりながら、判決までの日を送っていました。
法廷に入る前から動悸が抑えられないまま、判決言い渡しの第一声を待ちました。
「被告人は無罪」
心臓の高まりを抑えることはできませんでした。裁判官は無罪の理由を述べていましたが、私は興奮して耳に入りませんでした。
判決言い渡しが終わって、被告人と簡単に打ち合わせをしましたが、被告人は、さも当然の結果が出たとの態度で、弁護人への感謝の言葉すらありませんでした。もっとも、無罪判決なので、検事控訴の可能性は十分ある、との説明はしました。

17 控訴されず
判決の翌日、新聞各紙に無罪判決の報道がされました。信号の関連性・サイクルの捜査が不十分だった、とのコメントが出ていました。
私は不躾かとは思いましたが、検察官に電話をし、お世話になった御礼を述べ、控訴の予定を尋ねました。検察官は「良い弁護活動をしたね。」と言ってくれました。また、「この件は控訴はしない予定です。」との返事でした。

18 「無罪」の難しさ
かなり昔のことにもかかわらず、その時の状況が蘇ってきます。今後、無罪となるような事件には巡り会わないかもしれません。事実、その後担当した事件で、「これは冤罪で無罪だ」と思った事件が何件かありましたが、いずれも有罪で、『疑わしきは罰せず』との刑事裁判の大原則は現実には当てはまらないな、との思いをしています。