思い出の事件簿 平成28年1月号

思い出の事件簿 平成28年1月号

-息子が死亡したのは誰の責任だったのか-

私がかなり昔に担当した事件ですが、とても印象深く、今でも、大切な息子さんを亡くされたご両親の、無念さが溢れたお顔を思い出します。
今回、この内容を取り上げるに当たっては、依頼者のプライバシーに十分配慮して、当事者のプロフィールや事件内容には大幅に手を加えてあることをご了承下さい。

1 事件の発生
Aさん夫婦の次男Bさんは当時24歳で、地元の有名大学を卒業後、一流企業に就職し、会社の独身寮に住んでいました。
Bさんは親思いのお子さんで、毎月実家へ戻ってきて、両親を外食に連れて行ったりして、円満な親子関係にありました。
会社の同僚とも付き合いが良く、たまたま12月5日夜、会社の忘年会が終わった後、同僚3名でカラオケハウスへ行きました。
Bさんがトイレに立った際、廊下で別の部屋でカラオケをしていた2名から、ささいなことで因縁をつけられ、カラオケハウス駐車場に連れて行かれました。
そこで、その相手方から、殴る、蹴るの暴行を受け、更にナイフで左脇腹付近を刺されました。その結果、腹部刺創、脾臓損傷の傷害を受け、病院で手術を受けましたが、治療の甲斐もなく、12月16日死亡しました。

2 事件の裁判
事件の発生後、容疑者の2人はすぐに殺人未遂容疑で逮捕されました。その後Bさんは死亡したため、殺人容疑に切り替えられました。
2人はBさんに対する暴行と、ナイフで刺したことは認めましたが、「殺すつもりはなかった。」と殺人容疑については強く否認しました。
最終的には、殺人罪では起訴できず、傷害致死罪で起訴されました。
刑事裁判では、2人の被告人は、傷害は認めましたが致死の点は争いました。検察庁は、致死の点について、外部の大学病院の医師に傷害と死亡との因果関係があるかどうかを鑑定依頼しています。その結果は、当然のことながら「ある」との鑑定結果でした。
被告人らは傷害致死罪で有罪判決を受け、直接ナイフで刺した方は懲役6年、共犯者は懲役4年でした。

3 被告人両名に対する損害賠償請求訴訟提起
私は被害者Bさんのご両親から、被告人らに対する損害賠償請求訴訟の委任を受けました。Bさんのお父さんと私は同い年でした。
事情をお聴きし、取りあえずは、被告人らの刑事事件で選任されている弁護人と接触しました。刺した方の弁護人はそのご両親から選任された私選弁護人でしたが、もう一方の共犯者の弁護人は国選弁護人でした。刺した方の親は、被害弁償の気持ちはあるものの、あまり裕福ではなく、こちらが想定する損害賠償金額を支払う資力はありませんでした。共犯者の方は、その両親は貧しく、また損害賠償しようという意思も見受けられませんでした。
Bさんのご両親としては、損害賠償金を取れるかどうかは問題ではなく、息子さんの無念を民事的にも晴らしたい、というお気持ちでしたので、すぐに6,000万円余りを求める民事訴訟を提起しました。

4 被告らの予想外の反論
被告らは、Bさんに対して共同で暴行、傷害を加え、死亡させるに至らせたもので、連帯して賠償する義務があります。やったことは間違いないので、すんなり責任を認めるものと思っていました。
ところが、被告らは、暴行とナイフで刺したという傷害については認めたものの、死亡したのはその後の病院における治療ミスがあったためだと反論してきたのです。確かに、深夜ご両親が病院へ駆けつけた時は、緊急手術を終えて、担当医からは、重症ではあるけれど手術はうまくいった、と説明されました。
ご両親は深夜にもかかわらず緊急手術をしていただいた担当医にお礼を言いました。

5 病院の対応
手術・治療の経過の概略は以下のようなものでした。
担当医の説明によると、開腹手術をしたところ、脾臓から出血していたため、出血を止める縫合をしました。その他に、出血源を確認しましたが、外には見当たりませんでした。そして、腹部内の様子を見るためにドレーンを挿入し、傷を縫合して手術を終えたのです。
上記手術の際、麻酔担当の医師が、Bさんの鼻から胃の方へ管を通して、胃の内容部を外へ出していたところ、胃の中に出血が生じていることが分かりました。担当医は、腹部の各所を診たところ、胃に外傷がないため、ストレス性潰瘍の出血が起きているのではないかと判断し、手術後、潰瘍に対する薬を点滴の中に入れて治療しました。
なお、脾臓の損傷状態は、縫合することにより止血でき、脾臓を取るところまではいかなかったもので、比較的軽度であり、そのままの状態で推移すれば、脾臓の機能自体を回復しうる状況にあったのです。
ただ、担当医は手術を終えると、深夜でもあるため、帰宅しました。その後の対応は、医師になって2年目の新人医師に引き継がれました。この病院は地域では設備の整った大きな病院で、地元では信頼は厚かったです。

6 民事訴訟での鑑定採用
被告らの代理人弁護士は、医療過誤があったとして鑑定申請をしました。渡井者刑事事件で検察側の嘱託による大学病院の鑑定書があったため、鑑定不要の意見を述べましたが、裁判所は被告らの鑑定申請を採用しました。
この病院はC大学医学部系で、検察側の嘱託により鑑定した大学病院もC大学医学部出身者であったことから、全く系列外であるK大学医学部病院の医師が鑑定者に選任されました。私も以前経験していますが、病院に対して医療過誤に基づく損害賠償請求をした時、裁判所で鑑定申請した場合、その病院の系列外の病院若しくは医師を選任するよう求めます。やはり、医師同士の庇い合いがあると思うからです。

7 意外な内容の鑑定結果
鑑定結果は、Bさんが死亡したのは医療過誤によるもの、という内容でした。この結論には私も驚きましたが、それ以上の衝撃を受けたのはご両親でした。息子は被告らによりナイフで刺されたため殺されたと思っていたのが、病院の治療ミスだと分かったため、もし適切な治療を受けていれば助かったはずだと、二度目の無念さを抱いたからです。
この無念さは遺族でない私でも理解できました。
それではどのような医療過誤があったというのか、簡単に説明します。
先ほど、手術後、胃潰瘍・十二指腸潰瘍に使用する薬を点滴の中に入れて投与をしたと申し上げましたが、その後経過を観察していたところ、胃からの出血は続いていました。引き継いだ医師はそのことをあまり重大視していませんでした。
経鼻胃管から多量の血液が出て、一度ショック状態に陥っており、別のベテラン医師は、ショック状態になった原因が胃からの出血によると判断し、輸血を実施し、随時血液検査をしました。ところが、輸血をしているのに貧血の改善が見られなかったため、胃からの出血が薬ではコントロール困難と判断し、再手術をすることにしたのです。
開腹して、腹腔内には出血がなかったことを確認した上、胃を見たところ、胃が肥大し、内部に出血があることが分かったため、胃を切開し、内部の出血を排出しました。胃体上部に、少量の出血が継続的に見られ、出血性潰瘍と診断して、その組織を取り、止血縫合し、手術を終了しました。
しかし、既に出血性ショックが発現しており、再手術がしばらくして不穏状態となり、呼吸困難を訴え、意識レベルが低下してきたこともあって、気管内挿管が行われ、人工呼吸器による呼吸管理と、血漿製剤の投与が行われました。結局、血圧が危険値まで低下し、昇圧剤の投与を開始するも、意識消失、瞳孔散大傾向等の所見が見られ、死亡するに至ったのです。

8 医療過誤訴訟の提起へ
この鑑定結果に関しては、Bさんのご両親もそのまま受け入れることができず、鑑定した医師の証人尋問を申請しました。証人は採用され、K大学医学部病院で証人尋問が行われました。
私とご両親は、直接鑑定した医師に質問することで、より詳細にBさんが死亡に至った原因が医療過誤によるものであることを認識しました。鑑定した医師は識見も高く、良心的な医師であることは直ぐに感じ取れました。
この結果を受けて、ご両親とも相談した上、病院を相手にして損害賠償請求訴訟を同一の裁判所へ提起しました。

9 訴訟の結末
病院に対する訴訟については、先の直接の加害者を相手とする訴訟での鑑定結果があったため、裁判所から早々と和解勧告があり、病院側もこれに応じたため、高額の賠償金を払わせることができました。また、あわせて、直接の加害者との間でも、金額は少なかったのですが和解が成立しました。
ご両親としては、結果的に当初直接の加害者だけを被告として訴訟を起こした時は、現実の支払はあまり期待できなかったところ、病院の治療ミスがあったことが分かり、高額の賠償金を得られたので、気持ち的にはまだ良かったのかな、と勝手に思いました。ところが、ご両親としては「二重の苦しみを経験し、精神的苦痛がより大きくなった」と話されていました。
毎年、年末になると、この事件とこのご両親のこの言葉を思い出します。