思い出の事件簿 平成27年8月号

思い出の事件簿 平成27年8月号

『殺人事件その後-27年後の怪文書』
当事務所通信の平成25年新春号で、『今でも無罪と確信している奥さん殺し』とのタイトルで掲載した刑事事件について、今年突如驚くべき後日談が起きました。

1 事件の概要
この事件は、平成元年に発生した事件です。詳しくは、平成25年新春号事務所通信の通りですが、かいつまんで事件の概要をお話しします。
事業を営んでいる夫が、奥さんを殺したということで、逮捕されました。
テレビでも再三報道されましたが、報道後、まもなく夫が逮捕されました。その時は、「ああそうだったのか。」と思っていたのですが、友人の弁護士からの誘いがあり、2人で弁護することになりました。
私は刑事事件を多く手がけており、否認事件にも強い関心を持っていました。

2 依頼者の心境の変化
受任後、毎日のように警察署へ面会に行き、本人から色々事情を聞き、これはどうも冤罪だと確信しました。
本人も取り調べに対して一貫して否認していましたが、取り調べは厳しく、連日午前9時頃から、夜遅くまで続きました。
ずっと否認していましたが、逮捕されて17,8日目頃から、彼の様子がおかしくなってきました。
「担当検事さんがとても親身になってくれて、毎日家内のために拝んでくれている。」、「検事さんのためにも、奥さん殺しを認めようと思う。」と言い出したのです。
私もこの変化には驚きました。本当に奥さんを殺したのなら、事実を認めて罪を償うべきだ、と思ったので、私は、「本当にやったなら、認めて下さい。しかし、本当にやっていないなら、絶対認めてはいけないですよ。」と言いました。
しかし、彼は、「絶対やっていません。しかし、検事さんに良くしてもらっているので、やっていないけど、やったと認めます。」と、意味不明なこと言うようになったのです。

3 偽りの自白
そして、ついに彼は、奥さんを殺害したと自白をするに至ったのです。私は、面会の時に自白したことを告げられ、驚いて「本当にやったのですか。」とあらためて尋ねました。ところが、「本当はやっていません。」と答えるのです。私は「それなら認めてはいけないでしょう。もし噓の自白をしたら、永遠に真犯人は見つからないですよ。」と言いました。
結局の所、彼はこの自白が決定的な証拠となり起訴されました。

4 不当な取り調べによる虚偽自白
自白した以上、彼はやはり奥さんを殺したのだ、と皆さんは考えられるでしょう。
しかし、最近、足利事件という幼児殺人事件でも、逮捕された方が、捜査段階で自白しました。裁判が始まって無罪を主張しましたが、有罪判決を受けて、服役しました。ところが服役中、最新のDNA型鑑定で、被害者に付着していた体液が別人のものであることが明らかになって、再審で無罪判決を言い渡された事例があります。
ごく最近でも、ネットで他人のパソコンに入り込んで脅迫メールを送り、そのパソコンの持ち主が誤認逮捕され、自白してしまった事件がありました。
人間は、長時間の取り調べによって、本当はやっていないのに、やったと自白するものだろうか、と不思議に思われるでしょう。しかし、現実には、私が担当した否認事件で、捜査段階からずっと否認していたのに、自白させられた事案を何例も見ています。
一般的には、脅迫的な取り調べ、利益誘導的な取り調べ(例えば、認めれば余罪については立件しない、とか、他の身内への追求は勘弁してやる、と言われたりすることがあります。)により、自白に至ることがあります。

5 自白内容の追求
この事件では、彼は裁判所において無罪であると主張して、私も弁護人として、徹底的に争いました。
自白調書の任意性・信用性を争ったほか、関係証人の尋問もおこない、取り調べにあたった刑事の尋問もしました。
自白の信用性については、その内容に矛盾・不自然さが多く見られることを指摘しました。
また、動機についても、自白調書に記載された事実関係では、到底、奥さんを殺すほど強い動機となりえないことを指摘しました。
さらに、殺害で使った凶器が発現されないという点も不自然でした。奥さんは顔面を中心に角材のような物で、多数回殴打され、あるいは蹴られています。凶器は、自宅内にあった唐木の端材で、陳列品の下の置き台として使用していたものだ、となっていました。そもそも、このような凶器でここまでの凄惨な傷を負わせることも無理ではないかと思いました。何よりも、彼の自白調書で書かれた、『自宅裏の用水に捨てた』との川からは、見つかりませんでした。唐木の比重は1よりも重いため、流れて行ってしまう可能性は低いのです。
さらに、ポリグラフ(噓発見器)の結果として、被告人が殺人を犯した事への反応が出ていなかったのです。

6 不可解な電話
このような事件でしたが、実はまだ起訴される前の段階で、まことに妙な電話が入りました。
ある男が、自宅に電話で、「実は私は真犯人を知っています。真犯人が私の所へ来て、凶器も私が預かっています。」と言ってきたのです。私は、いたずらであろう、と思いました。しかし、否認事件でもあり、当然真犯人は別にいるとは思っていたわけで、その男の話も一蹴するわけにはいかず、真偽の程を確かめるため、具体的な質問もしていきました。電話でのやり取りは2週間位の間で7,8回にわたりました。
その話は実に具体的でした。
その1 犯行の具体的場所
現場は店、展示倉庫と住宅が3棟接続しており、殺害現場は住宅2階の、上客しか入ることがない部屋でした。
その2 殺害現場の直後の状態
頭部と顔面を殴打されて大怪我をして、顔面からの出血が周囲の壁や障子に飛び散っていたこと。
その3 凶器の形状がケガの状態と一致すること
自白調書に書かれた凶器とされていた「唐木の端材」は、そもそもその場所に置いてあったこと自体が不自然であるし、商品の下に挟んであったとすれば、大きさ・長さなどからして凶器となるような角材とは考えられないこと。
以上のことから、その男の話は無視できないと思いました。このような事実は公表されておらず、事件関係者か捜査関係者しか知り得ないことではないか、と思ったのです。最終的に、その男は、50万円でその証拠品を渡す、と言ってきました。

7 「電話の男」との交渉
私は、もう一人の弁護人にも相談しましたし、依頼者にも報告しました。半信半疑の思いではありましたが、依頼者は、「是非、その話を進めて欲しい。」と言ってきたため、その次に男から電話が掛かってきた際に、50万円を支払う、と答えました。
そして、お金と証拠品の受け渡しについて打ち合わせをしました。勿論、その男は連絡先も明かさないし、お金の支払いが先で、証拠品は受領後送る、とのことでした。身代金誘拐事件さながら、お金の受け渡し場所は転々としました。最終的には、工事中のアパートの郵便受けを指定されました。指定通りそこに封筒に入れた50万円を置きました。
しかし、その後、その男からは何の連絡もありませんでした。2,3日後、50万円を置いた郵便受けを見に行きましたが、お金はなくなっていました。
やはり騙されたか、との思いでした。この内容は勿論詐欺罪に該当しますが、事が事だし、依頼者を取り調べた警察署に行っても、取り合ってもらえないだろうと考え、悔しい思い出としてしばらく残ったものの、ずっと忘れていました。

8 27年後の怪文書
平成27年2月8日、突然茶封筒に入り差出人が名字だけという、一見して怪しい手紙が来ました。
なんとなく嫌な予感がしましたが、中を見ると、当時私に電話してきた男とほぼ断定できる人物からの手紙でした。
その文面の中には、「先生お久しぶりです。私は○○です。あれから約20年経ちますね。A様の奥様のご冥福をお祈りします。A様にも大変な精神的苦痛と迷惑をかけたことを併せてお詫び申し上げます。弁護士先生にも大変迷惑をかけ、深くお詫び申し上げます。」との始まりで、次に、当時の真相につき説明してきたのです。
「B様とA様の奥様が、頻繁に私の会社にお客様として出入りしておりました。2人の仲は男女の関係とわかっていました。ある日、B様とA様の奥さんの口論を耳にしました。内容は、B様の奥さんに男女関係を告発するという内容でした。私の店からその2人が出て行ってから約2時間後に、B様が血相を変えて戻ってきました。そして、A様の奥様に暴力を加えて大変なことをしてしまった、どうしよう、と言われました。私は、今日のことは聞かなかったことにするから、心配しんでもいいと答えました。」
「それから、ある程度日にちが経ってから、私はこの件でお金になるかもと思い立ち、情報提供料として500万を取ろうと思い、先生に電話をしました。私は、片手ですよ、と要求しましたが、それに対して50万を指定したボックスに入れて下さいましたね。ところが、500万のはずが50万しかなかったので、私は腹が立ちました。そこで、今度は矛先をB様に向け1,000万を要求しました。Bさんは金銭的に裕福な人であり、1,000万をすぐに払ってくれました。」
「本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。今回この文書を先生とB様に送ります。B様に対しては、A様と和解するなら和解金を用意するように付け加えました。A様が事件にするならお金は不要です。B様なら1,000万くらいならすぐ用意できるでしょう。どちらがよいか、互いに考えてみて下さい。弁護士先生とA様とB様で話し合ってみてはいかがでしょうか。私はいつかはB様に襲われると思い込み、気になって夜も寝られない日がありました。話し合いが成立すれば肩の荷が下ります。事件をうやむやにしたこと、冤罪事件にしたこと、今では本当に申し訳ないと思っております。」との内容でした。
私は、この文面からして、27年前、私の所に電話してきた男と同一人物であると判断しましたが、話の内容があまりにも荒唐無稽であり、また、このB氏という人物は、ある程度検討がつく人物であったことから、半信半疑でした。しかし、あり得るという気持ちと、真犯人が分かるという淡い期待を持ちました。

9 続々と届いた怪文書
その後2月11日に再び手紙が来ました。事実経過について書いた文面は前回と同様でした。但し、「その後、Aと連絡を取ったかどうか」との確認と、「Bへ書面を出したので、その返答を聞いた後、改めて連絡する」と書いてありました。
3度目の手紙は2月28日に来ました。内容は、「Bから返答があり、お金はいくらでも出すから、今更問題にしないでくれ、と言われたけど、自分は前回の過ちを繰り返さず、Bからはお金を貰いません。」と書かれてありました。また、「Aにお詫びの電話をしたいので、Aの住所、電話番号を教えてもらえないでしょうか。」とも書いてありました。
私は、てっきり情報提供料の請求をしてくると思ったのに、そんな記載もなかったため、その男の意図を図りかねました。
4回目の手紙は3月14日届きました。この手紙には、「事件発生後、Aが逮捕され、その後殺人を認めたとの新聞記事を見た時とても驚いたこと、そのことを実行犯のBに連絡した。」と書かれていました。また、前回と同様、「Aの住所、電話番号を知らせてほしい。」との内容が書かれ、後日連絡するとの記載がありました。
実は、依頼者が出所した後、私は一度名古屋で会ったことがあります。依頼者には、ずっと音信不通だった母親がいることを、弁護していた時に知らされ、私が連絡を取り、依頼者の預金通帳などの資産を預かってもらっていたことがあります。その返還の場に立ち会ったのです。しかし、それも17,8年前のことであり、その後、依頼者との連絡はまったく取っていないし、行き先もまったく分からない状況でした。今回の話を、依頼者を捜し出してやるべきかどうか迷いましたが、この男からの連絡の真意がはかりかねて、もう少し待とうと判断しました。
その後、4月4日5回目の手紙が来ました。
その内容は、「先日、B様と話をしました。1,000万円貰っているので、これ以上他でもらうことはできない。もし気持ちがあるなら、A様に会って謝ってみては、とお願いしましたが、B様はそういうことはできないと断ってきました。A様の気持ちを思うと、胸が締め付けられる思いですが、私の力不足でごめんなさい。先生には悪いけど、この話はこれで終わりにします。先生とお話ししようと思ったことは何度もあったのですが、過去に何度も先生の事務所に電話を架けたことがありますが、いつも女性の方が電話に出られ、留守です、
とのことでお話することができませんでした。」とあり、「追伸として、私は70歳になりました。いつお迎えが来るかわからない歳になりましたが、この事件のことが気になります。私が死ぬ前にこの事件をはっきり片づけていかないとね。A様にあの世で合せる顔がありません。A様のことを思うと、私はこのまま死んでも死にきれないです。
ところで、先日、先生の事務所の前で、先生が車から降りてくるのを見かけました。裁判所で見かけた頃は先生はまだ若かったのに、お年を召されたなとの思いでした。A様と連絡を取れればよいのですがね。」と締めくくってありました。

10 迷いを抱えて
一応この男からの連絡は収束したように思われますが、私としてはどうすべきなのかはたと迷いました。単なるいたずらにしては、このように5回にもわたって手紙を出してくるのは手が込みすぎていると思います。
この男は70歳とのことですが、実は手紙には生年月日が記載されていました。またB氏についても実名が書いてあり、かなりの資産家であるとも書かれていることから、実は何人か心当たりがあります。
この点を、依頼者に連絡すれば、当然心当たりがあるはずで、その真犯人とされる人物の特定ができる可能性があります。もっとも依頼者の方はもう既に高齢であり、亡くなっている可能性もあります。
はたしてどうしたらいいものか。