思い出の事件簿 平成26年8月号

思い出の事件簿 平成26年8月号

記憶に残る事件はどうしても刑事事件が多いです。
今回も女性の放火事件についてお話しさせていただきます。
この事件は事件の内容の特殊性だけではなく、事件を引き受けるに至ったきっかけにおいても記憶に残っています。

1 本当に教師と呼べる先生
私の子供が小さい頃、子供の通う中学校で授業参観があり、参観後講演会が開かれました。
元校長先生が講師で、家庭教育・学校教育に関してとても良い話をされるということで評判の方でした。
とても人情家で教育に情熱を燃やしてきた方で、ご自分の教師時代の教え子でとても苦学していた生徒を、物心とも親身になって応援したところ、その生徒が大人になって商売で成功して恩返ししてくれた、というお話でした。
元校長先生はお話がお上手で、多数集まった父兄の方も思わず聞き入りました。
その教え子は中学校を卒業後、料理屋さんに丁稚奉公して、厳しい修業時代を必死に耐え抜いて、調理技術・人間関係・接待の仕方などを身につけて、独立しました。その後は順風満帆に店を広げて、30歳になったときには、自宅も建て、かなりの経済的余裕が持てる状態になりました。この間も、自分が最も苦しいときに親身になって援助をしてくれた恩師のことは、片時も忘れることはありませんでした。
成功の暁には恩師の元を訪れて、感謝の気持ちを表すと共に、恩返しをしたい、と思っていて、ついにはそれを実行した、という内容でした。とても感動して、ずっと私の心の中に残っていました。

2 その後、私は、現実にその教え子に会うことになりました
講演された元校長先生の息子さんは、私と親しい関係にありました。
その成功された教え子が法律問題を抱えることになり、私のところへ来られました。
当時、その方は居酒屋を3店舗展開されている社長さんで、50歳前後になっておられました。賃貸していた店舗の大家さんとの間でトラブルが発生したことから、相談に来られたのです。
相談を受けた件は、無事に解決できましたが、社長さんからも、元校長先生との交流のお話を伺いました。
社長さんは、母子家庭で本当に貧しい生活を送っていました。中学校時代に、担任だった校長先生(当時は平教師でした)は、常に社長の学校での様子を気遣って、言葉を掛けてくれました。それだけに留まらず、学用品が買えないことを知って、そっと学用品を買って渡してくれたり、修学旅行の積立金も内緒で支払ってくれていたのです。一先生がここまでやることが良いのか、という疑問はありますが、校長先生も、その生徒が貧しいながらも、必死に努力する姿勢を感じ取って、間違った方向に行かないように、何とか立派に育ってほしいと念じていました。
社長さんは一時悪い仲間と付き合いかけて、間違った道に行きかけた時期もありましたが、校長先生の温かい励ましのお陰で、立ち直っていったのです。

3 社長さんはその後必死の努力をしました
社長さんは、きっと将来立派になってお金も稼ぎ、お世話になった先生に恩返しをしたいとずっと心に秘めていました。
目的があると人間はがんばれるものです。元々社長さんは人柄も良く、気が利くし仕事も熱心でした。
その必死の努力が実を結んで、何と23歳で独立して小さな居酒屋を開店しました。薄利で美味しい物を提供するという経営姿勢がお客さんからも認められ、店はお客さんで一杯でした。千客万来でした。
その後、27歳になって2店舗目、30歳に3店舗目を開きました。
彼は、「よーし、これで先生の前に出て、恩返しできる立場になれた。」ということで、先生の連絡先を調べて訪ねに行きました。その時は、ある中学校の校長先生になっていました。
校長先生は訪ねてくれたことに喜び、しかも立派に仕事をしていると知って、応援した甲斐があったことで二重の喜びを感じました。
社長さんは、放課後に先生を連れて、まず洋服店に連れて行きました。そして、「先生のことは一時も忘れたことがありません。どうか恩返しさせて下さい。」と言って、そこで背広を作ってくれました。勿論、校長先生は固辞しましたが、最終的には彼の厚意を受けました(もっともその後、お返しはしたそうです。)。また、その日、彼は校長先生を自分の経営する居酒屋3軒を案内して、そこでご馳走しました。
その後も、しばしば、家族を伴って校長先生を訪ねてくるようになり、毎年盆暮れに普通のお中元・お歳暮を超える贈り物をしてきた上、食事の招待も度々したそうです。
こうして、社長さんと校長先生の心温まる関係はずっと続きました。

4 社長さんから事件の依頼
ところで、話は変わりますが、私はある日突然、社長さんから、従業員の奥さんが逮捕された、との連絡をいただきました。昭和60年頃のことです。
社長さんとその従業員からお聞きしたところ、奥さんは連続放火犯として逮捕されたとのことで、新聞記事やテレビのニュースで、事件のことを報道していました。
社長さんとその従業員の方が来られ、事件の背景や家庭の事情を伺いました。私は早速、警察署に面会に行きました。放火したことは全て認めており、情状面での弁護が中心になるため、結婚生活の状況、このような犯行に至った背景経過を中心に聞き取りしました。
男性に比べれば、女性の犯罪件数ははるかに少ないことは皆さんもご承知の通りです。
法務省は毎年犯罪白書を発表しています。平成25年版によれば、第6編で『女子の犯罪・非行』というタイトルで、女性犯罪が取り上げられています。
私も昔、司法試験を受験したとき、『刑事政策』を選択しました。とても興味を持って勉強をしましたが、試験で、女性の犯罪の特質と対策、といった問題が出されることがありました。
ところで白書によると、「女子の検挙人員は、平成4年の5万2030人を底として、5年から増加傾向となり、17年には戦後最多の8万4175人を記録した。その後、再び減少に転じ、24年は、6万431人であった。女子の人口比も検挙人員の推移と同様の傾向にある。これに対し、女子比は昭和53年までは上昇傾向にあったが、その後はおおむね2割援護で推移している。
罪名別・男女別に見ると、女子は、窃盗が8割近くを占めており、男子(5割弱)に比べ、顕著に高い。覚せい剤取締法違反の占める割合が22.1%と最も高く、次いで、軽犯罪法違反(12.9%)、風営適正化法違反(10.6%)」と書かれています。
ところで昭和39年の犯罪白書によれば、次のようなことが書かれています。
「強盗、暴行、傷害、脅迫、恐かつなどの暴行を使行する犯罪において、女子の少ないことがまず目につく。つぎに、えい児殺や堕胎などが実数の上では少ないが女子に比較的に多いのも、暴力的犯罪が少ないことと同様に、女子の身体的、生理的特性にもとづくものである。
放火が女子に多いことは、その心理的特性によってよく理解される。男子の放火には保険詐欺などの利欲によるものが多いが、女子ではえん恨、しっとなどの激情によって、ほとんど原始反応的な形で遂行されることが多い。そのほか、色情的な動機でなされる場合も少なくないことなどから、放火は女子特有の犯罪とみられている。」(現段階の既述では差別的ととらえられますが、この当時はこのような考え方がされていました。)
私がかつて刑事政策を勉強したときには、このような学説が有力であったことから、放火は女性に比較的多い犯罪だと認識していました。現時点で、このような理解が当てはまるとは言いがたいと思います。

5 放火事件の概要
本件放火事件は、女性による犯行で、それまで勉強していた女性による放火事件の特質に当てはまると思いました。
①この女性は、20代後半で、夫との間には2歳と4歳の子供がいました。夫の母親との折り合いが悪く、一時実家に戻っていました。
彼女は、子供を連れて実家に戻っていたのですが、次第に「夫のもとに戻りたい、親子四人一緒に暮らしたい」と思うようになってきました。しかし、生来の内気な性格も手伝って、自分自身の口からこの思いを打ち明けることができず、夫の方から話を切り出してくれるのを待ち望むようになりました。
②しかし、実家へ定期的に訪ねて来る夫の口からは、一向に、戻ってくるようにという話が出てきませんでした。
そのまま3ヶ月が過ぎ、彼女は、夫のもとに戻りたいという気持ちが強くなり、このままの状態が続けば一生帰ることができず、離婚ということになるのではないか、との不安を強く感じるようになりました。
また、「夫が戻ってくるように言ってくれないのは、自分を必要としていないからではないだろうか。」とも思い悩み、子供の将来のことを考えるといても立ってもいられない気持ちになりました。
この間も、夫は、日曜日等に実家へ訪ねてきて、子供達の相手をしていきますが、彼女としては、夫に会える嬉しさの反面、その様子を見て、かえってつらいと思うようになりました。
③このような思いが強くなり、いらいらがひどくなって、母や子供にわけもなく当たるとか、無口になって妙にふさぎ込むようになっていきました。特に買い物に行って親子連れを見ると、その幸せそうな様子と我身を比べて、いらだちとあせりを覚えたのです。
④このような背景のもと、第一の犯行に至りました。
彼女は、新築中の家屋軒下にあった廃材に、所持していたマッチで火を放ちました。
新築中建物の注文主の妻とは、ごく親しい間柄でした。その妻が、親に土地をもらって新居を建てており、幸せそうにしている様子を見て、羨ましく思いました。彼女は、我身と比べて余りの違いを感じ、言葉に表せないようないらだちを覚えたのです。
そこで、このいらだちを晴らそうと思い、廃材に火を放ったのです。直接廃材に放火した時には、新居まで燃やしてしまいたいとまでは思っていませんでした。彼女は、放火した後の結果が気になって、車に乗って一回りし、約7,8分後に現場へ戻りました。すると、火は立ちのぼり、このままでは新築中の家屋に燃え移ると感じ、あわてて被害者宅に知らせたため、被害者の家族の手によって消し止めることができ、大事に至りませんでした。
⑤この事件だけに留まればよかったのですが、その一月後の夜、実家からそれほど遠くないところの木造倉庫と接着して積んであった古材に灯油をまいて、マッチで放火しました。近くに人家はありませんでした。結果的には、板壁、鴨居等が燃えた程度で自然鎮火し、被害は警備でした。
さらに二週間後、別の場所にある納屋の南側窓に空いていた穴に、新聞紙を丸めて差し込み、これに火を放ちましたが、燃え広がることなく自然鎮火しました。この納屋も人家からは離れた所にありました。
その一週間後、自宅から300メートル程離れたところの車庫の片隅に積んであったわら束に、マッチで放火し、全焼させて、駐車してあった軽トラックが燃えてしまい、約50万円の損失を与えてしまいました。

6 弁護の方針
①まず犯行に至る経緯の中に、彼女に同情すべき事情があることを主張しようと考えました。
彼女の父親は、生来の遊び人で、結婚当初より飲む、打つ、買うという道楽者であり、定職がなく生活費も入れないばかりか、金がなくなると妻や子供の貯金まで持ち出すようなデタラメな人間でした。また、妻や子供に暴力を振るうこともしばしばでした。
母親は生活費を得るため、彼女の幼い頃から働いていたので、小、中学校時代寂しい思いをしていました。このような家庭環境が影響してか、内気で引っ込み思案という暗い性格で、友達もできず学校でも殆ど口をきくことができませんでした。
しかし、母親としては間違った方向に行ってはならないと厳しく躾したので、5歳年上の兄ともども非行に走るということはありませんでした。
彼女は、中学校卒業後工員として働くようになりましたが、上司、同僚に恵まれたこともあって、別人のように明るく、人ともよく話しをするようになり、友人もできました。
そして、人の紹介で見合いをして夫と結婚することになりました。
夫は当時調理師をしていましたが、真面目で、人づきあいもよく、仕事熱心な男でした。そして、勤めていた店の経営者が、当初にお話しした社長でした。
結婚後、彼女は、夫の母と同居し、何の問題もなく結婚生活を送ってきましたが、しばらくすると夫がなにかにつけ義母の肩を持つので、何か自分だけが疎外されているように感じてきました。また、夫の勤務時間が長く、夫婦間の会話もあまりなかったこともあり、この思いが段々高じていったのです。
長男を妊娠し、つわりで苦しんでいる時も、夫や義母にいたわりの言葉もなく、自宅に閉じこもりがちになることが多くなっていきました。
長男を出産した後、育児で非常に疲れていましたが、家事について、姑は全く手を貸してくれませんでした。
もっとも、後で分かったことですが、夫は、義母に対して、育児について色々口出しして嫁姑がもめたりしないように、子供の面倒をみないようにと言っていたそうです。
義母も、本来子供好きで孫に手をかけたいと思っていたのですが、息子から止められていたため、面倒をみることができなかったというのが実情でした。
それから三ヶ月後、彼女は再び妊娠し、つわりもひどかったのに、義母は家事育児の手助けをしてくれないし、たまたま、夫とケンカしたこともあり、無断で実家へ戻りました。
このような経過により実家で生活をするようになった後に、連続して放火事件を引き起こしたのです。
② 放火事件としての違法性が低いこと
放火事件は本来重い犯罪で、特に現住建造物放火は、人の生命に関わり大惨事に至ることも少なくありません。放火犯に対する刑罰も重く、執行猶予が付く可能性は低いと言えます。
しかし、そもそも、放火罪の保護法益は、第一に公共の安全で、第二に個人の財産と言われています。特に、今回の放火対象は、非現住建造物であり、現住建造物放火罪と違い、具体的公共危険罪であり、「公共の危険」の発生が構成要件要素とされています。
ところで今回の犯行につき、まず発生した「公共の危険」の程度を見た場合、犯行現場は田舎で、住宅密集地ではなく、現実に人家への類焼の可能性も少ないのであり、その程度は低い部類に属すると考えました。
また財産への侵害の程度という面からみても、それぞれの被害金額は低く、
全部合計しても60万円であり、損害額としては比較的低い方です。
③心神消耗の主張
新聞テレビなどで、殺人事件などの思い犯罪を犯した場合、弁護人が必ずといっていいほどこの主張をします。
責任能力を否定若しくは限定する理屈として、心神喪失・心神耗弱を弁護の一つの柱にします。
心神耗弱とは、精神の障害等の事由によって、事の是非善悪を弁識する能力、又はそれに従って行動する能力が著しく減退している状態をいいます。心神耗弱状態においては、刑法上の責任が軽減されることになります。勿論裁判所も簡単には認めてくれませんが、弁護人としては余地がある以上は、心神耗弱の主張をすべきとされています。
この件では次のように具体的に主張しました。
「彼女は、嫁姑の不和等が原因で、子供を連れて実家に戻り、その後一年半近く夫と別居していました。この間夫とは定期的には会っていたものの、彼女としては、別居後しばらくすると、再び夫と同居して円満な家庭生活をしたいと切望するようになりました。
犯行直前頃から、特にこの思いが高じたのですが、夫は彼女の気持ちを汲んで、同居するための方策をとろうとしなかったため、行く末を案じて思い悩み、いらだちもどんどん高じ、本件犯行に至ったもので、彼女は犯行当時心神消耗の状態にあったと考えます。」

7 彼女自身の反省の様子
彼女にはこれまでに全く前科前歴はなく、逮捕されて初めて、事の重大性に気づき、大変なことをしてしまったとの後悔の毎日を送ることになりました。被害者の方に、精神的にも経済的にも損害を与えてしまい深く反省しました。
彼女には二人の幼子があり、逮捕される直前まで養育していましたが、子供達の面倒をみる者がいなくなり、無事にやってくれているか、毎日毎日心配でたまらなかったのです。
実母や夫が警察署に面会に来てくれましたが、当初泣くばかりで話もできない状態でした。
その後、徐々に落ち着きを取り戻すに従って、夫、母、兄その他の親族の人達にも大きな迷惑をかけていることが分かっていき、自分の犯したあやまちへの悔悟の念が増々強くなっていきました。

8 家族の受け入れ体制が調っていました
彼女は、このような犯罪を犯してしまい、夫から離婚されるものと思っていました。しかし、夫は、今回の事件につき自らも責任があったことを反省し、一からやり直そうと言ってくれたのです。
義母もやはり好意的な態度に出てくれました。
夫は、別居生活を解消すべく努力し、関係者と相談した結果、彼女の保釈後は、親子で同居することとし、彼女自身精神的に楽になるように、彼女の母親にも婚家近くに住んでもらうことにしました。
まもなく彼女は保釈され、計画した通りに同居することとなりました。
育児については母も手伝ってくれ、精神的に非常に楽になりました。また、夫も社長の好意で勤務時間を短くしてもらい、夫婦間の会話も多くするようにしました。義母も前と態度を改め、彼女とよく話すようになり、家庭の雰囲気も明るくなりました。
また彼女自身も、近所のパン屋さんの好意で、全ての事情を知った上で、パート勤務させてもらえることになりました。
彼女自身、保釈後しばらくは後ろめたさもあり、周囲の目も気になっていました。しかし、近所の人が事情を知った上で温かく接してくれ、家族も皆自分のため努力をしてくれ、わだかまりなく接してくれることから、落ち着きを取り戻すとともに明るさを取り戻してきました。
このように、周囲が温かい目で、善意をもって扱ってくれることに対し、彼女は言葉で表現できない程の感謝の気持ちを持ちました。

9 判決の内容
被害者との間では全て示談が成立して損害賠償も実行しました。
放火罪が重大な犯罪で、一般的に刑の執行猶予が付けられることは珍しいと言えます。しかし、彼女はとても幸運であり、周囲の環境がとても良かったと言えます。彼女の問題が多かった環境も改善されました。
裁判所はこのような有利な事情をくみ取ってくれて、執行猶予付きの判決を言い渡してくれました。但し、心神耗弱の主張は認めてくれませんでした。
この判決の結果には、彼女とその家族はもちろんのこと、社長さんにも喜んでいただきました。また、校長先生もこの間のお話は伝えており、社長さんの寛大な対応にいたく感動されました。

10 その後の様子
彼女とその家族は、その後約束通りの円満な関係を築くことができ、当時小さかった子供さんも立派に成長し、ご主人も社長の好意で1店舗の居酒屋を暖簾分けで譲ってもらい、彼女と長男もそこで働き、店の景気も良く、順調にやっておられます。
なお、その校長先生も、その後ある市の教育長を務められ、今も90歳近くなられましたがお元気で、社長さんもいまだに校長先生との交流を続けられています。