木下晴弘「感動が人を動かす」39「鬼手仏心」

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シリーズ「感動が人を動かす」39
「鬼手仏心」

「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘
弊社は2022年5月末に、オンライン講演にふさわしい環境を求めて引っ越しをおこなった。今まで17年間お世話になった西中島南方という場所から、阪急電車で一駅西に行った十三というところに移ったのだ。
新しいオフィスで心機一転、少し環境にも慣れてきたという6月21日。この日は朝から戻り梅雨のうっとうしい雨が勢いよく降っていた。それを知らせる連絡は、出勤途中の私の携帯に飛び込んできた。今年7月で60歳になる弊社の女性スタッフMさんが「左足首完全骨折」という大けがをしたのだ。

「駅でこけました!足が折れたかもしれません!」

電話の向こうから聞こえる悲痛な声に動転した私は「どうした!?大丈夫か!」と最低の返答をした記憶がある。
駅でこけたと言っているのだ。「どうした!?」という問いはないだろう。足が折れたかもしれないと言っているのだ。「大丈夫」なわけがないだろう。
こんなときとっさに「救急車を呼ぶから場所を教えて」と的確な返答ができる自分でありたいのだが、物心ついたときから小心者の私は、緊急事態になるとテンパってしまう。
結局彼女は近くにいた親切な人たちに助けられ、救急車で病院に運ばれたのち手術となった。骨折箇所は2か所で全治1か月の重傷だった。
幸い手術は成功した。ギブスが外れるまではそうかからないとのことだったが、松葉杖なしで歩けるまでには相当な期間のリハビリが必要だ。彼女が抜けた穴は大きく、その日から途端に激務の毎日が始まった。
しばらくは「痛い、痛い」とつらそうにしていたが、痛みが治まってくると時間を持て余すのかあれこれと考えを巡らし、彼女が行き着いた結論は「引っ越しの方角が悪かった。厄払いが必要だ」というものだった。
元来私は雑宗教で、ハロウィンにはごちそうを食べ、クリスマスにはツリーを飾り、その1週間後には神社で柏手を打っている。つまり楽しければなんでもいいのだ。だから間違っても、引越しの際に「方違え」など考えることはないのだが、そういわれて心配になってしまった。小心者なのだから仕方がない。
くそ忙しい状況にもかかわらず、近くの厄神さんに出向いて、オフィスの壁に貼るためのお札を買いに行った。
「すみません。引っ越した先のオフィスに貼る厄除けのお札が欲しいのですが」
「はい、この千円のお札がいいと思います」
「(ん?千円か…ご利益が少なそうだ…)他にありますか?」
「いえ、オフィス用はこの1種類になります」
「(…仕方ないな)じゃあ、それください」
「はい、わかりました。どなたか厄年の方はおられませんか?」
「ええ、それは大丈夫だと思います」
「一応、お札と一緒に厄年早見表を入れておきますので、また確認しておいてください」
「ありがとうございます」
こんなやり取りをして会社に戻り、何気なく早見表を見て「あれ?」と疑問がよぎった。なんと男女とも還暦が大厄になっているのだ。お恥ずかしながら私はそれを知らずに今まで生きてきた。ちょっと待てよ。彼女は今年厄年ではないか!
かくして、この騒動の原因はどうやら引っ越しの方角ではなく、本人自身の厄払いができていなかったことにあると決着した。
とはいえ、原因をそこに求めてもリハビリが辛いことに変わりはない。しかし、こちらも目が回るような忙しさだ。しばらく仕事に忙殺されていたそんなある日、彼女のリハビリをサポートしてくださっている理学療法士さんから会社に電話がかかってきた。若い男性の声だった。

「少しお願いがあってお電話しました。Mさんは会社の皆さんが大好きなご様子で、口を開けば『早く会社に行きたい。早くみんなと会いたい』とおっしゃいます。ご本人は8月中の復帰を強く望まれています。でもそれを実現するには年齢的にもかなりハードなリハビリを行う必要があります。焦らずゆっくり行きましょうとお伝えしたのですが、本人の想いは強いようです。そこでお願いです。彼女の想いに応えるために、私は心を鬼にして厳しいリハビリを要求しようと思います。そうすると必ず心が折れる時が来るでしょう。そのときどうか会社の皆さんから励ましの言葉をかけてあげて欲しいのです。その言葉は必ず彼女のエネルギーに変わります。どうぞよろしくお願いします」

その言葉を聞きながら、鼻の奥がツンとなった。
そうだ。言葉はエネルギーだ。たった一言で人は簡単に死を選び、たった一言に命を救われるのだ。
思えば今まで、私が書き連ねてきた駄文に登場した「プチ紳士プチ淑女たち」はなぜ紳士淑女たる存在であったか。そう彼らは言葉に宿る力を知っていたのだ。
毎日、一言でいい。相手の心がエネルギーで満たされる言葉を放ちながら残りの命を全うしたい。それができれば厄はやってこない気がするのだ。

シリーズ「感動が人を動かす」24
「教師の一言で、人生が変わった」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

大阪の旭区に、いつもお世話になっているめちゃイケの私立学校がある。そこでは年に数回、社会人卒業生たちが後輩に仕事ぶりを講義するイベントが開催される。ある年講義を担当したのは四十歳になるオペラ歌手のE君だった。素晴らしい熱唱に後輩の生徒たちは一瞬にして静まり返ったそうだ。
そのE君が入学してきたときに担任だったJ先生と2年前、梅田にあるオシャレなBARに飲みに行った。
平成元年、彼はラグビー部入部を夢見てその高校に入学した。しかし、練習中の怪我が原因で結局部活をやめてしまう。自暴自棄になり、授業中の態度は崩れ始めた。教室の正反対に座す友人と大声で雑談をするなど、日ごと荒れていくのが見て取れた。ある日担任だったJ先生はこう話しかけた。
「チューバを吹いてみないか?」
J先生は音楽の先生で、吹奏楽部の顧問。特にピアノに関してはコンサートを開くほどのプロである。
「君の体格なら、少し練習すればいい音が出るぞ。どうだ、やってみないか?」
放課後音楽室にやってきたE君に部員の一人がチューバを手渡した。重いチューバを軽々持ち上げたE君が、力任せに吹くとチューバは逞しく鳴り響いた。部室に拍手が沸き起こる。そしてE君は部員になった。熱心に練習を続けていた彼だったが、授業態度は相変わらずだった。そんなある日、E君は思いつめたように相談にやってきた。
「先生、俺、声楽家になりたい」というではないか。J先生は言った。
「確かにお前は体格にも恵まれているし声もいい。しかし、部活でチューバを吹いているのと、声楽家として人生を歩むのは大違いだ。理由はなんだ?」
だが、明確な答えはなく「声楽家になる道を示してほしい」と日々繰り返すのだった。根負けした先生は言った。
「声楽家になるのなら、音楽大学に通う必要がある。国語や英語といった入試教科の勉強も必要だ。今のお前の成績では話にならん。そしてピアノの訓練も必要だ。専門の先生、防音のピアノ室・・・かなりの費用が必要だ。おうちの人はなんて言ってる?お前ひとりの問題ではないのだよ」
数日後J先生は、E君の家を訪れ彼の両親にありのままを伝えた。息子に「考え直せ」と迫るはずのお父さんは意外な言葉を言った。「先生、どうか息子の言うようにご指導ください」

翌日、先生はE君に告げた。「お前が本気かどうか試してやる。まずは授業態度だ」
「わかった!先生、俺、夢のために頑張る!」
この日から彼は人が変わったように努力を始めた。各教科の先生方からの評価も劇的に好転した。少なくともそのときは彼が本気であるかに見えた。しかし、その努力は続かなかった。数週間たったある日、他教科の先生から「E君最近授業中、居眠りばかりですよ」と報告があった。J先生はすぐ教室にいき、E君の襟を捩じ上げ「このやろう!夢だ何だと調子のいいことを抜かしやがって!人生をなめるんじゃねぇ!」拳骨が頬に飛んだ。
彼を別室に連れて行き、彼に本気度を問いただした。しばらくの沈黙の後、大粒の涙とともに彼は話し始めた。
「先生、ごめんなさい。何とか今まで頑張ってきたんだけど、このしばらく、ほとんど寝ていないからついついうとうとしてしまいました。本当にごめんなさい・・・」
家庭訪問があった翌日から、ピアノの授業料を稼ぐため、父と一緒に新聞配達のアルバイトを始めたこと。お母さんは今までやっていたパートの仕事に加えて、サンドウィッチ工場に働きに出始めたこと。彼の夢を支えるために、家族が一丸となって毎日を送っていることに、涙を流しながら感謝の言葉を述べる彼。初めて聞く内容に先生は何も言えなくなった。ただ一言「殴って悪かったな。許してくれ」とそういった。

翌日から先生の激務が始まった。音大時代の恩師に連絡を取り、E君の自宅近くで専門指導の出来る先生を探してもらった。その先生のところに日参し、出来る限り授業料を安くしてもらうべく頭を下げた。なんと、J先生の自宅にあるピアノ室に防音工事まで施し、いつE君が来てもいいように開放したのだ。
先生の本気はE君に乗り移った。成績はグングンと上昇を始め、誰もが不可能と思っていた音大に見事合格していくのである。

合格報告に来たE君に、先生は以前答えを聞けなかった質問をぶつけた。
「本当に、本当によく頑張ったな。覚えているか?お前が突然、声楽家になりたいと申し出てきたとき、俺はなぜ声楽家なのかを尋ねた。もう一度聞いていいか?なぜ声楽家だったんだ?」
E君は話し始めた。
「小学校の音楽の授業で、先生の弾くピアノに合わせて歌うテストがありました。そのとき僕の歌を聞いた先生が『E君、いい声だね~!オペラ歌手になれるよ!すごいね』って言ってくれたんです。その日から、我流だけど、実はずっと歌の練習をしていたんです」
音大入学後E君は借金でイタリアに留学。本当にオペラ歌手になって帰国し、後輩にその美声を披露したのだ。
オシャレなBARの片隅で、そのプチ紳士は氷の解け始めたロックグラスを傾けてこう言った。
「教師が何気なく言ったその一言で、子どもたちはとてつもなく大切なことを決めていき、そして人生を変えていく。こんなに素晴らしく、そして恐ろしい仕事、ないですよね」