木下晴弘「感動が人を動かす」37「お客さんの喜ぶ顔がみたくて」

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シリーズ「感動が人を動かす」37
「お客さんの喜ぶ顔がみたくて」

「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

「原因不明の肺炎が流行っている」という不穏な海外のニュースをネット上で見かけてから、ほどなく「新型コロナウィルス」という言葉が飛び込んできてもう2年近くになる。
2020年の3月から年末まで、すべての講演会がキャンセルになった。講演など不要不急の最たるものなのだ。出張が一切なくなり、接待もなくなり、夜に飲み歩くこともなくなり、家と会社を往復する日々が始まった。

出歩かなくなったということは、新たな出会いがないということで、当然プチ紳士たちにも出会うわけがない。
にもかかわらず、この原稿の締め切りは容赦なくやってくる。ならば過去の記憶をひも解くしかあるまい。などと考えながら小社を設立した2001年の頃を思い出していた。

「もう20年になるのか・・・」と思わずつぶやく。実にこの間、多くの人たちに助けていただきながらなんとかやってこられたのだ。もはや感謝しかない。そのつぶやきは自然と「ありがとう」の言葉へと変わっていった。そして不思議なことに、その想いに浸っていると眼前の悩みや苦しみが和らいでいく気がした。

「ありがとう」の対義語は「あたりまえ」といわれている。なるほど「あたりまえ」と思うところに感謝など生まれない。「あってあたりまえのものなどない」と思えたとき、すべての事象に対して「ありがとう」という気持ちが生まれる。

ところで近年、身の回りにある多くを「あってあたりまえ」と思っている人が増えたように感じる。そしてそれと同調するように、怒りっぽい人が増え、クレームも増えたのではないだろうか。サービスを提供する側も大変だ。喜んでもらおうと思えば相手の期待を上回る必要が出てくるからだ。どこかで双方が「足るを知る」必要があると思う。

そんなとりとめもないことを考えていて、ふと15年ほど前に乗ったタクシーのことを思い出した。以前、一度寄稿しようと思ったのだが、タクシーの話は珍しくもないので封印していた。ウイズコロナの時代となった今では、このサービスはもう受けられないかもしれないと考え、再度記憶を呼び起こしてみた。

8月ある日の昼下がり。大阪の住吉という街で午前中に講演を終えた私は、いつものようにパソコンやプロジェクターが詰め込まれたキャスターを引きずっていた。主催者さんが「タクシーを呼びましょうか?」といってくださったにもかかわらず「ありがとうございます!でも大丈夫です。途中で拾いますから」と会場を後にしたのだ。

これが間違いの元だった。少し歩いただけで、吹き出る汗によって服はぼとぼとになっていった。しかし引き返すのもばつが悪い。かといってこれ以上歩き続けるのは命の危険さえある。というわけで、会場から見えなくなった街路樹の木陰でタクシーが通りかかるのを待つこととなった。木陰でじっとしていても玉のような汗が溢れ出す。

5分ほどたったとき、ようやく一台のタクシーが空車のディスプレイを輝かせて走ってきた。
「たすかった~」思わずそう叫び、トランクを開けていただき、運転手さんの補助のもと、キャスターを積み込む。
一刻も早くと、クーラーのきいた車内へ滑り込んだ。トランクをしめた運転手さんが運転席に戻られ、にっこりと振り向きながら「まずはこれ、どうぞ」と手渡してくださったものはなんと、キンキンに冷えたおしぼりだった。

タクシーで、おしぼりを渡されたことなど一度もなかった私は「うわっ、ありがとうございます。こんなサービスがあるんですか?」思わずそう問いかけていた。「ええ、特に暑い日には喜ばれるお客様が多いですね」さらりと言ってのける運転手さん。
「でもこのおしぼり、めちゃくちゃ冷たいですよ」
「凍らせたものをクーラーボックスに入れておいたんです」
汗を拭き終えた私に、次に提供されたのはうちわだった。しかも、竹細工、紙、プラスチック、扇子と用意されていて好みのものを選べるという配慮まである。
「こんなものまで用意されているんですか?」
「ええ、クーラーと併用すると早く汗が引くんですよ」
「なるほど・・・」
こうなると当然尋ねたくなる。
「ほかにも何かあるんですか?」
「一応、手を拭きたい方にはウエットティッシュ。怪我をされている方にバンドエイド。お子様をお連れの方には飴ちゃん。気分が悪くなられた方には防水袋。こんなところでしょうか」
「いや、恐れ入りました・・・」

その運転手さんはもともと金融機関の営業職だったが、病に倒れてからは「自分のペースでできる仕事を」と考えて、転身したようなことを言っておられたように思う。失礼を承知でいろいろなことをお聞きした記憶があるが、その詳細は覚えていない。ただ、次の言葉だけは鮮明に覚えている。
「わたしね、お客さんの喜ぶ顔がみたくてこの商売やってるようなもんですわ」

また、このような世界が戻ってくることを祈りたい。