木下晴弘「感動が人を動かす」36「社員自慢」

(お願い)諸般の事情により、SNS等への転載は、一部抜粋の転用も含めてご遠慮ください。当サイト内のみでお楽しみいただけたら幸いです。

シリーズ「感動が人を動かす」36   

     「社員自慢

 

      「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

     

今回は弊社でいつも社内の雰囲気を明るくしてくれる女性スタッフMさんの体験談です。Mさんは大阪府松原市にお住まいで、毎朝片道60分かけて通勤してこられます。緊急事態宣言発令中は弊社でもリモートワークに切り替えていますが、新型コロナウィルスが蔓延する前までは普通に出勤という形をとっていました。

なるべくラッシュアワーにかからないように弊社の出勤時刻は9時30分となっていますが、それでもMさんの最寄り駅である近鉄河内天美駅から乗車する時刻には大勢の通勤客で賑わっているそうです。

そんなある朝のことです。出勤したMさんが「今日いいことしましたよ!プチ紳士ネタにどうですか?」とニコニコしながら近づいてきました。「一応聞いておきましょう。でも余程でなければ志賀内さんのお眼鏡にはかなわないから採用できないよ」とくぎを刺した私に彼女は話し出しました。

今朝彼女がいつもの通勤路を歩いていると、ICカードが入った赤い定期入れが落ちていました。幸い駅までの途中に交番があるので、そこに届けようと思いそれを拾い上げましたが、同時に「ICカードがなければ駅構内には入れないから、きっと探しに戻ってくるはずだ。下を見てキョロキョロしている人がいたら声をかけてみよう」とも考えたそうです。

駅に向かって進んでいくと、予想通り50歳前後の女性が道行く人に何かを尋ねているのが見えました。Mさんは小走りに駆け寄り「ひょっとしてこれをお探しですか?」と定期入れを見せました。「ああそれです!よかったぁ。助かりました!ありがとうございました」と何度もお礼を言いながら、その女性は急ぎ足で駅に向かっていったそうです。

「お話は以上です」とMさん。「え?それだけ?それじゃネタにならないね~。ごめんね、ボツだわ」というとMさんは「そうですよねー、どこにでもある話ですもんねー。社員自慢に使えるかと思ったんですけどねー」とけらけらと笑いながら自分の席に戻っていきました。

そんな出来事があってから1週間後の朝です。出勤したMさんがいつも通りのニコニコ顔で私に近づいてきて「今日いいことありましたよ!プチ紳士ネタになるかもしれませんよ」というのです。私が「あのね、何度も言ってるけど、志賀内さんのハードルは高いのよ。ちょっとやそっとじゃ採用できないよ」と答えると「じゃあ、聞かなくていいですね」という彼女。私は「いやまあ、一応聞いておくけどね」と気のない素振りで言いつつ、パソコンの電源を入れながら話を促しました。

今朝彼女がいつもの通勤路を歩いていると「すみませ~ん」と駆け寄ってくる人がいます。よく見てみるとそれは先日定期入れを落とした女性でした。女性は息を弾ませながら「この間ICカードを拾ってくださった方ですよね。探しました。あのときは急いでいたのでちゃんとお礼もできなくて本当に失礼しました。私、ずっと気になっていて・・・」というと、バッグの中をごそごそと探りながらポチ袋を取り出しました。「これ、心ばかりの御礼です!」とMさんに差し出したのです。「いや、これは受け取れません!」というMさんの手に半ば強制的にポチ袋を握らせたその女性は、駅の方に走り出しながらこう言ったそうです。

「安心してください!千円しか入っていませんから!」

それを握りしめてMさんは思ったそうです。その女性は、きっとあの日の夜からずっとポチ袋をカバンにしのばせていたのだと。再会できるかどうかもわからぬ人に、もし偶然会えたならそのときすぐに渡せるように。そして毎朝、自分を探しながら出勤していたに違いない。もし自分ならここまでその想いを維持できただろうか。そう考えるとその女性は間違いなくプチ淑女だと。そしてこの気持ちのこもった千円でケーキを買って、会社のみんなで分けようと。

「いや、素晴らしい話をありがとう!これは採用です!」といった私。

「よかったです!でも最初聞きたくなさそうな素振りだったので社長には残念ですがケーキは無しです」

とMさんは笑いながら席に戻っていきました。

その日の午前中打合せの業務があり、昼過ぎに外出から戻ってきた私の机にはケーキがおかれていました。

弊社のスタッフも間違いなくプチ淑女です。これで社員自慢になりましたか?Mさん。