木下晴弘「感動が人を動かす」35おじいちゃん、おばあちゃん、おはようございます

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シリーズ「感動が人を動かす」35   

     「おじいちゃん、おばあちゃん、おはようございます!」

 

      「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

     

2020年7月30日、仙台市や東北ブロックで読者が多いある地方新聞紙に、76歳男性からの投稿が掲載された。

彼は3年前に家族から勧められたのがきっかけで、毎朝自宅近くの市民センターにて行われるラジオ体操に通い始めた。「同じ顔ぶれの高齢者ばかりが集う」という表現が、マンネリ化を想像させる。ところが6月に異変が生じる。ある日そこに5人の新規参入者が現れたのだ。スウェーデン生まれの巨漢のパパと日本人のママ。そして全員が小学1年生の3人の子ども達だ。「朝のひとときは、元気な子ども達によって、にわかににぎやかになった」「この一家は雨が降っても休まず傘を差して通う。雨の日は休んでいた私もラジオ体操の先輩と日本人としての面目を保つため、雨具を着て通うようにした」「パパが愛情たっぷりに子ども達をハグする姿がほほえましい」と書かれている。さて、投稿から得られる情報はここまでなのだが、実はこの出来事が地域の老人たちに大きな変化をもたらしていく。

まずこの3人の子ども達が底抜けに明るい。毎朝大きな声で「おじいちゃん、おばあちゃん、おはようございます!」と挨拶が飛んでくる。しかも一生懸命にラジオ体操に取り組むのだ。当然参加者たちは感化され、きびきびと体を動かし始める。私は中学時代に体育の先生から「本物のラジオ体操」を叩き込まれた。真剣に取り組むとかなりキツイ。とりわけ高齢者にとっては、結構なストレッチだ。しかしこれが彼らの健康増進につながりだした。さらにこの一家は体操開始の30分前には市民センターに到着し、準備をする。それまでは直前にならないと入口のカギが開かなかったのだが、子ども達を待たせるわけにはいかないと開錠時刻が早まった。すると参加者たちも、先を越されては面目丸つぶれとばかりに早く集まるようになった。これが、開始時刻までの会話の時間を生んだ。その会話から投稿者が得た情報が先述の記事になったというわけだ。孫のような子ども達とのひとときが、それまで無口だった参加者の心をほぐし、つながりに変わっていった。そして、そのうわさを聞きつけた近所の若い子ども連れ家族が次々と参加し始め、おそらくは義務感だけで開催されていたであろうこの企画は活況を呈し始める。この3人の子ども達、パパ、ママの功績だ。

実はこの5人家族だが、仙台に引っ越す前は東京に住んでいた。スウェーデン生まれのパパがママと結婚したのは、彼が50歳になる直前だった。子どもが大好きな彼はわが子の誕生を待ち望んだ。しかし、その願いは簡単には叶えられなかった。治療の日々が始まった。その活動は海外にまで及ぶ。そして筆舌に尽くしがたい数年の努力を経て、ようやく授かったのが3人の子ども達だった。これでパパの溺愛ぶりも納得がいく。

共働きの夫婦にとって3人の子育ては闘いだ。それを支えたのが、同じ東京に住むママの母親だった。つまり、この3人の子ども達の成長は、おばあちゃんの存在抜きに語れない。ところが、そのおばあちゃんが体調を崩してしまう。夫婦の苦しい時期を支えてくれた義母の回復を心から願った彼は、会社に仙台への転勤を願い出る。少しでも静かな環境で義母に過ごしてほしいとの思いからだった。義母は大喜びだった。仙台という街をことのほか気に入ったのだ。娘夫婦とかわいい3人の孫に囲まれて穏やかな日が続いた。だが、義母が小学生になった孫の姿を見ることはなかった。おばあちゃんが天国に旅立ったとき、この3人の子ども達はどれほど泣いただろうか。いや、年齢的に人の死を客観視できなかったかもしれない。でも、大切な何かが、それまでよりどころとしていた大きな存在が、突然目の前から消えてなくなってしまったのだ。その喪失感が、日常生活の激変という形で、幼な心に甚大なインパクトを与えたことは想像に難くない。

私は確信している。毎朝彼らが放つ「おじいちゃん、おばあちゃん、おはようございます!」という言葉には魂が宿っているに違いない。だからこれほど多くの人たちの心と体を動かし続けるのだろう。

弊社のスタッフであるAさんの姉が勤務する会社で、今日もまたスウェーデン生まれのパパは明るく元気に子育てと奮闘しながら頑張っている。