木下晴弘「感動が人を動かす」33「急ブレーキの電車の中で」

シリーズ「感動が人を動かす」33   
     「急ブレーキの電車の中で」 

      「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘
     
大げさではなく、こんなに温かい冬は人生で初めてではないだろうか。寒さに弱い私にとってはありがたいことなのだが、この原稿の締め切り日に近い2月初旬にもかかわらず、大阪では菜の花が満開だ。異常気象による今夏の暑さが心配になりつつも、この陽気になると少し遠くへ出かけたくなる。

休みなく続いた業務がひと段落した先日、出社早々にメールのチェックだけをすませた私は、スタッフさんたちに会社を任せて散歩に出かけた。
同じ道を歩いていても、あわただしい気持ちで出張先に向かう時と、一足早い春を探しながらゆったり歩くのでは、見える景色が全く違うことに気付いた。アスファルトの隙間から名も知らぬ小さな花が顔を出していることや、街路樹の芽が膨らんできていることなど、足早に通り過ぎていては目に入ってこないのだ。

「そうか…小さな春は、それを見ようとしている人にだけ見える。ならば人生も同じかもしれない。日々の幸せは、それを見ようとしている人にだけ感じられるのではないだろうか。あわただしい毎日の中で『あれがない、これがない』と不幸ごとや不足ごとばかりを見て『私は不幸だ』と思う人生では、不幸なことばかりが目に飛び込んでくる。
反対に、ゆったりとした気持ちで『私にはこれもある、あれもある』と満たされていることに目を向けて『なんて豊かなんだ』と思う人生では、豊かさや幸せごとが目に飛び込んでくる。
『幸せは自分の心が決める』とは、こういうことか…」
妙に納得した私は、なんだか幸せな気分になって、自分にあるものを思い浮かべながら駅へと向かった。

西中島南方という駅から南に下って3駅先にある、淀屋橋駅で下車。旧淀川沿いを散策しようと電車に乗った。車内は空席こそないが、立っている人はまばらで居心地は悪くない。うつらうつらしている大阪のおばちゃんや、スマホを凝視しているビジネスマンなど、人間観察もまた心に余裕がなければできないことだなぁ…など考えながら車窓の景色に目を移した。そうこうしているうちに中津駅に到着し、女性の先生方2名に引率された、かわいらしいお客様が10名ちょっと乗り込んできた。おそらくは幼稚園の年中さんくらいだろうか。車内は途端ににぎやかになった。まさに「ピーチクパーチク」という比喩しか思いつかない状況だ。

この状況下で大阪のおばちゃんがおとなしくしているわけはない。「みんな、どこ行くの?」という早速の問いかけに「かいゆーかぁん!(海遊館)」と大合唱がこたえる。「静かにしなさい!申し訳ありません」と引率の先生は恐縮している。そんなことは気にも留めずに「好きなお魚はなぁに?」と、おばちゃんの次なる質問が飛ぶ。これにも多くの子たちが「ジンベーザメーっ!」と返答した。その中に一人だけ小さく「サンマ!」とこたえた子がいた。たぶん気付いたのは私だけであろう。吹き出しそうになるのを必死にこらえていた。

そのおばちゃんは「かわいいねぇ。座る?」と1人の子に席を譲りかけたが、それを許しては取集がつかなくなると思ったのか、先生が「ありがとうございます。この子たちは大丈夫ですから」と丁寧に断っていた。

と、そのとたん電車が急ブレーキをかけた。必死につり革につかまる私。倒れかける子どもたち。すると凄いことが起こった。座っていた大人たちが一斉に中腰で立ち上がり、倒れかける子たちを支えたのだ。その結果、誰一人転倒することなく「いやー危なかったなぁ」「怪我はない?」「大丈夫?」と口々に子たちを気遣う言葉がかけられた。あのスマホを凝視していたビジネスマンも立ち上がって子たちを支えていた。先生方は「ありがとうございます。本当にありがとうございます」としきりにお礼を言っていた。

「やっぱり座る?」と再度おばちゃんの示唆があったが、「もうすぐ降りますので大丈夫です」と先生。その後も電車が揺れるたびに、手を出して支えようとする人たちの姿があった。しかも彼はそのためにスマホを鞄にしまい込んでいた。

一足先に下車した私は旧淀川べりを歩きながら、素敵な電車に乗り合わせることができた幸運に心から感謝していた。人生は、豊かだ。