木下晴弘「感動が人を動かす」26「お安い御用ですよ」

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シリーズ「感動が人を動かす」26
「お安い御用ですよ」
「涙の数だけ大きくなれる!」著者  木下 晴弘

2016年4月27日、岡山での講演が終了し、オフィスのある新大阪まで戻る「のぞみ130号」の車内に、携帯電話を忘れるという痛恨のミスをした。
JR岡山駅から徒歩数分のコンベンションセンターで13時に業務を終了し、その15分後には会場を後にした。
改札口まで歩き、電光掲示板を眺めながら成り行きで購入したチケットが「のぞみ130号」であった。

余談ではあるが、我が家では「いびきが大きく」かつ「寝つきのよい」者は、夜寝るとき隔離される。つまりこの条件を満たしている私は就寝時個室という高待遇である。にもかかわらず花粉症に苦しむこの季節、睡眠不足だった私はシートに身を投げ出したとたん深い眠りに落ち、新大阪までの爆睡50分でテレポーテーションを体験した。

「プルルルルルルルル~」

発車時のけたたましいベルの音で現(うつつ)に引き戻され、駅名を見た私は、とっさに状況を把握した。
「うわっ!」と叫びながらキャスターを引きずり倒して車外に飛び出したとき、後ろで扉が閉まった。

「いやぁ~奇跡やなぁ。さすが俺!(新大阪で)ばっちり目覚めてるやん」と自画自賛しながらオフィスに戻り、そこでようやく携帯電話がないことに気付いたのである。どこに置き忘れたのか。様々な可能性をつぶしていき、最後に残ったのは、新幹線で醜態をさらして寝こけている間にズボンのポケットから滑り落ちたという結論だった。

個人情報満載の携帯を一刻も早く手中に引き戻さねばならない。時計を見ると「のぞみ130号」はちょうど京都を出たあたり。行きつく先は東京だ。そこで、東京駅に電話を掛けて事情を伝えると「車掌さんに連絡を取ってみる」とのこと。車両と座席の番号を告げて、じりじりと待つこと30分。折り返しの電話があり、無事確保したと告げられた。

「いやぁ、助かりました!では東京につき次第、宅配便の着払いでお送りいただけますか」
とお願いすると意外な答えが返ってきた。
「1週間から10日ほどかかりますが、よろしいでしょうか?」「えっ!?そんなにかかるんですか?」

聞くと、東京駅のホームに到着したら、まず車掌さんがホーム上にある駅員さんの待機所にその携帯を預ける。それは終電後に駅長室におくられ、数日後、さらに拾得された遺失物を保管する事務所に届けられるのだが、ここには毎日信じられない数の拾得物が集まってくるそうである。持ち主が名乗り出ないものも多数あり、届けられた順番で処理していくのだそうだ。いつ来るともわからぬ順番をひたすら待ち続けた後の郵送ということになるのである。

「ちょ、ちょっと待ってください!それはまずい。一刻も早く戻ってきてほしいのですがどうすればいいですか?」
「一番早く戻す方法は、膨大な拾得物に紛れてしまう前の段階で、直接取りに来ていただくことですね」
さあ困った。予定が入っており、しばらく関西を動けない。その日も夕刻からは打ち合わせである。
かくなるうえは、東京在住の友人に頼るしかない。「代理人に受け取りを依頼しても大丈夫ですか?」
「その場合は駅長宛に、携帯電話の特徴をいくつか記入した委任状をFAXしていただきます」
「ありがとうございます。代理人が決まり次第、再度ご連絡差し上げます」

ほっとした私は「いや~持つべきものは友人だね」などと軽口をたたきながら、早速、頼めそうな何人かをリストアップし、まずは高校時代の友人Y君に電話をしようとして、再び携帯電話がないことに気が付いた。

どの友人の連絡先もすべて携帯電話の中にある。頭を抱え込んだ。「ま、まてよ・・・よく考えろ。誰か、誰かいるはずだ。落ち着け・・・」そう言い聞かせながら『連絡先のわかる頼めそうな知人』を思い浮かべていく。
「そうだっ!!彼なら頼めるかも・・・」それは10年以上親交のある生命保険会社に勤めるSさんだった。もちろん彼にとって私はクライアントでもあるのだが、知り合ったきっかけはあるサークルでの出会いだった。人柄に魅了された私は、彼が保険会社の営業マンだと知り、私の方から契約をお願いしたいと持ち掛けたのだ。その後、飲み友達として、また良き相談者として、ずっとお世話になっていた。「彼なら名刺に携帯番号があったはずだ!」慌ただしくアドレス帳をクリックする。あった。しかし・・・オフィスは横浜となっていた。

横浜から東京駅に行ってもらうのだ。彼のことである。頼めば嫌とは言わないだろう。しかし、大迷惑である。3分ほど逡巡しただろうか。『ひょっとしたら、営業で今東京駅の近くにいるかもしれない。そうだ。まずは今どこにいるかを尋ねてみよう』そう考えた私は早速彼の電話を呼び出した。5回目くらいのコールで彼が電話口に出た。
「ども、木下です!」「あ~木下さん!会社の電話だからわかりませんでしたよ。どうされました?」
「つかぬことをお尋ねしますが、Sさんは今どちらにおられますか?」「横浜ですよ」  終わった。
「あぁ、そうなんですね。じゃあ結構です。お騒がせしてすみませんでした~」軽い調子で電話を切ろうとすると、
「どこだったらよかったんですか?」この切り返しは想定外だった。思わず言ってしまった。「いや、東京駅辺りならいいなぁって思ったんです」「夕刻、東京駅方面に用事がありますが」「えっ!?本当ですか?」「どうしたんですか?」
神が降臨した瞬間だった。
「お安い御用ですよ」と引き受けてくれた彼に、私は恐縮しまくって「今度埋め合わせしますから」と繰り返した。

その夕刻、彼と駅員さんに電話を替わってもらいながら、何とか委任状を受理していただき、携帯電話はそのまま、彼の手によって東京駅地下にある宅配窓口へと移動。そこで翌日の昼に届くよう、着払い伝票の代筆までお願いしたのだが、東京駅での手続きに要した時間はゆうに1時間を超えてしまった。発送完了の連絡をくれたSさんに、重ねて感謝の言葉を伝えたとき、彼はこう言った。「木下さん、お礼を言うのは僕の方だ。僕はいまとんでもなく感動しているんです。だって、昼過ぎに大阪で新幹線内に置き忘れた荷物が、翌日の昼にその人の手元に戻るんですよ!この国の物流はなんて凄いんでしょうか!それを実感できたのは木下さんがこの依頼を僕にしてくれたからです。ありがとうございました!」

私は言葉を失った。翌日、指定した時刻に携帯電話は届けられた。伝票は元払いの色だった。